2014/05/31

暑くなりましたね

さて、急に暑くなりまして、びっくりしている李花尺です。


今週はこれといって書くことはなし。たまにはそういう日もあるということで。

2014/05/24

初夏の陽気

どうも、部屋の掃除をしてご機嫌な李花尺です

 よい天気なので掃除をしたわけですが、そうやって動き回ると結構暑いもので、今は半袖一枚で過ごしております。初夏の陽気が気持ちいいですね。ただ、風はひんやりとしておりますので、まだ汗ばむほどではありません。そういえば、今年は私の周りのツツジやサツキの花があまり豊かでなかったように思います。そういう年なのでしょう。来年はきれいに咲くといいですね。

 さて、「ピアノのある風景」ですが、いつもよりコメントが多くついていますね。普段はマイリストと同じぐらいのコメントしかつかないのですが。ま、コメントをあまり必要としない動画を作っている自覚は多少はありますけどね。冒頭の「うぽつ」と最後の「乙」のたぐいのコメントの比率が多いのを、動画をそのまま楽しんでもらえたと勝手に解釈しております。
 一方で今作では、幻想郷において、「誰がピアノを弾けるか」、「ピアノの値段はどれくらいが適当か」、という所は意見が分かれるところだと思っているのでコメントも沢山つくのではないかと多少は感じていました。ですので、ちょっと驚いてはいますが、そんなに意外ではないです。作品の構想を練っている段階でリリカ、プリズムリバー三姉妹のことを全く考えなかった訳ではありません。ただ、彼女らは自由な存在であって、「社会」との関連性があまり高くないような気がします。ですので、今回はあえて触れませんでした。霖乃助は「誰も弾けないだろう」という旨の発言をしていますが、あれは基本的には店にやってくる人間と妖怪を念頭においた発言だとすれば、そんなに間違っていないような気もしています。ピアノの値段は適当です。ちなみに単位をあえて書いていないので、正確には全く意味のない数字ですよ。もちろん現在の日本円でちょっと高めの中古ピアノの値段を調べて参考にはしましたけどね。

 私事ですが、制作環境が新しくなりました。ですので、これまでの制作環境の移植やら、ニコ動祭への参加の検討やら、ちょくちょく次作の制作がストップしそうです。その辺り、気長にお待ちくださいませ。

2014/05/18

後書き ピアノのある風景

さて、新作を無事投稿できました。今回は3部作の予定です。

 私はピアノにかぎらず楽器全般を弾けないのですが、この歳になって弾けたらなぁと思うようになりました。ちょっと気持ちを落ち着かせるために、暇を紛らわすために、そして楽しむために。私の周りには存外楽器を使える人が多くて、それがちょっとうらやましいだけなのかもしれませんが。そういった私の個人的な思い入れが起点になっている作品です。早苗さんがピアノを弾く場面がありますが、これはtwitterで幻想郷での録音作業を募集したところ、underdog氏が快諾してくれましたので、氏が音源をとってきてくださいました、ありがとうございます。

すこし、制作について。
 香霖堂の店内を描くのは疲れました。雑貨屋あるいは骨董店の店内のごちゃごちゃした雰囲気を出したいのですが、膨大な書き込みに気後れし、そして私の脳内に上手くそのイメージが湧かないものですから、かなりこざっぱりした店内となりました。一応、コーヒーや紅茶など、これまでに描いてきた幻想郷で香霖堂で扱っている商品は置いてあります。そして今作、朱鷺子をはじめて描きました。わりと幼い印象ですね。霖之助さんはわりとドライな感じがします。ピアノに関しては弾いても減らないからなんとも思ってないのでしょう。そこにあるだけで価値のある性質の物ではないので、むしろ弾かれるべきだと思っているのではないでしょうか。
 早苗さんは最初の数コマはちょっとパーマをかけてますが、瞬く間にストレートに戻っています。私が鶏頭なのと、ちょっとやぼったい印象になるので、やめました。どうしてでしょうね。切れ長の目の方が好きだからですかね。早苗さんはどちらかというとかまぼこみたいな目の形をしているのですが、どうもこう・・・可愛いのですが、少し・・・。

