2014/07/26

ピアノのある風景 02 あとがき

さて、やっとこさ第二話を投稿できました。

 それにしても話が進んでいませんな。・・・ともかく、ピアノは学校(寺子屋)にいくことになったようです。1話の最後に慧音先生が登場しましたから、およそ皆さんの予想通りに進んだのではないかと思います。ふと思ったのですが、最近慧音先生の出番が多いですね。そのように感じます。

 慧音先生がピアノを早苗さんから教えてもらうわけですが、果たしてどれくらいの期間が経ったのでしょう。ちょっとわからなくて結局数字を入れるのをごまかしました。数日のような気もしますし、一年まるまる必要な気もします。簡単な童話のメロディーを弾くことを想像すると、それほど時間は経っていないと思いますよ。

 さて、この物語において早苗さんの内面はこの話の「きも」の部分なので、どこまで描くかはかなり悩みました。小説と違って、手書き動画は内面を描きにくいです。もちろん、雲みたいなフキダシで心情の描写をやってもいいのでしょうけど、なんだか格好が悪いような気がして私は避けています。置かれている状況を丁寧に描写して、あとは表情から読み取ってもらうのがいいかなぁと思っています。

 そうそう、本作では早苗さん、ずっと蛇のアクセサリーをしていません。これに深い理由はありません。内緒の話ですが、一番最初に描き忘れて、直すのが面倒くさかったこと、後からなんの説明もなく蛇を復活させるとこれまでつけていなかったことに理由が必要なので、それ以降、意固地になっているだけです。なんとまぁ偏屈者なんでしょうね。

 ひとまずピアノが落ち着いたところで、次はどうなることやら。描きたい情景があるのですが、表現できるかが不安です。では、また。(あとがきを描いたので、週末雑感はおやすみです)

2014/07/19

3連休です。あんまり関係ありませんが。


 21日は海の日ということで、少し海にまつわる話でも。私は海のそばで育った人間なので、基本的に海が好きです。川とか湖とかは苦手です。琵琶湖で泳ぐ人もいるそうですか、なんだか怖い。川も足をつけるぐらいなら気持ちいいですが、泳ぐのは少し怖い。海なら足がつかなくても、砂浜からだいぶ離れても平気なのですが、妙な話ですね。
 海で遊ぶと塩でベタベタするから嫌だ、シャワーを浴びないといけなくなるから川(淡水)のほうがいい、という人にもあったことがあります。なるほどそうなのかもしれません。でも海のほうが好きなのはどうしもようもありませんな。

 さすがに潮騒が聞こえるほど海が近いところに住んだことはないのですが、一度、海から数mの民宿に泊まったことがあります。静かにしていると、波がくだける音がしていました。焚き火のはぜる音と同じように、じっと聞いているだけで落ち着くものですね。

 皆様も一度、「海が聞こえる」ところに泊まってみてはいかがでしょうか。あ、この映画は見たことないです。

2014/07/12

セミが鳴き始め、日に日に暑くなり、先日はとうとう冷房のお世話になりました。すっかり夏ですね。

 清少納言曰く、夏は夜だそうです。確かに昼は暑いですし、あまり活動したくないですな。そういえば、今年は今の時期が、月が最も地球に接近するそうです。今日あたり満月ですから、少し夜空を見上げてみるのもよいかもしれません。ただ、私の住んでいる地域では梅雨前線がまだ居座っていますので、あまり天気は良くないようです。
 動画内で月を描くときはついつい満月にしてしまいがちです(楽ですからね)。一度、月の周期をしっかり勘定にいれて物語を作るのも面白いかもしれません。

2014/07/05

嵐が丘

どうも、李花尺です。
動画作成をがんばるとかいいながら、本を読んでました。

「嵐が丘」

この「嵐が丘」という言葉に対する、明確に思い出せる最初の接点は鬼束ちひろの同名の曲なのですが、でもこの曲名を聞いた時にはこの曲名が「小説」からきていることを知っていた気がするのです。それ以前にどこでこの小説と接していたのか、本当の意味での最初の接点は思い出せない。ただ、「嵐が丘」というタイトルだけを覚えているという妙な小説でした。そして漠然と、怖い印象をもっていました。

さて、実際に手に取ってみると、まぁ不気味な小説でしたよ。なんという狂気!だいたい序盤の夢の描写が怖すぎるんですよ・・・。彼女(キャシー)自身が嵐が丘の自然のような二面性(のどかで優しくておだやかな面と風の鳴る吹雪のような猛々しい面)をもっていましたし、序盤の夢の強烈な印象をずっと引きづりながら物語を読み進めていかないと行けない訳ですから、それはもう、美しいシーンだってその裏側に激しい嵐が見え隠れして私の心はもう、ぐったりです。
彼女は端から見たら我儘で、横柄で、かわいいだけが取り柄の勘違い屋さんで、最後はその自分の我儘がために気をふれてしまった女なのかもしれませんが、どうしても嫌いになれないのです。およそ私には理解しかねる考え方であって相容れないのですが、どうしても嫌いになれない。なぜなのか、今ももやもやしています。彼女が我儘だけれども真剣に生きて、だれかを騙そうとしたわけではない、二面性はあるのだけどそれは決して表と裏というわけではなくて、どちらも表のようなものだからかもしれません。
ヒースクリフもおよそ自分にまじないをかけてしまってはいるものの、彼女がいうように彼女と同じなのかもしれません(何言ってるんだこいつ?という方はまぁ、小説を手に取ってください)。彼の幼い頃にうけた仕打ちを考えればこそ、彼もまた嫌いになることはできない。でも彼がやったことはおよそ受け入れがたいですし、巧妙な手を使うことに関してはやはり悪魔だと罵られても仕方のないことでしょう。そもそも復讐になんの意味があるというのです?・・・彼が最後に自分の良き思い出をはからずとも目の前にみてしまったことで、彼ははたして救われたのでしょうか。彼が悪霊に取り憑かれたのか、幸せな幻覚をみたのか、私にはちょっとわかりかねます。ただ、最後は彼の望みは叶ったように思えます。彼の最後は彼の行った所行に対する罰であるとは、すこし思えないのです。

さて、彼・彼女の魂の行方に関して、私はこの物語の一部始終を聞いたロックウッド氏のもった感想に素直に賛成します。そんな気がするのです、私も。


兎も角、非常に面白い小説でした。私は彼・彼女のように「激しく」生きることができるほどのエネルギーをもはや持ち合わせていないので、少し羨ましくあります。そんなところに惹かれますね。人は人の持っているものがほしいのかもしれません。