2015/12/27

白夜行

お久しぶりです。
なかなか筆が進みません。秋の話にしておけば、自分でも期限が守れるだろうと思っていたのですが、一度離れた習慣は…これは以前書いた言い訳ですね。遅々として進みませんが、止まっているわけではございませんので、もう少し気長にまっていただけたらと思います。しかし、私が初めて投稿した頃に比べると、東方手書き劇場もややさみしくなりましたね。。。


さて、白夜行を友人に勧められて読みました。初めての東野圭吾です。本作はドラマ化、映画化されておりますが、どちらも見ていません。また、どうしても物語の核心部分に触れたいので、まだお読みでない方は、以下の感想文はお読みにならないで頂きたいです。

よろしいでしょうか。


まず、私はこの作品をすごいと感じましたが、嫌いです。幼児性愛の被害者である雪穂が終盤、取り入った男やもめの前妻の娘(まだ中学生)をいわば「てなずける」ために、男に襲わせたこと(犯された)が、私の理解を超えたからです。雪穂はすでに触れられてはいけない過去に接近しそうになった女性を二人、高校時代と大学時代に擬似的に性犯罪の犠牲者に仕上げ(二人は犯されてはいない)、彼女達を貶めています。二人は裸にされただけですが、終盤に雪穂は義理の娘を自分と同じ目にあわせているわけです。しかも、犯された義理の娘は単に雪穂に対する漠然とした警戒心をもっているだけです。たしかに、義理の娘の魂を奪うには効果的な方法なのかもしれませんが。
 雪穂が人間を信用しない理由として幼児性愛の被害にあったこと、そして仕方ないとはいえ、殺しという最悪の方法でそこから救ってくれたであろう亮司に大きな恩を感じ、唯一の心を許せる存在であったであろうことは(二人は以前から仲がよかったこともあって)、想像に難くありません。また、その二人が結果的にいろんな罪を犯し続けなければならないことになったことはまぁ、理解しないでもない。雪穂と亮司にとって二人以外はみんな敵であるならば、いずれの犯罪も二人の中では当然のように許されるのかもしれません。が、障害になる可能性のある義理の娘を平然と強姦させる思考をもつ二人の内面を理解できない。二人は歪んだ性愛をもった父親と、娘を売る貧しい思考回路をもった母親の被害者であることはわかります。が、が、です。私は二人を擁護することはできないのです。

二人は白夜の世界を歩き、歩き続けてどこに行くつもりだったのでしょう。二人が吐露した普通の世界へのかすかな憧れは哀れではありますが、私にはこれを悲劇とは思えないのです。

悲劇の皮を被った醜悪ななにか。

ここで私が断定した二人の関係や事件の真相は作中で全て明らかにされたわけではありません。ただ、義理の娘はたしかに犯され、その仕掛けはほぼ、雪穂によるものだと思われる。どんな経歴のある人なら、この所業を肯定できるというのです。

私は薄情な人間なのかもしれません。二人の悲劇性を認めないのですから。認めないというよりも、認めた上で、それ以上に嫌悪感が強いと言ったほうが正確かもしれませんね。

友人にはどうやってこの読後感を伝えようか悩みます。

2015/11/01

紅楼夢初参加の感想

どうも、李花尺です。

本日は紅楼夢へお邪魔してきました。
本当は雰囲気だけを感じ取ってそっと帰るつもりだったのですが、ぶらぶらしていると鮮明に覚えているポスターが・・・。
そう、「鳥取さばく帝国」さんです。

買いました。

厚かましいことに名乗り出て、サインまでしてもらいました。なにぶん初めてのことで、ワタクシうまく名乗ることができませんでした。でもにひまるさん、私の名前を覚えていてくださって、本当に丁寧に対応していただきました。多謝!!





さてさて、マヨヒガネコ、つゆときえにし(以上、にひまる 氏)、そしてLOCUS OF CONTROL(海兎 氏)を読みまして、早速感想をば。

マヨヒガネコ。

お話に余白というか、いろんな余地があって、気持ちがいいですね。感覚的でうまく言葉にできませんが、ぼかされている部分が気になるけど、「そういうものだ」という納得と、「こうなんだろうなぁ」という自分の推量がうまくバランスをとることができる余地の量なのです。たとえば、もっと「謎」の要素がつよければ、謎を考えるのが面倒になりますし、もっと明快なら、いや、それはおかしいとか、ロジカルに反発したりします。ようはジャストフィットなのです。というか、こいしちゃんがかわいいんじゃ。
あと、「最期の話」。ポラロイド、良かったですね。向こうにはもしかしたら帰れないのかもしれないですが、撮りたかったもの(見たかったもの)はこっちで見ることができたようで。いや、それを拾ってくれる彼女がいて良かったのかもしれませんね。

つゆときえにし。

つゆってそっちね。・・・蕎麦食べたい。紫さま、怖いですなぁ。あんまりそういう面を私は描きませんが、本来はそういう面があってしかるべきだと思うのですよねぇ。あと、紫さまの下まつげ、ものすごく魅力的です。妖怪らしさというものを見た気分です。しかし、彼の登場で地下の台所事情が改善されると思うとなかなかシュールですな。きっとそのうち、精製されたものも出してくれそうですね、妖怪ですから。そういえば、彼は彼女が見えているようですが、自我がそれほどないからだろう・・と、なんとなくわかります(このあたりのバランスが良い塩梅なのです)。

