2011/12/28

森近霖之助、ラフスケッチ

なんだか普通のお兄さんですね。次作に登場予定です。
「霖」の字が変換できなくて「張作霖」から変換するのは異端でしょうか?

2011/12/17

げっしょくの夜に 【後書き】

ピクシブに簡単な漫画をあげました。月蝕の話です。

 今日、新作(文の取材 秋)をニコニコに投稿しまして、ちょっと自分のニコニコ大百科の記事をのぞいてみたのですが、たくさんのコメントがついていました。ありがとうございます。そのなかに(というかこのときの最新のコメント)、

先日の蝕、李花尺さんなら良い動画を作れそうだよなぁ…。

というものがありました。
 ほぅ・・・幸いなことに、私の住んでいるところからも月蝕が拝めまして、ものすごく神秘的なイベントを楽しむことが出来ました。結構素直に感動していたので、特に着想は得られていなかったのですが、コメントに触発されて、ちょっと物語を即興でつくってみることにしました。
 で、できあがったのが、ピクシブの漫画です(↓)。

 即興なのでいい加減な部分も多いです。いつもは会話(台本)をまず推敲してから作るのですが、今回はそれをしていないので、ちょっと投稿してから見直すと、やや説明不足というか行間が飛びすぎている嫌いがあるかもしれませんが・・・まぁ、古い妖怪同士の会話なのであれぐらいの行間でも良いのかもしれません。動画だと「間」をこちらで制御できるので、沈黙が伝わりやすいのですが、漫画だとちょっと間をとる技術が未熟なのでテンポが速すぎるかもしれません。
 あとはペンタブで字を書くのってものすごく難しいですね。手書き動画にはせりふも手書きの作者さんがたくさんいらっしゃいますけど、こんなに大変だったとは・・・元からそんなに綺麗な字を書くわけではありませんが、これはちょっと酷い。

今回は漫画に(即興ながら)挑戦してみましたが、どうやら漫画よりは動画のほうが私には適しているようです。漫画、難しい。もっと早く作れるのかと思っていたのですが。

文の取材 秋 【後書き】

さて、文の取材の続編です。

今回はハタテにちょっと焦点を当ててみました。
 文の言動を写真で振り返る「花果子念報」を新聞として評価したのは文ぐらいで、やっぱり世間一般には「写真集」ととらえられたようですね。作中でもニトリは「文の写真集」というように表現してます。文はそれをいちいち否定しませんが、文ははたての新聞を「写真集」とは決していわないところは彼女なりの新聞づくりへのこだわりとハタテへの理解ではないでしょうか。
 12月の頭、紅葉のさかりに「あぁ、紅葉を眺めながらお酒を飲む二人組を描きたいなぁ」と思い立ちました。後はちょっとリクエストもありまして(実はリクエストとは違う方向の作品になったので、ちょっと申し訳ないのですが)、本作を作るはこびとなりました。が、作り終えた今、こうしてあとがきを書いている窓の外は

雪です(笑)

あらら、現実の季節とはズレがうまれましたが、仕方が無いですね。

 ところで、皆様は紅葉を見にいかれたでしょうか?私は田舎在住なのですが、杉林も多いので山が燃える様を毎日みることはできません。それでもちょっと場所を探せば、夕暮れ時、山全体が朱に染まり、柔らかな影を作って秋の深まりを感じさせてくれる所へ行くことができます。田舎の特権ですね。紅葉の名所というのは人が多くてゆっくりと自然と対峙することはできませんから、あんまり好きではないです。

 文とハタテは良きライバルです。お互いが相手の長所を認めているけれど、それを面と向かってほめるのも恥ずかしいですから、悪態をついたりする、そんな関係です。そんな関係は端から見たら両思いなんだけど素直になれない恋愛と同じように映るのでしょう。ですから、ニトリはちょっとだけ文とハタテの関係を勘違いしています。別に二人きりにさせたところで、「あやはた」は起こらないです。
 ニトリは文やハタテにとってちょっとお節介なところがあるけど、卓越した技術と面倒見の良さから、なんだかんだで離れることのできない大切な友達なのだと思います。後は二人の間の緩衝剤や情報伝達の役割を持っているのだと思います。

 暗転で紅葉狩りの最初から夕焼けまで飛ばしましたが、この間、どのような会話が行われたか、私も気になります。きっと、ニトリや椛のこと、新聞のこと、持ち寄ったお酒の肴のこと、他の天狗のこと、これらをとりとめも無く、ぽつりぽつりとしゃべっていたのではないでしょうか?それほど密度の高い会話をしていたとは思えません。

「文の取材」にくらべてハタテがおとなしいように思えますが、その辺り、ニトリの考察はある程度正しいのでしょう。その辺りの葛藤はそこまで描いていませんが、自分は「文屋」だと思っていたのに、念写による写真集をつくる天狗であるとバカにされたらそれはへこむでしょう。おそらく、そういう自分の自分に対する認識と世間の目(からかい、ですけど)のずれがちょっと高飛車な性格を引っ込めさせているのでしょう。

いつになく雑多な後書きになりましたがご勘弁を。


年内はこれが最後の投稿・・・かもしれません。では皆様、よいお年を!

2011/11/28

次の話 【ネタバレ?注意】

さて、The last incidentも終わりましたので、次の話をどうしようか迷っています。以下、確定的なことは書いていませんが、何が来るかを楽しみにしておきたい人は閲覧注意です。


2011/11/27

The last incident #4 【後書き】

さて、物語が終わりました。

前回(#3)が山場でしたので、今回は霊夢が博麗神社に戻ってきたのちの話をお送りしました。しかし、なんだか、終わりを描くと虚脱感がありますね。別にこれでこの世界から離れる訳でもないのですが。・・・・では少々、後書きをば。

魔理沙は優しいですね。優しすぎるかもしれません、そう思います。本作を作っていてそう思いました。ただ、作中では描いていませんが、当然、最後の異変から3日の間に、紫を始め、パチェさんやアリスなどから魔理沙は情報を集めたでしょう。だから、霊夢が起きてくるまでに、ある程度気持ちの整理はついていたのではないでしょうか。だから、あえて霊夢をきつく問いただすことはなかったのだと思います。

そして最後に、霊夢は境内の掃除に向かいます。そして、その夕べに、きっと紫がやってきます。そして「霊夢、夢の後」の回想シーンへとつながる訳です。

霊夢はこれで博麗霊夢から、霊夢へとなりました。冒頭の少女は、はてさて、霊夢が幼い頃の様子を夢見たのか、次の「霊夢」を夢見たのか・・・。李花尺としては幼い頃をを思い出したのだと思います。霊夢が紅魔館で昏睡状態におちいって、そこから戻ってくる過程にみた、「ただの霊夢」が最初に見た夢が博麗霊夢の始まりならば、なんだか皮肉のような気もします。しかし、やっと「人間としての霊夢」がまた始まると思えば、幼いころの自分を思い出すのは、必要な事の様にも思えます。実は、走馬灯のようにこれまでの異変を夢見るという事も考えたのですが、これからも東方Projectが続いていくであろう事、過去を振り返る事を霊夢は考えていないであろう事から、やめました。


さてこれにてThe last incidentは終了です。ご視聴、ありがとうござました。

李花尺

2011/11/19

The last incident #3 【後書き】

さて、3話が終了しました。内容としてはvsレミィとvsフランでした。後は、ちょっとした後日談を作ればLast incidentも幕を閉じます。お気づきの方も多いと思いますが、この物語は「霊夢、夢の後」の前日談にあたります(ん、すでに言ったか?)。「霊夢、夢の後」に出てくるあのシーンにつながる終わりを準備する予定ですので、もう暫くお待ちください。

運命

実を言うと、今回のレミリアとの会話がこの物語を作る発端となっています。

「運命なんて過去を説明する便利な道具でしかないわ」

これは私の運命に対する感想でもあります。単なるアマノジャクな意見とも言いえますけど。歴史にifはないわけですが、人間はifを考える事のできる存在であって、そのifに悶え苦しむのが人間の深さ(←適当な言葉が見つからない)なのかもしれません。また、どうしてifになりえなかったのかを冷徹に考える力が人間の知性なのかもしれません。が、運命という言葉はそれだけですべてを解決できる魔法の言葉ではないでしょうか。一方で、あまりに理不尽な、自分ではどうしようもない出来事に対して、運命という言葉は救いだとも思います。それを否定するわけではありませんが、できれば、運命だと思わずに、「どうして?」を背負って前を向いて生きていきたいものです。・・・幸いにも私は運命を信じたくなるような思いをする事無く生きてきたから、こんなふうに考えることができるのかもしれませんね。

レミリアは本当に運命を操る程度の能力を持っていないのか?

