2012/06/26

黒谷ヤマメ

なんというか、ふと、思い立って、描き始めたら1時半(夜の)になっていたという、くだらない話。


2012/06/17

杉の木

近畿地方も梅雨入りを済ませたそうで、雨の日がこれから続くようですが、ご機嫌いかがでしょうか。蒸し暑く、雨で洗濯物も乾かないようでは恨めしい限りですが、最近、ちょっとした発見があったので、すこし。

杉といえば、春には花粉を飛ばし、多くの人の目鼻を苦しめる元凶として逆恨みされている存在ですね(山一面に植えたのは人間で、杉からすれば、材木となり人間の役に立つはずがそれもかなわず、恨まれるとは心外も甚だしいことかもしれません)。その季節の杉林はなんともいえぬ錆色で、お世辞にも綺麗だとは言えない風貌です。ですから、杉に罪は無いのですが、あまり好きではありませんでした。ですけど、先日、煙るような雨の日に、杉の木の高麗納戸のその穂先に新しい鶸色の新芽が伸びて、濃淡の対比が美しいことに気付きました。

雨雲を通じて弱い光が当り、古い葉の影はいよいよ濃く、新たな芽はより鮮やかに。ちょうど、広葉樹に風が当たり、淡い色の裏地が見えるような、そんな美しい色の対比をもつ季節が杉にもあるのだなぁと、思い知った訳です。

雨の日にもちょっとした発見があると、暫くは楽しく過ごせそうです。

2012/06/09

【後書き】巡るは季節 5話

第5話まで進みました。投稿が遅れて申し訳なかったです。それなりに忙しいので・・・

以下の巫女の定義は前の投稿(第四話後書き)を参照してください。

明治巫女は博麗大結界(常識と非常識を分つ結界)を構築する際に、「人柱」になったという解釈です。第4話で紫が述べていた様に、いずれは人間の持つ常識が幻想郷の内側から妖怪を否定する様になるだろう、ということを明治巫女も理解していました。結界の仕組みを渡され、夜な夜な考えた結果、幻想郷の人間の代表として「常識」を外に運ぶ役割を彼女自身が担った、と考えています。初代巫女と明治巫女が「同じ」であるならば、初代巫女は紫の作った結界によって招き入れられ、そして、紫の作った結界を再び「またいだ」ことになります。

紫は境界をいじれる存在ですから、彼女自身は結界をまたぐことは可能でしょう。ですから、たとえ結界の人柱となって、「外に出てしまった」明治巫女を再び呼び戻す事もできるかもしれません。が、常識の側にわたるということは、常識以外を幻想郷に「置いてきた」訳で、そこには妖怪などを認識する第六感などを含んでいると考えます。ですから、常識の世界に行ってしまった「明治巫女」はもはや紫を認識する事すら叶わないでしょう。紫としてもできれば彼女を取り戻したいでしょうが、結界が彼女の犠牲によって成り立ってしまった事、自分が認識されない事の辛さを考えれば、とてもじゃないですが、幻想郷の外に行ってしまった彼女に「会いにいく」ことさえ憚られるのではないでしょうか。そして、耐え忍のべば、また、会えることも支えになったのかもしれません。

ちなみに、紫が机に向かい、後ろから萃香が声をかけるシーンで、何が巻物に書かれているかというと、堤中納言物語の虫「めづる姫君」の一節です。高校古典の教科書を開いたらそれが目についたので、それを模写しました。深い意味は特にないです。

明治巫女「だった」女は明治という激動の時代をそれなりに幸せに暮らしたのではないでしょうか。ただ、どうしても思い出せない過去を持ちながら。そして、その生を全うし終えて、なぜか、幻想郷の川原に戻ってきた。死人に口なし、彼女はしゃべる事はおろか、自我があるかどうかは分かりません。ただ、彼女の魂は忘れていた記憶を取り戻しに、やってきたのかもしれません。


これにて第二章、紫を慕うほくろを持つ女の話は終わりです。

そして、次回からは現代に移ります。巡るは季節、最終章、もう暫くおつきあいくださいませ。