2012/03/25

巡るは季節 その2 【後書き】

さてさて、第二話が投稿されました。
第一話がおかげさまでカテゴリーランキング(東方)の一位を記録しました。現在、4万再生、1.5kマイリストと、これまでになくたくさんの人に見て貰うことが出来ました。この場を借りて感謝申し上げます。できれば、これからもよろしくお願いします。

しかし、まだまだ物語は序盤なので、後書きに書くことが少ないです。とりあえずは、私なりの「幻と実体の境界」という結界についての解釈について。

今からおよそ500年前に、八雲紫によって、幻と実体の境界」という結界が博麗神社を境界として作成された。これによって、人々が忘れたもの、信じなくなったものが、結界の内側に引き寄せられるようになった。一話で、彼女(流れてきた巫女風の女)が「閉じている」と感じたのはこの結界の存在のためですね。
 で、八雲紫の予想通り、この地へ数多の妖怪を集めることに成功はしたものの、第一話で谷が荒らされたように、増加した妖怪に対して、人間は以前に比べたら弱くなっていたため、力の均衡が崩れました。この地(幻想郷)は里(=市、一つ、人が多い)・谷(複数、人が少ない)から構成されており、一話で襲われていたのは辺境の谷です。一話で里がおされている、という発言がありましたが、これは八雲紫によって、妖怪側も安易に襲わないように圧力をかけているためですが、「人が喰いてぇ!」といった具合に、単純な(たいていは弱い)妖怪がどうしても押し寄せているのを、里にいる妖怪退治の心得をもった人間(谷よりは力もあるし、多い)がなんとか防いでいるということを表しています。
 八雲紫の予想では、人間側にも、彼女がそうであるように、妖怪退治の力を持った(実体の世界では信じられない力を持った)人間が集まるはずでした。しかし、思惑がはずれていた、ということです。紫が「ためす」というのは均衡を元に戻す力があるかどうかを試すということで、そして彼女はその力を(十分すぎるほどに)もっていたのでした。妖怪退治の心得を多少は持っている里の人間からはすでに大きな信頼を得ていることは、彼らが彼女のことを心配している描写で描いたつもりです。


わかりにくいところがあれば、ブログのコメント欄でも、動画のコメントででも書いて頂ければ、説明していくつもりなので、お気軽にどうぞ。


さて、書くことがつきたので、動画1話のコメントにでも返信をば。

多かったのが、これは何時の話だ?というコメント。

これは現代からおよそ500年前(西暦1500年前後)のお話です。
いずれも、私の解釈が入ってますので、原作とは違う部分があります。ご了承下さい。
動画内で石碑が出てきますが、あれには「封 天暦元年」と書かれています。あれでなにが言いたかったかというと、そのころ(西暦943年)にはすでに幻想郷のある土地に人間が妖怪退治を行っていたということです。平安末期には今の長野の山奥に人が来て、妖怪退治を行っていた。そして第一話で里の長が話したように、妖怪退治を生業としてきたが、それが徐々に廃れて500年が経ち、戦国の世になったのがこの物語の時代です。八雲紫とか古株の妖怪達は平安やそれ以前から、その地に居る妖怪と解釈しました。

この女は何者なんだ?というコメント

少なくとも博麗神社の初代の巫女でも霊夢からみて先代の巫女でもありません。作中での「以前は巫女をたてていた」という発言があるように、博麗神社はこの物語ではすたれているものの、すでに存在し、巫女も居ました。ので、初代ではありません。また、今からおよそ500年前の「幻と実体の境界」が完成して数年後の話なので、霊夢の先代でもありません。

「あまり昔だと月代剃る風習なかったはずだが」etc...