彼女は「そのような能力は持っていない」と言いましたが、はたして本当でしょうか。私には見当がつきません。言葉通りの意味であれば、世の中どうにでもなるような能力です。なんでも受け入れる幻想郷なら、まぁいいのかもしれませんが、普通に考えて、過剰です。で、幻想郷の外、おそらく日本でもない所からやってきた事、あるていど精神年齢が低い事を考えると、ちょっと背伸びをしたのかなぁと思ってしまいます。ですから、彼女の言う事は本当かもしれません。でも、私がちょっと考えて察しがつくような嘘をついても意味が無い様に思います。ですから、実は本当に運命を操ることができるけれども、それは霊夢にとって(あるいは幻想郷にとって)望ましい事ではないと考えて、嘘をついたのかもしれません。ですので、私自身は作中のレミリアが本当に能力を持っていないかどうかは分かりません。ただ、設定としては面白いな、と思います。既出のネタだったらごめんなさい。
霊夢はあっさりと運命による工作をあきらめていますが、もともと終わりを受け入れるつもりだったようですから、そんなものかもしれません。それに、レミリアの「秘密」を教えてもらった訳ですから、ちょっとうれしかったのかもしれませんね。

弾幕

ツイッター上でもだえ苦しむつぶやきを聞いた方は推し量ってもらいたいのですが、今回の弾幕勝負の描写にはずいぶんと手を焼かされました。頭の中のイメージはこんなにも形に出来ないものなのか、とか、それとも頭の中にあるイメージとは幻想で、実は私は描きたいシーンをもっていないのではないか、とか、いろいろと悩んだり。私の動画制作というのは、現実逃避の一面を持っているのですが、現実逃避をするなかで苦しむのも変な話ですよね・・・。というわけで、(あるかどうかあやふやな)私のイメージはついぞ、その全貌を具現化する事は敵いませんでしたが、なんとかお送りすることができました。しかし、「弾幕を描く」というthe last incident のシリーズを通しての目標はクリアできたかどうかは非常に怪しい物となってしまいました。もちろん、挑戦して、玉砕して、自分の身の程を知ることが出来た・・・という点はいつものことかもしれません。よく考えると、毎度、後書きでは後ろ向きになっていますよね。

ずいぶんと長い後書きになってしまいました。冒頭でも述べましたが、後少しだけ続きます。もうすこしおつきあいください。

2011/11/11

連絡

どうも、李花尺です。


お知らせがあります。
11月13日ぐらいにThe last incident #3を投稿できるかなぁと予想していたのですが、思いのほか作業が進みませんでしたので、投稿は延びます。どうか、今暫くお待ちくださいませ。モニターが代わってからどうも調子が悪いんですよね・・・

以前はiiyamaのブラウン管を使っていたのですが、壊れたので液晶モニターに換えました。そしたらどうも色味がおかしいのです。おそらくブラウン管の設定が通常とは離れていたのだと思うのですが。液晶モニターだと以前使っていた肌色は見えないし、茶色はずいぶんと黄色っぽく表示されるのです。緑もおかしい。
シリーズを通して色味を統一したいので、今は四苦八苦やっていますが、次のシリーズから今使っている液晶モニターでよく映える色を使っていく予定なので、色使いが代わると思います。それにはモニターが代わった事が影響している事をどうかご理解くださいませ。・・・といってもまだ先の話ですね。


この土日は多分、動画制作に回せる時間も多いので、もしかしたらこのお知らせを裏切ることになるかもしれません。よくある事です。それはご容赦くださいませ。

2011/11/03

コメント

#2のコメントをみて思った事をすこしばかり。

まず、たくさんのコメント、ありがとうございます。

動画コメント「道中は無意味だろ」には最初は面食らいましたが、犯人がある程度推察できる状況であった訳ですから、道中をカットする事は可能ですね。その可能性は全く考えてなかったので、なるほどな、とちょっと思いました。ただ、紅魔館に行く途中で遭遇する妖怪達が、霊夢の「終わり」を悟った上で挑んできている以上、それをあからさまに避けるのは格好が悪いと思います。咲夜と霊夢の会話だけ見れば、霊夢が戦いを避けている様に見えますけど、あれは同じ人間としてちょっといらだちがあったのと、咲夜は強い事が分かっているので、動揺を誘ったのではないかと思います。

私は描かれる人や妖怪達が必ずしも真実を口にするとは思っていません。勘違いもあるだろうし、嘘をつく事もあるだろうし、心にも思ってない事を言う事もあると思います。手書き劇場は「小説」や「動画」ではないので、嘘や虚構をにおわせる事は難しいですから(画力的にも)、どうしても台詞は真実を語っている様に思われるし、そうあるべきかもしれません。ですけど、そうでない台詞を時折作るので、あんまり会話に齟齬があっても突っ込まないでくださいね(*パチェリーとやらかした時は突っ込んでください)。

以下、肩の力を抜いて読んでください。

本作は紅魔郷をベースに作っていますし、ゲーム上の制約をあるていど反映して物語を作っていますが、ボムの数とか、アイテムを落とすとか、そういった点は実はあんまり考えて作っていません。あり得ないかもしれませんが、「どうして倒してもボムや点をくれないのか?」という疑問について、私自身は答えを持ってません。ですので、ボムやエクステンド談義はしてもらうと私が助かります。あんまりいがみ合わずに、「私はこう考えるよ」、とコメントしてもらうと、今後、物語を作っていく上で、非常に参考になります。作者も正解を用意していない、わからない疑問なので、気軽にコメントしてくださればと思います。

#3は13日には投稿できるかなぁ、と予想しています。それまで今暫くお待ちくださいませ。


11月4日;誤字、脱字を訂正

2011/10/28

The last incident #2 【後書き】

さて、美鈴から咲夜までが最後の弾幕をはりました。それぞれ微妙に対する思いが違うようですね。それを言葉の切れ端に潜ませたつもりです。

美鈴の場合は、「寂しさ」が前面に出て、最後を楽しむというよりかは、名残惜しむ感情の方が強い、そしてどうしても戦わなければ行けない理由を見いだせなかったのだと思います。別れの「儀式」として、弾幕を張るよりも、例えば、一日、湖畔で霊夢と過ごしたりする方が密かな願いだったりするのではないでしょうか。美鈴は門番で、霊夢とゆっくり話す機会もなかったでしょうからね。

小悪魔の場合。小悪魔としては実力差がある霊夢とは弾幕をはっても仕方がないという思いがどうしてもあるのだと思います。それは大妖精と共通した感覚でしょうか。パチュリーに貴女も霊夢と戦いなさい、といわれての参戦だと思います。ですから、小悪魔は霊夢を「倒す」という言葉を使っていません。そして最後の「いいなぁ」は、霊夢の持つ力に対して、魅力に対しての純粋な羨望の感情が最後に、ぽつりと出たのではないでしょうか?