LOCUS OF CONTROL。

happy end. 素直に信じますが、信じきれないのもまた偽らざる感想です。最後のつよくにぎった手を信じたいですね。序盤、唐突に上からこいしがこいしを投げてきますが、少女が目を覚まさない彼に投げた石と繋がっているのかと思うと、なかなか面白いですね。しかし石を投げるってなかなか無茶しますなぁ。少女も必死だったのでしょう。locus of controlという熟語は恥ずかしながら知りませんでしたが、教育心理学の用語のようですね。日本語では「統制の所在」と訳されるようです。白状すると、これを調べたのは読了後でして、そうして改めて読み返すと、彼は「意識」と「無意識(というよりも潜在的な欲望というか、さだめというか)」がこれから問われていくのでしょう。だからこそ、happy endであって欲しいですね。


さて、本日はここまで。会場で感じたこと、その感想についてはまた来週のネタに。
紅楼夢に参加された皆様、お疲れさまでした。

2015/10/30

オトナ

明日は紅楼夢ですね。
暇があればあの世界を共有する人とお会いしてみたいと思います。

さて、それとは別の話題。

教養と理性と愛情とちょっとしたニヒリズムをもった人になりたいと思うようになりました。そんなオトナになりたいと思います。しかしお酒が入ればすぐに 本性があらわになって、間抜けで、くだらないことに口を開けて笑っている自分がいます(場に合わせるという面も無いわけではないですが)。もし、お酒が入った自分がより本質的な部分であるならば、それはしかたないことなのでしょう。でもそのあられもない、あんまり好きでない自分に、好きな自分の皮をかぶせることは自分を偽ることなのでしょうか。

私がなりたい自分が本音で、お酒の入った自分を建前にしたいものです。

2015/10/24

予定は未定

秋めいてきました。
日中はまだ暑い日もありますね。


さて、活動再開と言っても解凍段階です。
ですが、次の話を作る作業は進めておりまして、すでに台本は出来上がっております。これまでの作品は、動画は何パートかに分割されるような場合でも、通しの台本がほぼ完成してから作画するのが常でしたが、今回はどれだけ続けるのか、どこに着地点があるのかすらわからないけれど、ともかくも次を作ることは決めた形で第1話の台本だけ出来上がっています。

はてさて、吉と出るか凶と出るか。
タイトルは、「縁側日記」です。

2015/10/18

ご無沙汰しておりました。

どうも、ご無沙汰しておりました、李花尺です。

10月です。
確認したら、今年の1月から更新をやめているのですね。新年の挨拶をして、抱負を述べて、そのままなんの連絡もなく失踪していたので、あまり褒められた態度ではありませんでした。

さてさて、私事ですが、本年度から大きく環境が変わりました。今年の1月、すなわち昨年度末から猛烈に忙しく、ついついほったらかしにして、今に至るわけですが、一度失った習慣を取り戻すのはなかなか大変なものです。

・・・で、ちょっと余裕も出てまいりましたので、ちょこちょこリハビリをしていきたいと思い、まずはこのブログにて報告までを。


ブログのタイトルを更新しましたが、現在、大阪におります。ということで、李花尺亭、大阪店ということで、新装開店してまいりますので、お気づきになられた方は、ご贔屓ほど、よろしくお願いいたします。

では

2015/01/17

あらさー

今日はセンター入試ですね。今年は天気も比較的穏やかなようでよかったです。例年、大雪で遅れたりしますから。ずいぶんと昔のことですが、私が受けた時も結構な雪だった記憶があります。


さて、最近は投稿間隔が広くなっていまして、本当は月一ぐらいは投稿できたらなぁと思うのですが、そうでもありません。それでも、投稿がない日が続いても新しいコメントが以前の動画についたり、私のアカウントを新たにお気に入り登録してくださる人がぽつぽつといらっしゃいます。おかげさまで、お気に入りの被登録数2000まであと僅かになりました。ともかくも気にしてくれる人が2000人近くいるかもしれないと思うと、大変なことですね。さしあたって、被登録数2000人を達成したいです。

ここまでの道のりを振り返ると、初投稿が2010年ですから、かれこれ5年目に突入するわけで、当時すでに成人してましたから、四捨五入すると確実に30歳に近いことになります(まだ30ではないのですが・・・)。一時、「アラサー」という言葉が流行りましたが(今でも使うのでしょうか)、少なくとも、自分もそれにふさわしい年齢になりました oh...。
30というと「大人」な響きがあるのですが、私は自分が思っていた大人になったのかなぁと思うと、少し違うような気もしますが、おおよそあっているような気もします。でも、大人だ子供だなんて、相対的なものなのかもしれません。年配の方々の輪に私が行けば、私は子供扱いされるでしょうし、ちびっ子といれば私は大人として振る舞うことになるでしょう。近頃、私の親は子供のようになったと感じることもありますが、人生を折り返して子供に戻っていっているのか、それとも私が相対的に大人に近づいたのか、まだわかりかねます。


幻想郷の面々はみな「少女」なのですが、私が年をとるにつれて描かれる彼女たちは、ますます精神的な年齢が高くなっているような気もします。一度、うんと若くて向こう見ずな彼女たちを描いてみたいものです。大人(古い妖怪)へのあこがれを持つ少女(霊夢や魔理沙)というのも、ひとつありかもしれませんね。

2015/01/11

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。


思い出せば、1月4日は土曜日で普段ならこのブログを更新する曜日でしたが、新年の連休で曜日感覚がありませんでした、ごめんなさい。・・・さて、言い訳はおいておき、2015年になりましたね。今年もぼちぼちと動画を作っていきたいと思います。

今年は輝針城に登場した妖怪たちを描いてみたいですね。付喪神(のような妖怪)が増えましたから、彼らのなかの交流とかどうなっているのでしょう?草の根妖怪ネットワークなる素敵システムがあるので、これも広げていけるのではないでしょうか。

これからも彼女らについて、ふと感じたことや思ったことを描いていけたらと思います。今年も李花尺をよろしくお願いします。