ま、個人的な好みの話はさておき、ピアノを巡る日常を3部作でお送りします。慧音先生の登場で次はどうなることでしょうか。それではまた次回まで。

2014/05/17

紫色

まだ半袖には遠い雰囲気、先日の雨でまた少し初夏が遠のいた気がします。


さて、過ごしやすい日が続いており、ご機嫌なので先日散歩してました。菜の花は終わり、茂みの高さもましてきてタンポポも目立たなくなりましたので、「黄色」の華やかな彩りは少し減ったように思います。今は「紫」が目立っているように感じます。アザミ、藤、桐の花が咲いていますね。あ、そうだアヤメもそうです。アザミの濃い紫も、「藤色」に形容される淡い紫も素敵な色です。まだ若い草木の鶸萌葱と、少し落ち着いた苔色の斑点の中に紫の気品のある色が映えますな。
 紫と言えば、冠位十二階でもっとも高位の色。私としては紫というのはかなり上品な色だと思っているのですが、世の中には「欲求不満の色」という解釈もありますから、こちらだとお世辞にも上品とは言い難いですね。別に色に対する“解釈”を押しつけるほど下品な事はしませんが、「李さん、紫好きですけど、欲求不満なんですか?」と言われると(実際あるわけですけどね)、冗談とはいえそんな風に見られていた可能性にびっくりするわけです。

 昔、ショウブとカキツバタとアヤメの違いを教わった記憶があるのですが、忘れてしまいました。カキツバタといえば尾形光琳が有名ですね。簡略化されたカキツバタ一つ一つは平面的な絵なのですが、配置の妙によって奥行き感があるという、へんてこりんなふすま絵だと思っています。一度、お目にかかりたいものですな。


2014/05/10

禁色 その後

肌寒さが戻ってきて、今年は春が長いなぁとぼんやりと思っている次第です。
「春眠暁を覚えず」、良い言葉ですね・・・

 さて、先週は三島由紀夫作、「禁色」を読んでますよ、という話をしました。その後、ぼちぼちと読んでいまして(=新作の制作は滞ります)、先日読み終えました。さて、例によって読後は虚脱感が残ります。ちなみに私のぼんやりとした予想は裏切られましたが、違う意味で当たったような気もします。ま、これはどうでもよいのですが。さて、本作の主要な登場人物達はそれぞれが「完全性」を有しているわけなのですが、そのために全体として人工的な、抽象的なと申しましょうか、どこかガラス細工のような精巧さが感じられます。かといって、それが物語として不自然ではなくてむしろ当然であり、時折登場する「ありきたり」な人物との対比によってますますその完全性と美しさが際だつという、ある種、奇妙な納得感を抱かせるものになっていると思います。なんだろう、この表現のしにくさ。・・・興味があれば読んでみてください。

 さて、こうしてまた三島由紀夫の本が増えていったわけですが、実はすでにもう一冊の本がそのページを開かれるのを待っています。・・・ただし、三島由紀夫ではなくて、岩波から出ている「ドン・キホーテ」ですが。これはまたゆっくり読むことにします。5月中には次の作品がでる予定です。

それまで皆様も読書など、気長にお待ちくださいませ。

2014/05/03

禁色

世はGW、皆様如何お過ごしでしょうか、李花尺です。
ちなみに私はちょいと用事がありまして、GWはどこにも行けそうにありません。


 さて、先日東京に行くことがありまして、道中のともに三島由紀夫「禁色」を買いました。現在、行き帰りの新幹線で1/3ぐらいを読んだところです。いまのところ、美と男色と女への歪んだ復讐の話です。私はなぜ男色の話を抵抗無く、むしろ興味深く読んでいるのでしょう・・・我ながら不思議です。もちろん、「行為」そのものの描写など(いまのところ)無いですし、男色そのものというよりは男性の「美」を扱っているために、嫌悪感が出てこないのかもしれません。それとも本質的に自分がかの世界への興味をもっているのでしょうか?
 まだ本作がどうなるか私には分かりませんが(ぼんやりと“彼”の運命が思い浮かんだりしたりはします)、ちょっと気に入った一節があります。

あらゆる文体は形容詞の部分から古くなる

はっとさせられる文句だと思います。人間が語るべきことなんてそれほど多くなくて、古代ギリシャの哲学者から諸子百家・シェイクスピアや近松門左衛門によって語り尽くされていると思います。でも今日も新しい小説が生まれるのは、きっとこのためだったのでしょう。青春の甘酸っぱさなんて今も昔も本質的には変わらないと思いますが、環境というか、小道具というかそういった形容詞的な部分が変化していって、昔の曲の歌詞が古くさく感じるのと同じなのかもしれません。

そんなことにあらためて気づかされていたりします。