パチュリーの場合。基本的にクールですね。弾幕を張った後、霊夢が息を切らしているのに対して、ずいぶんと余裕を見せています。が、これはやせ我慢で、手を抜いたわけではないと思います。手を抜いたら霊夢にばれると思いますから。そうしたら霊夢はそのことを指摘するでしょう。実は、魔理沙が割ってはいるというパターンも考えていたのですが、魔理沙がかませ犬のようになってしまうので、やめました。

で、咲夜の場合。忠実なメイドである彼女は、最後を楽しむと言うよりは、最後のチャンスというか、リベンジのような感覚で望んでいたのかもしれません。霊夢の言葉は彼女に届かなかったのか?それは分かりません。自分がいつか能力を失うかもしれないということと、今、霊夢を倒すということはきっと咲夜のなかでは違う次元の話なのでしょうね。


さて、道中、終わりました。それぞれの人物について、もっと会話をもりこんで丁寧に描いても良かったのかもしれません。が、次の話を早く作りたかったので、ちょいとばかり省略しました。もうしばらく、この話におつきあい下さいませ。

2011/10/17

ふと思った様な、以前から思っていた様な事


東方Projectに限らず、多様な同人活動が活発な状況について思ったことがあります。

これは和歌や俳句の精神ではなかろうか?

和歌や俳句はそれぞれにルールがあります。五・七・五(・七・七)のリズムの縛り、そして季語を入れなければ行けないという縛りなど。和歌には本歌取りとよばれるシステムもありますし、枕詞のように継ぐ言葉を指定する「お約束」もあります。連歌のように歌を重ね合わせていく遊びもありますよね。

このようないろいろな縛りやお約束の中で遊ぶというのは、同人活動にも当てはまっているのではないでしょうか?同人というのはまさに「本歌」があっての活動ですし(さらに同人を本歌扱いにしたものもありますよね、多様な二次設定とか・・・)、原作の人物は季語の様に必ず入っていますし、各キャラクターにはお約束のネタがあったり(ニコニコでは「いつも通りと形容される」精神ですよね)、和歌や俳句にある精神というのは同人活動にも適用できるのではないでしょうか。ただ、字数縛りはないですから、あんまり和歌や俳句と同一視しないのかもしれません。掛詞も字数制限の無い同人にはあまり利用されないルールと言うか技巧ですか。

日本人は、いくつかの縛りの中でいろんなアイディアを出しながらみんな(といってもその遊びを知っている人だけですが)で楽しめる遊びが好きなのかもしれません。あるいは本歌取りとか枕詞のような、分かる人にしか分からない深化する遊びが好きなのかもしれません。



ただいまThe last incident 第2話を作成中です。もう暫くお待ちください。

2011/10/10

一周年

 もうすぐ一周年ですね、という会話を以前twitter上でしまして、「あぁそんなに経つのか」と思いながら、昔の動画を見直し、その投稿日をみるとちょうど今日でした。・・・ということで、今日一日かけて無駄をしていました。無駄の結果がこちら。

 たくさんのキャラクターがいるのですね。ざっくりと書いたので、丁寧さには欠けます。作成途中で中途半端な物を作るぐらいなら、さっさと次の話を描いた方がよっぽど時間の有効利用だと思ったのですが、途中で投げ出すのも癪だったので、なんとか完成させました。・・・うん、あんまり後ろ向きというか言い訳をしながら作る癖を直したいですね。



 と、人間的には大した成長のない一年でしたが、動画の方は、すこしは成長したかもしれません。多少、そのようなコメントも貰うことが出来ました。ここでこの一年を振り返ってみると、投稿数は41件、時間にして、およそ4時間40分。計算してみるとずいぶんと長いですね。これだけ投稿しましたが、まだ描いていないキャラクターも多いし、まだまだ描きたい情景はあります。それに新しいキャラクターも最近仲間入りしましたしね。

 ここで次の一年の目標を掲げてみようと思います。
  • 月一できれば隔週ぐらいで投稿する
 これだけ?、と言われてしまいそうですが、目標はこれだけです。結局、動画作者として求められるのは動画を作ることだと思います。駄作を作らない様にする、より良い動画を作る、というのは大切ですけど、それは前提条件であって、あえて二年目の目標にするようなことでは無いと思いました。

 これまでもたくさんの方に支えられてきました。もし、だれも見てくれなければ早々に動画を作ることをやめていたかもしれません。この一年、およそ週一から隔週ぐらいで投稿できたのも、ひとえに多くの方に再生され、コメントされ、マイリストされ、宣伝されたからです。


これからも李花尺をよろしくお願いいたします。

2011/10/07

The last incident 【後書き】

さて、新シリーズを始めました。3部+αの中編をこれから作っていこうと思っています。作品が始まったばかりなので、後書きが書きにくいのですが、少しばかり。


今回、始めて、東方原曲をBGMとして使ってみました。これまでも使いどころが無かった訳ではないのでしょうが、手元にある音楽で事足りたので、ついぞ使っていませんでした。今回、ちょっと原作をなぞるような動きになるので、原曲を使ってみました。

そこで、http://takeda.is-mine.net/様からMIDI音源を勝手ながらお借りしました。
ありがとうございます。

弾幕というものを描いてみたのですが、う〜ん、非常に難しい且つ面倒くさい。スピード感を出そうと思えば、漫画的な表現—集中線やカットイン、極端な遠近感や魚眼効果—を駆使すればよいのでしょうが、私はその技術を持ち合わせていませんし、別に弾幕を描きたい訳でもないので、中途半端な表現にとどめました。v.s. チルノに至ってはまともに描写していません。この作品を作るにあたって、躍動感のある描写を修得したいなぁというもくろみは持っていたのですが、早くも挫折しました(いや、努力はしますけどね)。

さて、会話ですが、「紅魔郷」の会話をベースに組み立てていたりします(未プレイなので、横着ですが会話まとめサイトなどを参考にしました)。ルーミアの良薬じゃなくなったら〜というのは原作で霊夢がルーミアに言い放った台詞ありきの会話です。そう言った意味では今回の作品はかなり原作依存度が高いかもしれません。

おそらく、一番意味不明なのは大妖精の台詞でしょう。いったいなにが「いいんです」なのでしょうか。基本的にどういう解釈をして頂いてもいいのですがあえて補足するならば、
「チルノちゃんは決して霊夢に勝てないけれど、それでも楽しそうに弾幕を挑んでいるのだから、負けたっていいんです」
ということでしょうか。実際の会話ではなかなかそういうしっかりとした背景があって発言するのではなくて、もやもやとした複雑な感情を処理するために、とりあえず口を開く、ということもありますけどね。


ただいま、この3.5部作(要する所、数としては4部作)を「ととも」シリーズに組み込むか、別シリーズとしてマイリストを作るか、悩んでいる所です。分けた方がいいような気もしますし、分ける必要も無いような気もします。

2011/10/02

冥界の秋 【後書き】

彼岸花が咲き誇っているのを見て、衝動的に作りたくなった作品です。


以前、ツイッター上で白玉楼の二人をいつか題材にとりたいなぁとつぶやいたところ、秋という夏の生命感が衰えていく季節は「死」を操る幽々子と相性が良いのではないか、というアドバイスというか、コメントを頂いて、なるほど、秋と白玉楼も良いなぁと思っていたのです。そして先日、彼岸花が咲き誇っているのを見て、「彼岸」という名前から連想される寂しさ、死者との関連性から、ふと、「あぁ、これは白玉楼に似合うな」と思い、ほぼ衝動的に作った次第です。

あとは、そうですね・・・魂というのがどのような形をしているか、私には分かりませんが、およそ白く、そしてその大きさがおよそ生物の大きさというか、精神性の高さによると考えます。虫たちに宿る魂はそれ相応に小さいとすると、秋、ぐっと冷え込んだ朝、川面に立つ霧は、虫たちがその命を終えて消えていくのにふさわしいのではないかなぁと思ったので、それを少し幽々子様にしゃべって頂きました。

死者は静かである、これは私事ですが、私のじいちゃんをおくったとき、やはり死者は静かなのです、あるだけ。大江健三郎の死者の奢りでは「ものである」と表現されていたように思います。ともかく、死者は静かな印象が強いのです。だから冥界は静かなのではないかと勝手に思っています。もちろん、冥界には「死者」として「物」になったものが行くわけではなく、魂がいっているわけで、静かとは限らないかもしれませんね。