しりませんでした。時代としては戦国なので、織田信長を筆頭に日本史の肖像画をなんとなく思い出すと、綺麗に剃っていたと記憶していたので、剃らせました。皆さん、お詳しいですね。次から急に髪の毛が生えても気味が悪いので、今回は統一します。許してください。

背景に関するコメント

お褒め頂き、ありがとうございます。ただ、いくつか指摘がありましたけど、丁寧に描いているわけではないです。木とか山とかかなりいい加減ですよ。東方手書き界隈ではあまり背景を描く作者さんがすくないのか、背景を描くことで、ずいぶんと得をさせてもらっています(?)。




物語はまだまだ序盤です。これから面白くなっていく予定ですので、もうしばらくおつきあい頂けたらと思います。

2012/03/17

巡るは季節 【後書き】

さて、新シリーズ始まりました。

本シリーズの下敷きは三島由紀夫作、豊穣の海です。といっても、壮麗で完璧かつその崩壊さえも描かれた作品のそのうえに物語を立てるなどおこがましい限りです。正確に表現するならば、下敷きなどたいそうな表現ではなくて、その城をまねて、小さなミニチュアを作るようなものでしょうか。それも、城の本質的な美しさを写す事かなわず、その構造を小さく真似ただけにすぎません。・・・ま、着想を得た、といえば済む話なのかもしれませんけどね。

前置きはこれくらいにして・・・
本作では八雲紫と幻想郷の巫女との関わりを描いていこうと思います。時にして500年にわたる長い物語です。

さて、第一話は幻想郷のなりたちと大きく関わる、「幻と実体を分つ結界」を八雲紫が考案し、そして実行して暫く経ったところです。次の話で幻想郷がどういう状況におかれているのか、おいおい分かってくると思います。今回は導入ということですのでかなりマイルド(?)です。

今回、博麗神社は寂れている状態であるという設定を持ち込みました。ほぼ無人の神社ですね。なぜほぼ無人かというと、お祭りごとがあれば、適当に巫女さんをだれかにやらせる、という設定だからです。その台詞はカットしてしまいましたので、作中では本当に無人のような印象を受けますが・・・。作中では「巫女を立てる」というのは神社に常駐するという意味なので嘘はついてません。で、どうして神社が寂れているかと言えば、妖怪退治の神社だからです。妖怪の存在を忘れつつあるので、当然、博麗神社の存在も薄くなり、人々の扱いも軽くなるというものですね。そして、神社はかなりシンプルな作りとして表現しました。私は寺社仏閣の建築の歴史は知りませんが、山奥の小さな神社が戦国の世にそれほど立派な社殿を建てるほどの技術はないだろう・・・と想像したので、簡素な作りです。

登場した巫女風の女は、流れ者です。彼女がいったいどうなるのか、それは次回。

2012/03/11

東京は違うなぁ

どうも、私用で東京に出てまいりました、李花尺です。

東京はずいぶんと春めいていましたので、驚きました。私の住んでる田舎はまだまだなのですが・・・。本日は福祉チャリティーマラソンというのが皇居の周りで行われていたようで、皇居の周りはランナーが多くみられました。そしてお堀の柳の先端にはかわいらしい新芽が出ていました。歩道にはタンポポも咲いてるのも見かけました。

本日、3月11日は東日本大震災から 一年の節目に当たります。地震の起きた時刻にあわせて、黙祷をしました。私が顔を上げてもまだ黙祷をされている方もいました。それでも、車は走っていますし、お堀のランナーの方は走っていました(黙祷をされた方もいらっしゃるでしょうけれど)。私は東京という街が一瞬、止まるのではないかと思っていたのですが、そうではなかった。でも、それでいいのかもしれません。止まる人、止まらない人、止まれない人・・・そういう雑多さこそが、都会というものかもしれません。・・・それにしてもいろんな人がいます。田舎では考えられない多様さですね。見ているだけで楽しいです。都会の楽しみはこれに尽きるかもしれません。

そんなことを考えながら、はじめて秋葉原というところにいってみたのですが、歩行者天国になっている部分は規制があってメイドさん、いないんですね。一本なかにはいってみたら、たくさんいました(一度も声をかけてもらえませんでしたけどね)。Mac製品をとりあつかっているお店を探したのですが、思った以上にありませんでした。秋葉原はほんとにサブカルチャーの香りが強いところになったのですね(もちろん、私が探すのが下手すぎる可能性は否定できませんし、もとから少なかったのかもしれませんが・・・)。


