本作を作るきっかけはマミゾウを登場させたいな、という思いと、眼鏡を描くのが面倒くさいな、という思いです。なんと不純なのでしょう。後はtwitterで、ヒントを頂いて本作のアウトラインができました。ですから、本作でなにか伝えたいテーマがあった訳ではありません。まさに「ととも」シリーズらしいというか、なんでもない幻想郷の一出来事です。これでは新聞にもなりそうにないですね。
マミゾウを登場させるにあたり彼女についていろいろ考えてみたのですが、化け狸ということでつかみ所の無い性格なのではないかなぁと思いました。そして人間との関わりが深いですから、人情味もあるだろうと。動画ではわりあいつかみ所のない性格を描けたのでは・・・ないでしょうか。あと、ヌエの表記がぶれぶれだったり、UFOになったりするのはヌエの実像があいまいであることを表現したかったのであって、まちがえている訳ではありません。本当はニトリに化けているシーンも考えたのですが、さすがにややこしすぎるのでやめました。後、ヌエもマミゾウと同じ様に、自由なつかみ所のない性格をしています。ニトリに名乗る所でなぜかグラビア風なのは、思いつきでニトリを惑わそうとしたためですが、まったく効き目がなかったので、次のシーンでは少々へこんでいます。マミゾウは大人でなにを考えているのかよくわからない、どちらかといえば紫タイプの性格ですが、ヌエは小さい子供がなにを考えているのかよくわからないようなタイプの性格かなぁと思います。
結局、眼鏡を二つ買う訳ですが、ひとつはマミゾウが自分で買った以前と同じようなものですが、もうひとつはヌエが選んでくれた眼鏡です。どんな眼鏡なんでしょうか。最後にそのシーンを描く予定だったのですが、やめました。ヌエは子供っぽいところを残しているので、ややセンスがずれている様に思いますので、もしかしたら「変な」眼鏡かもしれません。ただ、正直者の星が最後に「素敵な眼鏡」と表現しているので、似合っていることは間違いないと思いますけどね。
今作はthe last incident のような重たい雰囲気とは逆の明るく、朗らかな幻想郷の日常を描きましたが、ちょっとだけ、妖怪に関する考察が含まれています。お気づきの方も多いでしょうが、動画の1:25の当り、眼鏡が無いとおちつかない、とマミゾウが発言しています。ニトリとのやりとりでも「妖怪だからこそ必要だ」と述べています。これは妖怪は肉体的には不可思議な生き物であって、肉体的な能力というのは差こそあれ、自分で制御できるだろうという考えから来ています。目がわるい妖怪というのは、本当に目が悪いのであって、眼鏡で補正が効くような次元ではないと思うのです。なにかを犠牲にしてちがう何かを得ているのが妖怪ではないでしょうか。マミゾウの眼鏡というのは、目が悪いからではなく、「人間とのやりとりができる知性」のようなものを表していると考えました(ないからといって知能が下がるというような事は古い妖怪ですからないと思います)。眼鏡をかけて人間に化けたりして高利貸しを行ってきた過去と関わるためにないと落ち着かない、そういった事だと思います(霖之助は半分人間ですから、人間と同じ様に視力を補うために必要)。ちなみに、天狗の帽子は天狗社会に属しているという証だと思うので、前回、「文の取材 秋」で文もハタテも帽子をとっていたのは、個人として接するためだと思います。
服装は変えても、ゆずれない「なにか」、自分を規定する「もの」をもっているのが妖怪という存在なのではないかなぁ、そう思っています。
どうも・・・李花尺さん はじめまして いつも「ととも」と長編シリーズ愉しませてもらってます 最後の鵺の買ったメガネのマミゾウが気になります ううむ妄想をかきたてられる
返信削除今回も面白かったです。
返信削除ありがとうございました!
HIDEKさん、willさん、コメントありがとうございます。
返信削除どんな眼鏡かはいろいろ想像してください。ちなみに一番最初のプロットでは「ざーます」な奥様が掛けているようなとがった眼鏡でしたけど、今はそうは思いません。
「視聴者を生殺しにすることに定評のある李花尺」というタグもつきましたけど、褒め言葉だと思って喜んでいます。もしかしたら、今後、「ととも」シリーズでマミゾウさんが出る時に描く・・・かもしれません。