衝動的に作ったので、非常に短い作品になっています。次はこれまでとちょっと趣向を変えた作品を考えています。楽しみにして頂けたらこれ幸い。

2011/09/09

ページ更新のお知らせ

「月下の白蓮」では「村紗はどうなったの?」というコメントが多く見られました。もちろん、村紗がどうなったか、触れてもよかったのですが、冗長になるなぁと思い、特に触れずに動画を作りました。そうしたら思いのほかコメントが多くつきまして、びっくりしています。
そこで、文章で、いったい村紗があの夜どのように過ごしたかをすこし記述してみました。それが「村紗の悩み」です。


そうだ、【李花尺について】も更新しました。The interviews というのに登録してみたので、よろしければ質問してください。

2011/09/08

なんだかなぁ

ここのところ、ブログ本文のフォント、字のサイズ、行間などの設定がうまくできず、それぞれの書き込みがそれぞれ別のフォーマットとなっており、整合性のない、大変見苦しい状況が続いています。ごめんなさい。

2011/09/05

月下の白蓮 【後書き】

月を見上げて思うことはそれぞれで違う。これは「ととも」シリーズ第3作でも取り上げた話題です。

実を言うと、今回はそれとはまた別なテーマも内包しています。死や老いを恐れた白蓮にとって「死なない」輝夜がどういう価値観をもって存在しているのか、これを問う物語を描きたくて、本動画をつくりました。例によって消化不良を起こしているともいえますが。

私は「死なない」輝夜がいったいどのような時間軸で過ごしているのか、いろいろ考えたのですが、時間という概念を失ってしまったのではないかと考えました。過去も未来もない状態。今美しいものを見いだす生活。

白蓮の平等思想についての解釈は「文の取材」シリーズで述べていますが、要するところ、人間も妖怪も、神もお互いが相互に依存しているので、特定の種族が優れているわけではない、というものです。この白連の平等思想からすれば、輝夜はなにものにも依存することなく永遠の命をもっているわけで、あまり好ましい存在ではありません。このあたり、白蓮が輝夜に永遠の命についてどう考えているかを問いただすシーンも考えていたのですが、うまくかみ合わせることが出来ませんでした。

ただ、永遠亭の止まった「時」が、永夜抄以降動き出したと考えると、これまで同じ輪を回っていた永遠亭が変化に巻き込まれているとするならば、なにか、輝夜にも自然を愛でるだけではない何か別の感情が芽生えるかもしれません。その辺り、物語が紡げそうなのですが(漠然としたイメージとしては百万回生きた猫に近いかもしれない)、まだ霧に包まれています。


利用楽曲「タイトル :アーティスト/ アルバム」
Loneliness :Ryuichi SAKAMOTO/ UF (Ultimate Films)
世界止めて piano instrumental :Shiori TAKEI/ second tune~世界 止めて~

2011/08/21

次の長編

さて、twitter上で、百人一首を下敷きとした劇を東方の登場人物達にやってもらうシリーズを考えてます、というような事を言ったのですが、ちょっと問題が発見したので変更します。

当初、百人一首を下敷きとした「物語」をシリーズに出来ないかなぁとぼんやりと考えていて、劇形式にすれば比較的たくさんある恋の歌も使い勝手がよくなるかな、とか、紅魔館や永遠亭、地霊殿、というようにグループ単位で劇をしてもらう事でグループ間の駆け引きや応酬を描くことができ、シリーズとしても成り立つな、とか、各グループごとに劇をやってもらってそれぞれの動画の人気を計算して優秀賞をだせるな、とかメタなことも含めて、シリーズ物として百人一首の個々の歌をベースにしながらも流れのあるシリーズとして構築できそうだなぁとほくそ笑んでいたのです(いや、実際は笑ってませんけどね)。

さらにはほかの東方作者さんにも同じようなフォーマットで劇を作ってもらえたら、もっと盛り上がるかも・・・とか妄想してました。

ですが、私が百人一首を下敷きにして考えていたのは歌をベースにしたそれぞれの東方の登場人物の「物語」であって、劇ではなかったのです。これに気づくのが遅れました(我ながらアホですね)。すなわち私の頭の中にあるのは「ととも」でやっているような物語であって、それは登場人物そのものの物語ですから、それを本人達に「劇」としてやらせたらなんという茶番というか、ナルシストなんでしょう。かといって、本当に(ロミオとジュリエットのような)劇を百人一首ベースに一から考えてそれをやるとなると、東方でやる意味がほとんどない。東方の設定と百人一首の相性は悪くないと思うのですが、少し勘違いをしていました。ですので、次の長編は違う方向で行こうと思っています。

2011/08/19

小傘と雨 【後書き】

今回は「雨」が描きたかったのと、小傘のような妖怪はきっと複雑なんだろうな、という事が描きたかった。ですので、橙から物語は始まりますが実は脇役です。
雨の降り始め、降っているところ、そして止むところを描いたのですが、いまいちでしたね。雨脚が強まると地面や屋根で踊った水滴がもやを作りますが、それは挫折しました。降り始めはもう少し作画枚数を増やせばましになったかもしれません。雨上がりはもっと水滴のまぶしい鋭い様子を描ければ良いのですがこれもまた轟沈しました。うむ、妥協が多い回でした。
・・・まぁ絵はこれからも精進するとして・・・
内容ですが、小傘が「忘れ傘」の妖怪であるならば、傘としての機能を果たせずにいたもどかしさをずっと持っているのではないか、というのが本作を作るきっかけです。それは作中で小傘がしゃべっている通りです。
小傘は雨が嫌いなのか。私は雨が小傘に複雑な思いをもたらすものではあるものの、小傘は雨そのものが嫌いな訳ではないと思います。では、自分を使ってくれなかった人間が嫌いなのか?これは難しい問題ですが、小傘を作ったのもまた人間であり、小傘という妖怪を生んだもの人間の身勝手、というか忘れっぽい性格によるものです。ですから、小傘が自分という存在を考えるときに人間とは切っても切れない関係にあることは、小傘自身も分かっているのだと思います。ですから、極端な行動(人間を驚かす以上のこと)は避けているのかもしれません。人間に対して強気にでる妖怪とはその辺りが違うのではないでしょうか。この辺りをもう少し掘り下げると面白いかもしれませんね。
道具というのは目的をもって作られており、その目的を奪うことは、道具にとって非常につらいことだと思います。この動画を作っていて、改めてそう思い、なるべく物は大切に仕様と思いました。
11・08・21:タイトルを修正。橙と小傘→小傘と雨 橙と…は仮題だ

2011/08/07

アリス、恋のかけら【後書き】

 劇的に再生数が増加した次の話とはどうしてもやりにくいものです。その上にさらに難易度の高いテーマを選んでしまったのですが、別に私がそういうきついのが好きとかそういう嗜好を有しているためではありませんよ。

 本作はアリスの恋、正確には恋というものの芽生えのような心のさざ波を捉えることを目的にして–––そして轟沈した–––作品です。

 アリスはある異変を解決した帰りに、何気なく魔理沙に恋をするのかどうか聞かれます。魔理沙に他意はなく(この辺り、パチェの推理は正しい)、ただ、何となくそんなことを聞いてみただけです。ですが、これをアリスは魔理沙が自分のことを好きで、探りを入れてきたように解釈したわけですね。魔理沙とはつきあいは長いものの、特に恋愛感情、というか「恋」の相手ではなかったわけですが、このとき、静かにスイッチが入ったのです。きっかけはそう、何気ない一言だったんです。あの冒頭の黒地に白文字のコトバはこの物語が終わって(アリスのなかで恋のようなものが終わった後で)から、振り返ってみたときの言葉です。

 アリスはちょっとした勘違いからスタートした恋のかけらを育てることは出来ませんでした。魔理沙から自分(アリス)への「好意」というか恋心が感じられず、自分が感じていたのは単なる魔理沙の心遣いだったことを知ったからです。もちろん、本当に恋しているのであれば、そんなことは関係ないのでしょうが。
 アリスの心に投じられた魔理沙の一言は、さざ波を起こしましたが、それを本当に恋と呼べるかどうか(作中で霊夢や紫はそれを恋と表現していますが)は私には分かりません。それはただ、かけらのようなものではないでしょうか。親しい人のふとした思わせぶりなせりふ(勘違いを含め)で心がざわつく、そういう事がきっとあると思うのです。