つらつら思うに、普段得ることのできない非日常を十二分に体験できたと思います(ところで東京って本当に坂が多いですね。知ってはいましたけど、今日、実感することができました。・・・足が痛いです)。しかし、この街に住むのはちょっとやだな、とも思いました。どうしてかと言いますと、やはり人間どうしても環境に「なれて」しまいますから、この雑多な人間模様を興味深く見て、なにかを発見するためには、外にいたほうがいいと思うからです。都会に行けば行くほど、いろんな人がいますけど、そこで暮らせば、興味深い人はより他人になり、そして他人であるからこそ無視し、興味を失っていくかもしれません。

そんなことを考えました。でもやっぱり本当に刺激的で、面白い街ですね。

2012/03/03

春めいてきましたね

3月になり、寒さも和らいで、ちょっと外に出ようという気も起きるというものです。

と、いうことで、ちょっと散策してきました。
行ってきたのは琵琶湖です。

 遠くの山はまだ雪をかぶっています。先日雨だったので、もうすこし透き通った青空を期待したのですが、残念ながらぼんやりと霞んでいました。対岸の山々は淡い錆浅黄を基調にして頂には白い雪を残し、そして空と混じって全体としてはぼんやりとした色遣いなのですが、琵琶湖は紺の水をたたえてはっきりと主張していました。

 で、ぶらぶらと湖畔を歩いていると、琵琶湖に流れ込む小川のほとりの小枝にふわふわと白いものが。なにかと思えばネコヤナギでした。ネコヤナギもよくみれば白い毛の付け根は臙脂(エンジってこんな漢字だったんですね知らなかった)というか、紅樺と呼ぶべきか(もっと紫が混じっているようにも思えますが)、春の新芽にふさわしい色をしていました。

 湖畔は松林がおおくてあんまり面白くなかったので、そのうち見えてきた内湖の散策路に路線変更しました。・・・が、まだ早かったらしく、水面に近い部分は白茶色の枯れた芦(芳?ススキも混じってましたね)ばかり。朽ちかけた小道の上にはザリガニの死骸があってあやうく踏みそうになりました。東屋・・・というか中休みのためのロータリーのような場所に近づくと、なにやら大きな鳴き声が。ザリガニを踏みそうになって以降、下を向いて歩いていたのでちょっと驚いたのですが、顔を上げるとガチョウ(?)が数羽、陣取っていました。近づいても逃げないところを見ると、この内湖で餌付けでもされているのでしょうかね。とくにふれあう相手でもないので、そのまま横をお邪魔させて貰いました。で、またしばらく行くとガマの穂が残っているのを見つけました。穂はからからに乾いて、綿がすこし出ています。なんとなく羽毛らしいですね。因幡の白ウサギは毛皮をはがされた後、ガマの穂で癒す話があります。ガマといえば白ウサギだなと思いながら、ふと、これなら毛皮のかわりになりそうだと考えたり(本来の因幡の白ウサギの話とはちがいますけどね)。

 内湖も一周するのにそれほど時間がかかりませんでした。内湖を後にしてしばらく湖畔を歩きましたけど、それほど変わった様子はなし。あ、庭に植わっている梅が咲いてましたね。ちょっとうれしかったですけど、人の家なのでしげしげと眺めるわけにも行かず、退散(梅が見たいなら、長浜に行けば盆梅展をやっているそうですが・・・)。

 琵琶湖の周りにはちょっと春本番を感じるには早かったようです。もちろん、土手からは緑や紅色の新しい芽が顔を出していますし、風は冷たかったですけど、お日様のおかげでそれほど寒くはなかったです。もうあと少しですね。本当は写真の一つでもあればよかったのですが、私はあろうことかカメラを持たないので(写真を題材にした話を投稿しているにもかかわらず!)、文章だけでちょっとした散歩の報告を致しました。皆さんも春を感じてますでしょうか。

追伸;次作は長編で、第一話は3月の中旬を目指しています。今しばらくお待ち頂けたら幸いです。