2011/08/21

次の長編

さて、twitter上で、百人一首を下敷きとした劇を東方の登場人物達にやってもらうシリーズを考えてます、というような事を言ったのですが、ちょっと問題が発見したので変更します。

当初、百人一首を下敷きとした「物語」をシリーズに出来ないかなぁとぼんやりと考えていて、劇形式にすれば比較的たくさんある恋の歌も使い勝手がよくなるかな、とか、紅魔館や永遠亭、地霊殿、というようにグループ単位で劇をしてもらう事でグループ間の駆け引きや応酬を描くことができ、シリーズとしても成り立つな、とか、各グループごとに劇をやってもらってそれぞれの動画の人気を計算して優秀賞をだせるな、とかメタなことも含めて、シリーズ物として百人一首の個々の歌をベースにしながらも流れのあるシリーズとして構築できそうだなぁとほくそ笑んでいたのです(いや、実際は笑ってませんけどね)。

さらにはほかの東方作者さんにも同じようなフォーマットで劇を作ってもらえたら、もっと盛り上がるかも・・・とか妄想してました。

ですが、私が百人一首を下敷きにして考えていたのは歌をベースにしたそれぞれの東方の登場人物の「物語」であって、劇ではなかったのです。これに気づくのが遅れました(我ながらアホですね)。すなわち私の頭の中にあるのは「ととも」でやっているような物語であって、それは登場人物そのものの物語ですから、それを本人達に「劇」としてやらせたらなんという茶番というか、ナルシストなんでしょう。かといって、本当に(ロミオとジュリエットのような)劇を百人一首ベースに一から考えてそれをやるとなると、東方でやる意味がほとんどない。東方の設定と百人一首の相性は悪くないと思うのですが、少し勘違いをしていました。ですので、次の長編は違う方向で行こうと思っています。

2011/08/19

小傘と雨 【後書き】

今回は「雨」が描きたかったのと、小傘のような妖怪はきっと複雑なんだろうな、という事が描きたかった。ですので、橙から物語は始まりますが実は脇役です。
雨の降り始め、降っているところ、そして止むところを描いたのですが、いまいちでしたね。雨脚が強まると地面や屋根で踊った水滴がもやを作りますが、それは挫折しました。降り始めはもう少し作画枚数を増やせばましになったかもしれません。雨上がりはもっと水滴のまぶしい鋭い様子を描ければ良いのですがこれもまた轟沈しました。うむ、妥協が多い回でした。
・・・まぁ絵はこれからも精進するとして・・・
内容ですが、小傘が「忘れ傘」の妖怪であるならば、傘としての機能を果たせずにいたもどかしさをずっと持っているのではないか、というのが本作を作るきっかけです。それは作中で小傘がしゃべっている通りです。
小傘は雨が嫌いなのか。私は雨が小傘に複雑な思いをもたらすものではあるものの、小傘は雨そのものが嫌いな訳ではないと思います。では、自分を使ってくれなかった人間が嫌いなのか?これは難しい問題ですが、小傘を作ったのもまた人間であり、小傘という妖怪を生んだもの人間の身勝手、というか忘れっぽい性格によるものです。ですから、小傘が自分という存在を考えるときに人間とは切っても切れない関係にあることは、小傘自身も分かっているのだと思います。ですから、極端な行動(人間を驚かす以上のこと)は避けているのかもしれません。人間に対して強気にでる妖怪とはその辺りが違うのではないでしょうか。この辺りをもう少し掘り下げると面白いかもしれませんね。
道具というのは目的をもって作られており、その目的を奪うことは、道具にとって非常につらいことだと思います。この動画を作っていて、改めてそう思い、なるべく物は大切に仕様と思いました。
11・08・21:タイトルを修正。橙と小傘→小傘と雨 橙と…は仮題だ

2011/08/07

アリス、恋のかけら【後書き】

 劇的に再生数が増加した次の話とはどうしてもやりにくいものです。その上にさらに難易度の高いテーマを選んでしまったのですが、別に私がそういうきついのが好きとかそういう嗜好を有しているためではありませんよ。

 本作はアリスの恋、正確には恋というものの芽生えのような心のさざ波を捉えることを目的にして–––そして轟沈した–––作品です。

 アリスはある異変を解決した帰りに、何気なく魔理沙に恋をするのかどうか聞かれます。魔理沙に他意はなく(この辺り、パチェの推理は正しい)、ただ、何となくそんなことを聞いてみただけです。ですが、これをアリスは魔理沙が自分のことを好きで、探りを入れてきたように解釈したわけですね。魔理沙とはつきあいは長いものの、特に恋愛感情、というか「恋」の相手ではなかったわけですが、このとき、静かにスイッチが入ったのです。きっかけはそう、何気ない一言だったんです。あの冒頭の黒地に白文字のコトバはこの物語が終わって(アリスのなかで恋のようなものが終わった後で)から、振り返ってみたときの言葉です。

 アリスはちょっとした勘違いからスタートした恋のかけらを育てることは出来ませんでした。魔理沙から自分(アリス)への「好意」というか恋心が感じられず、自分が感じていたのは単なる魔理沙の心遣いだったことを知ったからです。もちろん、本当に恋しているのであれば、そんなことは関係ないのでしょうが。
 アリスの心に投じられた魔理沙の一言は、さざ波を起こしましたが、それを本当に恋と呼べるかどうか(作中で霊夢や紫はそれを恋と表現していますが)は私には分かりません。それはただ、かけらのようなものではないでしょうか。親しい人のふとした思わせぶりなせりふ(勘違いを含め)で心がざわつく、そういう事がきっとあると思うのです。

アリスは本当に恋すること(相手が誰であれ)が出来るのか、私には分かりません。ただ、今回はアリスの心に恋が目を出すことはなかった、それだけは確かなのかもしれません。

次回は雨をテーマにした小話を考えています。