アリスは本当に恋すること(相手が誰であれ)が出来るのか、私には分かりません。ただ、今回はアリスの心に恋が目を出すことはなかった、それだけは確かなのかもしれません。

次回は雨をテーマにした小話を考えています。

2011/07/25

ニコニコ大百科に李花尺のページが出来ました記念

素敵な「李花尺」のニコニコ大百科の記事が出来ました。クズマさん、ありがとうございます。

 このブログの投稿日(2011/07/25)の夕方に私は自身に関する記事が出来ている事を知ったのですが、この日をさかのぼる事、24時間前、記事作成者であるクズマ氏から「ニコニコ大百科に李さんの記事を作成してかまいませんか」、という質問をtwitter上でうけました。もちろん、快諾させてもらったのですが、まさか、次の日には出来ているとは思ってもいませんでした。
 私はHTMLの編集はほとんど触った事が無いので、大百科の記事作成がどれほど大変なのかは分かりません。ただ、大百科の性質上、ページを0から組む訳ではないでしょうが、それでもページの構成を練ったり、文章を考えたり、リンクをはったりで、片手までほいほいと出来るとは思えません。ですから、8月中には自分のページが出来るのかなぁ、とぼんやり思っていたのです。ですが、次の日にはものすごく素敵な記事が完成していて、うれしさと驚きでいっぱいです。さきほど、クズマさんから、前もって作っていた部分があることを聞きましたが、それにしても驚きでした。
 昨夜は記事が作ってもらえると聞いて、うれしさのあまり気持ち悪い顔にならない様必死にこらえて、ニコニコ大百科に記事がある作者として精進せねばならないなぁと思うよう努力していたのです。それが次の日には出来上がってしまったのです。このような驚きはここ数年無かった事の様に思います。非常に良い意味で予想を裏切られました。

 とともシリーズやこれまでの3つの長編の説明文は秀逸で、なんだかこの記事を読んだら、自分の作品ですが、動画を見たくなりますね。作品の見所が述べられていますが、それは私が作品の中で描きたくて、そして半ば挫折した部分でもあります。ですから、見てほしいポイントではあるものの、見てほしくないポイントでもあるように思います。でも、みてください、そして脳内補完のほど、よろしくお願いします。



 「とともシリーズ」14作目である「霊夢、夢の後」が東方デイリーランキング8位と自己最高を記録したり、ウォッチリストに私を加えてくれる人がここ2日ぐらいで40人以上増えたり、なにやら驚きが続きます。「霊夢、夢の後」のマイリストも400に達しました。記事を書いてもられたのはうれしいですし、ランキングが一桁に届いたのもうれしいです。が、技量はまだまだないと感じます。これからも精進していくので、どうぞこれからも李花尺をよろしくお願いいたします。

2011/07/24

後書き 【霊夢、夢の後】

 さて、今回は異色の設定を持ち込みました。霊夢が博麗の巫女をやめた後の話です。

 東方二次創作において、霊夢が巫女をやめるときは「死」の影が見え隠れするものです。しかし、巫女を穏当に卒業することも可能ではないでしょうか。それを描いたつもりです。


 本作では、博霊の巫女を引退した後、山裾の人寂しい場所に隠居しているところに魔理沙が尋ねてくるところを描いています。引退して2年たっていますので、状況説明的な会話を極力減らしてみました。以下、物語の途中に出てくるわかりにくい部分を説明していきますが、あくまでも私の解釈というか設定ですので、絶対的なものではありません。

 まず、最初、電線が空に消えていっていますが、あれはスキマ経由で電気が供給されていることを描きたかった。ですから、あの家は紫によって提供され、ある程度、近代的な生活が可能となっています。
 魔理沙が「もう二年か・・・」と述べていますが、これは霊夢の博霊の巫女引退からの年月を示しています。
 物語の後半で、魔理沙がなにやら庭先で「ぼふっ」とやってますが、あれは地面に魔法陣を書いて、家にあるキノコセットを転送しているところです。


ちなみに・・・

この物語では霊夢に焦燥や不安や澱が溜まっている様子は描かれていません。が、私はこの後、霊夢が「生」をどう全うしていくのか、気になって仕方がありません。ただ、それは苦しくて描くことが出来なさそうです。




追記:
夏に対して思うことは、なにか寂しいという感情です。それは夏は「楽しいもの」であるべきだという脅迫から来るのか、虚無感から来るのか・・・よくわかりません。ただ、そんな感情が今回の作品の源流のひとつではあると思います。

2011/07/16

後書き 「霧の大河 最終話」

 さて、「霧の大河」終わりました。レティが冷たく孤独な妖怪から、おだやかな妖怪へとどう変わっていったかを描けたら・・・という願いの半分でも達成できたでしょうか。


 言葉は人に思いを伝えることのできる大変に便利な道具ですが、使い勝手は必ずしも良いとは限りません。作中でももっと立て板に水のような弁舌をふるわせたならば、もう少し、レティの心の機微を伝えることが出来たかもしれません。が、あえて、うまく言葉にならない部分は、そのままにしておきました。ですから、言葉足らずの所は是非、皆様で補完してあげてください。


 そうそう、椛がえらく薄着になっているのは、暑すぎで脱いじゃったせいです。椛は普段から脱ぐような性格の持ち主ではないですが、どうやら暑さで参ってしまったようです。狼とか犬とかは、たしか舌でしか放熱できなかったような・・・気がするので、きっと椛も夏は大変なんだろうと勝手に設定しました。で、文はいたく困ってしまって、チルノに氷を作ってもらうことを思いついたのでした。
 文がチルノに渡した手帳(というかノート)は新聞のロゴとか広告入りです。


これくらいですかね、設定とよべるものは。



 さて、これで一段落。また「ととも」シリーズで短編を上げていきたいと思います。そして、そろそろ初期作品を下敷きにした中編〜長編を考えていきたいと思っていますが、思っているだけで、どうなるかはまだ分かりません。

2011/07/15

昨夜は月が綺麗でした。晴れ渡った空に満月が浮かび、黄金色に輝く月とぼんやりと紺色になった空。暫く眺めてたら飛行機がすぎていきました。

ふらふらと川辺に出てみればやっぱり月が川面に浮かんでいました。蒸し暑くはありましたが、不思議と気分は良かったのです。

で、思った事があります。いや、以前から思っていた事なのですが・・・
平塚らいてふという女性運動家の言葉に

「原始、女性は太陽であった。今は月である」

というような発言があります。高校の頃に耳に始めて知ったのですが、その当時からなにかこう、もやもやとした感じがあったのです。平塚女史の「月」とは他の光によって光る、自らが光り輝く事の出来ない存在を意味するのであって、月が太陽に劣るとか、そういう話ではない事は承知です。そして女性が他者の光を借りずとも、太陽の様に自ら光り輝く存在である事は私も承知なのです。が、どうも、こう・・・女性は月であるほうが、こう・・・魅力的だな・・・と今、思うのです。太陽は直視する事は出来ませんが、月は見ることができる。そしてそれは弱々しくはなく、闇夜を照らす暖かい光だと思うのです。昨夜の満月もアスファルトをぼんやりと照らし、私の影を作っていました。それは原始、闇の恐怖から人々を救ってきた光だと思うと、どうも、こう、優しい存在に思えてならないのです。雲に隠れておぼろな月、冴え渡る満月、妖しい三日月、そんな多彩な表情を見せる月こそ、女性にふさわしい・・・と思うのは私だけでしょうか。

そういう美しく、優しげな性質を女性に求める事が愚かな決めつけだと言われれば、しょんぼりするしか仕様がありませんね。

きっと、高校の頃から月を女性的に見ていた私にとって、平塚女史の言葉はそこだけを抽出するとどうもしっくりとこないものだったのです。そして、今もそうです。


月に何を思おうと、月は知った事ではないでしょうが、何かを思うのは大切だと思うのでした。今日も月は綺麗です。

2011/07/10

レティ・ホワイトロック

落書きです・・・

線で陰を入れるスタイルも好きです。特にシチュエーションはありません。

2011/07/04

無題

二柱を描いてみた。いい感じに祟ってくれそうに描けたので残してみる。

2011/07/03

次の話

さてさて、「霧の大河」の終わりが見えてきました。で、次のことを考えているのですが、それについて少しばかり考えを述べたいと思います。ネタバレ・・・はありませんが、予告とかそういうのがいやな方は見ないでください。


思い出した

思い出した。以前、動画のコメントで、15fpsにして欲しいという要望があって、前回から15fpsでmp4に書き出しているのですが、問題ないでしょうか?

霧の大河 第四話 【後書き】

さて、第四話、お待たせしました。

今回は、はしょった会話があります。と、いうことですこしばかり設定の話をしたいと思います。

最後のほうで、チルノが、
「外にいたらつらいって言ってたじゃない!」
と言っています。これは
「冬の終わりが近くなると、寒気が減って、日の当たるところにいるのはつらいのよ」
「とけてしまいそうだから」
とあまり家から出なくなったレティのところに遊びに来たチルノに弁解していた会話がベースになっています。そんな会話は作中に出ていませんが。まぁ、なんとなく分かってもらえるかなぁと思って省略しました。

しかし、霧の大河の1、2話では春先に普通に日の当たる外を歩いているレティがいます。これは寒気がそれなりに残っていること、そして第4話では寒気を雪だるまの維持につかっているので、余計にだるいということが関係しているのでした。

次で最終回の予定です。もうしばらく、おつきあい下さいませ。

2011/06/30

六月終了

いや、六月が終わってしまいました。

今月は動画1本でしたね。う〜ん、少ない。まぁ、ちょっと忙しかったので、無理は出来ません。いましばらくお待ち下さい。

2011/06/20

近況報告

 え〜いろいろと立て込んでいたり、昨日の父の日はそれなりに父の日としてすごしたりで、普段ならば土日にまとめて動画作成をするのですが、それもほとんど出来ず、予定していたほど次の話の制作が進んでおりません。当初は今週末(25か26日)に投稿するつもりだったのですが、無理のようです。

ということで、たぶん、「霧の大河」第四話は7月の頭になりそうです。今週末にどれだけ時間が確保できるかによりそうですね。それは不確定な要素が多いのでなんとも言えません。

これまで毎週〜隔週で投稿してきましたので、ちょっと間があきますが、どうか気長がにお待ちください。

李花尺

2011/06/11

霧の大河 第三話 【後書き】

さて、第三話。 時期的には第一話で迎えた春から夏・秋を経て、再び冬になったところから始まります。

 特に言いたい事はない・・・というか、言いたい事は動画の中で言い切ったので、特に後書きとして記す事はありません。あるとすれば・・・そうですね、幻想郷がこちらの世界から隔離された時期を考えれば、ガラス玉はきっと宝石に準ずる貴重なもので、普通、妖精が持っているようなものではないということぐらいでしょうか。もっとも、大事な事はガラス玉がチルノにとっての宝物である事ですけどね。

 実は今回、レティの独白が続く予定だったのです。でも、それではあまり面白くないことが予想できたので、独白の部分を作り替えました。ほんとうは独白でも惹き付けられる演出が出来たら良いのですが、細かい目や指の動きとかを描ける能力が無いので、独白の演出はあきらめました。いずれはやってみたいですね。

 

2011/05/28

霧の大河第二話 後書き

さて、第二話を投稿しました。

第二話は第一話の冒頭でレティとチルノの出会いがありそして最後に再び会う、その間の出来事です。

文とレティの掛け合いは実はもう少し長かったのですが、レティという孤独な存在がそう長い間、他の妖怪と接する事もないだろうと思い、削りました。もっとも、文とレティの会話は文が一方的にしゃべっている部分が多いですけれどね。「弱い犬ほどよくほえる」とはいうものの、能弁もまた一つの能力です。レティは弁の立つ文を素直に認めていると思います。ちなみに、こんなせりふが省略されました。

文:外にはもっと面白い奴がいると思うに至る
レ:なるほどね
文:どうです、納得してもらえましたか?
レ:・・・そんなに面白いものかしら、他者というのは?
文:なにせ自分とは違う価値観を持っているわけですからね
レ:貴女が他者に対して興味を持つ理由は分かったわ
  でもなぜ、今なおそれを維持できるのかしら?
文:変化があるからですよ、事件といっても良い
  それはある者とある者のつながりの発生やこじれにほかならない
  そして一つの変化はそれだけで完結することはないのです
  変化は伝播し、変質していく
  もちろん、つながりの少ない者の事件は伝わりにくい
  が、それを広げることは可能です
レ:新聞ね
文:ご明察、私自身によって事件は大勢の事件になるのです
  わかりますか?
レ:何が?
文:幻想郷は狭い、ただ、世界を広げることは可能です

・・・とこんな会話を準備してました。無くても良いですね。あってもいいけど。射命丸文の本質をついた会話のような気もするのですが、物語の主人公はレティですので、割愛です。

さて、第二話は第一話の間に起こった出来事ですので、重要ですが、この事件がどのような変化をレティにもたらしていくかをこれから描いていこう、というところです。

どうぞ、今しばらくおつきあい下さいませ。

2011/05/24

いけてないので

ごわごわしたごつい服を着た女性って素敵ですよねぇ・・・とかなんとか。とりあえず、よくあるパターンの5人組みたいなのを作ってみた。むかって右からリーダー、天才肌、おしとやか、楽天家、弱気、のような、なにか。緑は前線、青は後衛のような仕事の分担のなにかを表しているような、なにか。

なんか、人がへって、もう一度荒野を人類の遺産を発掘しながら進んでいくようなイメージ。なぜ女性だけだというと、意味はないです。そこまで思いつかないよ。

永琳

ちょっと、第二話の制作がのってこないので、落書きpart 2
photoshopはいろんなことができるんですねぇ・・・。

落書き

無題です。
ちょっと疲れたので、落書きしてたら出来た何でもない絵。要は落書きです。こんなのを普段はちょろちょろとノートの端に書くからいけないんですよ・・・

2011/05/17

霧の大河 第一話 【後書き】

さて、新シリーズ始まりました。


今回はかなり言葉遣いに神経を使おうと思っています。目指す所は実際の会話のような、かみ合っているようでかみ合ってない会話です。過不足のない台詞はどうしても「説明乙」な印象を受けます。一方で、現実の会話にあるような、現場を共有しているからこそ伝わる(伝わらない場合もありますが)会話をそのまま繰り広げてもいけません、手書き動画は情報量が少ないですからね。それでどうしても台詞に頼って状況や心境を説明しなければならない比率が高くなりがちです。できればすれ違いや、ちょっと意味不明な会話をさせたいのですが、意味不明なだけでリアリティがでなければ意味がありません。・・・荷が重すぎる、というか高望みかもしれない。


今回のテーマは「変化」です。文の取材でも扱いたかったテーマなのですが、今回はこれを中心に据えていこうと思います。4月1日には「レティ、春よ」というタイトルを付けていたのですが、どうもしっくりこないのでこちらにしました。でも、仮のタイトルの方が暗示的で好きといえば好きなのですが。


最近、「ついった」をはじめました。たわいもないことや動画制作の進捗状況をつぶやいていますので、興味ある方はどうかフォローしてやってください。

追記

そうそう、忘れてました。字幕形式にしてみましたが、どうでしょうか?吹き出し式のほうがいいとか、ご要望があれば動画にでもニコレポにでも当ブログでも、ついったでも一言よろしくお願いします。

2011/05/15

つぶやき、はじめます

最近、ちょっとツイッターにも興味を示しまして、アカウントをつくりました。最初は有名人などのつぶやきをフォローするだけで、自分は発信しないつもりだったので、「李花尺」とは全く関係のないアカウントを作ろうと思っていたのですが、皆様との交流の場になれば、つぶやきをフォローしてもらえたらいいな、と欲をかきまして、「李花尺」のアカウントを作ってしまいました。

作ったのは先週のはなしで、しばらくの間、非公開マイリストで堀江氏とか勝間氏とか乙武氏とか、後はニュースサイトとかの公式つぶやきをフォローしてみました。が、さほど面白くなかったので、今度は自分でもつぶやこうかな、と思います。が、RTとか、twitterの基本構造がいまいち理解できてない。ま、最初は「せきをしてもひとり」状態だと思いますから、杞憂でしょうけどね。

当ブログでもつぶやきをフォローできるようにしてみました。ただ、140字という制限で、思ったことをすぐに形にする事に対して抵抗があるので、うまくつぶやけるかものすごく不安ですが。

動画はもう少しまってくださいね。

2011/05/11

今日も雨で、時折激しく降っていました。

で、窓から雨をたまに眺めると、新緑が煙ってぼんやりと浮かんでいます。遠くに鉄塔(電波塔?)も見える。なにやら目に優しい色合いで、境界がはっきりしない風景が広がっていました。すこし湿っぽいのが難点ですが、ものすごく気分がいいです。雨の日に外を出歩かなければならないとそれなりに憂鬱ですが、こうやって眺めるだけなら案外素敵な日ですね(もっとのんびり楽しむ時間が欲しい)。

今日、目前に広がっていた優しい世界を描けたら、と思います。例えば、お使いに出て急な雨に困っている橙とそこにやってきた妖怪(小傘とか、ニトリがいいかな)の間の何気ない雨に関する話とか。あぁ、吸血鬼の所にやってくる白黒じゃない魔女とかでも良いかもしれませんね。とりあえず、雨に対してネガティブな発想を抱きやすいキャラクターとそうでないキャラクターの対話を少し考えると、なにやら梅雨も楽しく過ごせそうな予感です。

ざっと今思いついたネタを書いてみると、

雨なので大好きな紅白巫女の所に行けない姉、とか、白黒魔女が来てくれない妹とかを抱えている館
図書館にふらりとやってくる魔女(ほかのキャラクターでも良いですがね)
図書館の主は姉妹のだらしなさにうんざり気味
雨を楽しむ方法なり、発想の転換の知恵を授ける魔女

とか、

ととろの一場面よろしく急な雨に雨宿りしている橙
そこにやってくる小傘orニトリ
ひとしきり雨に対する印象をお互い語った後、雨が上がる

別れる二人
(あ、今思ったのだけど、これ、もう少し改変したら色の話に使えそう)

うむ、落ちがいまいちですね、話をどうまとめるか(最近は起承転結のある話を作っていませんが)が問題です。なにか、終わったときに(終わった)と思える作品を作りたいものです。

2011/05/10

字幕にするよ

どうも。

現在、長編の台本がおよそ完成したので、動画作成に入った所です。台本が出来てしまえば後は基本的に作っていくだけなのですが、台本を作ったときに頭の中で描いた情景がアウトプットできずに悶え苦しまなければなりません。これからが長いといえば、長いですね。

そうそう、今回は台詞を吹き出しではなくて字幕にしようと思います。これまでの吹き出しには「しっぽ」をつけてなかったので、誰がしゃべっているか微妙に分かりにくいという指摘があったりしました。それの解決策としてちょっと試してみようと思っています。(後、作るのが楽)

吹き出しの方がよければ吹き出しに戻します。ですので、このブログでも動画でもかまいませんから、どちらが良いか、コメントよろしくお願いします。

2011/05/07

ととも 〜冬に咲く夏の思い出〜 【後書き】

さて、案外、素早く投入することが出来ました。
先日は投稿までに時間がかかるとブログで告知しておいてからに申し訳ないです。


さてさて、物語としては「文の取材」の後日談になります。「文の取材」では、太陽の畑で撮った写真を椛が記事にしています(まぁ、息抜きの写真入りコラムみたいなものですね)。そこから幽香が何を感じ取ったか。それは彼女が作中で述べているとおりです。

花は本物が一番美しいと思っているのだけど、写真というのは・・・魔法のようなものね、魅力はこちらの方があるかもしれない”

そして、それは射命丸文が写真に対して感じていることでもあります。幽香は普段の文のゴシップ作りをよく見ているので、そこまで文の感性が豊かであることは見抜けなかったようです。文としては写真の魅力に気づいたものの、なにやら恥ずかしいので、花の写真を撮ることは撮ってもそれをまとめるという作業は出来ずにいた。それが幽香に頼まれたことによって「むりやりやらされた」という言い訳ができたので、花の写真集作りをほぼ無償で手伝った・・・という背景を考えていました。幽香が射命丸文に写真を頼むくだりは「文の取材」を参照してください。


それと、本作は「ととも」の前々作「雪の音」とも繋がっています。時系列としては「ととも・雪の音」→「文の取材」→「ととも・夏の思い出」となります。ですから、作中で幽香のことを「詩人」と形容していますが、それは「雪の音」で幽香がレティをなかばからかうようにしてほめた言葉をそのままレティが幽香に返しているわけです(どちらも感性の鋭さを褒めているのですが)。一冬越しの意趣返しとは駘蕩した世界ですね。


動画の後書きにも少し書きましたが、この後日談の後日談を考えています。本当はその話も加えて一本の動画にしようかとも思っていたのですが、動画の尺やつながりを考えてやめとしました。・・・幽香が夏の花を見せてくれたので、レティがそれに対してお返しを考える、というストーリーです。また、余裕があれば話を作りたいと思います。それにしても作りたい話がたくさんあって、もっと時間が欲しい・・・

2011/05/05

GWの終わりに

GWもそろそろ終わりですね。皆様、いかがお過ごしでしょうか?(もちろん、いろんなGWのパターンがありますから、前半は通常運行で、明日はお休みという方も居られる事でしょう)

新緑が美しい季節です。でもすこし山に登るとまだ萌えるような緑には早かったりするようです。比叡山は桜が咲いているそうですね。私のGWは・・・あまりアクティブとは言えなかった様に思います。前半は黄砂も酷かったですしね。


さて、ニコレポのほうには今週中に動画を投稿するよ、というようにアナウンスしていましたが、GW中には思ったほど作業が出来なかったので、来週にのびそうです。申し訳ありません。う〜む、予想外でした。

現在作成中なのは「ととも」〜冬に咲く夏の思い出〜という作品なのですが、それとは別に以前からアナウンスしていたレティの物語(長編)ですが、思ったほど作業(台本作り)がはかどりません。ですので、もう一つぐらい「ととも」シリーズの話をつなぎに作る、かもしれません。

2011/04/28

ととも〜春ですよ〜 【後書き】

「ととも」でひとつ小話を作りました。
そういえば、ブログなどでは「文の取材」→「ととも」→「次の長編」という流れで作っていきたいなぁという話をしていましたが、「文の取材」の最後では次はレティで長編というアナウンスをしていますね。長編を期待していた皆様、申し訳ありません、もう暫くお待ちくださいませ。


さて、今回はかなり東方原作からは設定がおおきく離れています。とくにリリーは花を咲かすことができるみたいですが、その設定は今回無かったことになっています。なぜ、この設定を無視したのか?それは「春を伝える程度の能力」と表現される能力は、春を「知る」必要はあるが、春を「作る=花を咲かせる」必要はないな、と思ったのです。そしてホワイトとブラックという二人の春告精(黒い方は別人格ではなくて、単に衣装が違うだけみたいですが)にそれぞれの能力を割り振ったら面白いんじゃないの?と思った訳です。おそらくリリーは花を咲かせられるんじゃないの?といったコメントが寄せられると思いますが、本作ではそれをわざと無視しています。そもそも春が来たからといってすべての草木が花を咲かせる訳ではないですしね。

動画の最後にも書きましたが、「春が来た」というのは非常にあやふやなものですよね。妖精達が「桜も咲いていないのに、春というのはおかしい」というのは、彼女達が間違っているのではなくて、彼女達の春の基準が桜にあるだけです。ですが、春告精にとっての春はもう少し早くて、梅やコブシが咲いたり、虫達が地上に戻ってくるときを春の始まりだと思っている訳です。ちなみに私の春の基準は、・・・なんだろう、毎年違う気がしますね。むしろ、何度も春らしい出来事に繰り返しであう事で春だなぁと思っているように思います。季節の“訪れ”は過去完了なのかもしれません。今年は梅をみて、タンポポをみて、日だまりの暖かさにのんびりとして、桜が咲いて、あぁ春なんだなぁと思ったりしました。

誰かに「春ですよ」そして「春ですね」と言える世界が素敵だと思います。


そうそう、先日メールを頂きまして、文の取材の二つばかりのシーンをにpixivにupしておきました。
夕日のシーンと朝顔です。

2011/04/19

落書き

落書きはここにアップするのがいいのかpixivにあげるほうがいいのか、よく分かりませんが、「文の取材」で使いどころの無かった一枚をすこし加工してup。

2011/04/18

予告なので見たくない人は見ないでね

*****【注意】******
ネタバレというか、「ととも」でやってみたい事をちょっと具体的に書くので、注意してね。
要は次の長編の前に「ととも」を再開するけれども、その内容について少し触れた文章が以下に続きます。

2011/04/17

文の取材 第七話 【後書き】

「文の取材」はこれにて一旦終了です。
7話、おつき合いくださいましてありがとうございました。
如何だったでしょうか?

おかげさまで動画は第6話まですべて2525再生を突破しました。第一話は5000再生を超えていますね。そしてウォッチリストの登録者数もおよそ400とこのシリーズが始まる前に比べてずいぶんと増えました。特別面白い、熱い、あるいはシュールな訳でも、にやにやできる訳でもありませんが、こういった動画の需要が多少なりもあることを改めて知り、私の住むことのできるニッチもあるのだなぁと心強く思いました。きっと再生数が徐々に減っていけばどこかで心折れていた事でしょう。最後までおつきあいいただきまして本当にありがとうございました。

以下、本シリーズの反省を書きます。物語の設定などの記述はありませんので、ご了承下さい。


常に後ろ向きにものを考えるのもいけませんが、次への改善のために反省は必要です。
ここで物語全体の反省点をば。

この物語のコンセプトとして「幻想郷の日常」を描くというの設定していました。これ自体はおよそ達成できたかな、と思うのですが、もう一つ、「文のカメラに対する意識の移り変わり」を描くというコンセプトというか、目標に掲げていました。が、これは描ききれなかった。これは今思うと、文のカメラに対する最初の考え方、扱い方を丁寧に描かなかったため、文の変化がわかりづいらいものになったのだと思います(当然ですね。AからBに変わったのに、Bしか描かなかったらどういう変化があったのか分かるはずがない)。これは次に生かさねばなりません。

また、物語の前半で、写真の魅力に気づく文を描きましたが、その後の展開でそれを十分にいかしきれなかったのも反省点ですね。もちろん、文としても写真屋(カメラマン)に転向した訳ではないですし、そういう意思ももっていないわけで、中途半端になるほうが自然と言えば自然なのですが・・・

そして言葉遣いについて、いくつかコメントで指摘を頂きました。これが反省点の3点目です。特に尊敬語・謙譲語・丁寧語の間違いはいけません。会話の流れが不自然に感じられれば、この「日常」を切り取るということに失敗している訳ですから。

字送りの早さですが、う~ん、コメントで「早い!」という指摘をもらわなかったので、なんとか適当な範囲に収まったとも言えますが、後で見直してみると、流れるコメントも含めて動画を楽しむには少し早いな、と感じました。動画につくコメントを予想なり加味しながら動画の尺を考えるのはまだまだ難しいですが、今後、よりよい切り替わりについて考えていきたいと思います。私自身は無言の「間」とかをあまり使わずに作るのですが、これをうまく使えれば動画の表現が広がるなぁと思っています。

次に我田引水自画自賛コーナー

photoshop CS®の使い方がちょっっっっとだけ分かった。夕焼けの表現はこれにずいぶんと助けられました。といってもグラデーションと照明、逆光、ぼかしといった表現のエフェクトを使ったにすぎません。いまだにphotoshopは豚に真珠、猫に小判、烏に水晶(笑)の状態です。でも、第2話の最後の夕方のシーンはけっこう良く出来てると思う。あ、でもあの後の台詞だけのシーンの後にシャッター音入れたら良かったですね、今思いました。いや、結局反省ですょ。

後は今回は結構がんばって背景を描きました。背景を書くと、人物の位置が特定されるので、違和感なく描くのは結構しんどかった。あと、文の事務所的なところの本棚の中身は融通無碍ですね。これは勘弁してください。ただ、時折背景に人物が埋もれてしまうところがありました。また、背景を入れるシーンと入れないシーンをもう少し明確に定義付けしてやる必要がありそうです。今回は面倒だから背景を省略したシーンもあるので・・・

おわりに

異変でもなんでもない話、しかも小話ではなくて、連続性を持った話がここまで支持されるとは思っていませんでした。最後まで見てくださった視聴者の皆様、ありがとうございました。よろしければ動画にも少し告知しましたが、次作、レティ・ホワイトロックに焦点を当てた作品もよろしくお願いします。

追記:誤字を修正 敬語→尊敬語 (第7パラグラフ) 4月25日

2011/04/09

文の取材 第6話 【後書き】

さてさて、6話まできました。ここでほとんど伝わらなかったであろうことや設定など

******
さて、全くと言っていいほど作中にヒントがなかったので伝わらなかった設定を一つ。作中で、カラスに水晶を届けていますが、あれは幻想郷の人から貰った物ではありません。つまり、星は作中で嘘をついています。

聖は魔界に封印されている過程で思考が純化されおり、「物質」への興味関心がほとんどないと思われ、必要なのは「平等」という思想というちょっと極端な面を持っていると思います。文にひたすら自分の考えを説くなど、かなりアンバランスなところがあることからもその傾向がみてとれます。それに対して、人間界で毘沙門天の代わりをするなど人間との関わりを持っていた星は人間の機微を理解する素地があったといえます。ですから、いくら信仰に必要のない物とはいえ、里の人間から貰ったものをカラスにやるというのは失礼になることを理解していたでしょう。ですから、あの水晶は実際に山に探しに行って採ってきた物です。また、ナズーリンとの関係上、物をなくしたことに気づけば、素早くナズーリンに相談すると考えられます。したがって、本当に人から貰った水晶を無くしていて、それをさがすだけなら夕方になるはずが無く、もっと早い段階で水晶を文に渡せたはずです。それができなかったというのは、遠いところに探しに行っていたという証拠です。ではなぜ嘘をついたのか?それは面倒だったからでしょう。

ということで、星の気遣いはものすごく遠回しに表現したので(というか、表現していない)、ずいぶんと単純でかわいい存在になってしまいました。


*****
椛が「同族」という言葉を使っていますが、幻想郷では一妖怪一種族ということで、要は同じ妖怪はいない、ということですが、天狗の社会というものがあるぐらいですから、「天狗」という種族というかグループがあると考えられます。

『同族の美人が一番人気』

いいたとえが浮かびませんが、金髪の綺麗なお姉さんよりも、大和撫子のほうが良いというか・・・ま、そういう主観的な椛の意見ですよ。

*****
ニトリは寝起きが悪いです。ものすごく下らない二次設定ですが、いいじゃないですか。そしてどうしてそういうことを考えたかは私も分かりません。ただ、そう思っただけです。



*****
*****

<以下、この物語の終わりについてのことについて書かれているので注意>

2011/04/07

ここ数日すごいですね

一東方手書きウォッチャーとして、ここ数日は楽しみにしているシリーズの新作がたくさん投稿されておりまして、うれしいかぎりです。


【手書き】地下猫 第11話【東方】
【東方】 その靴を手に入れろ【手書き】
35回目の東方4コマ
【東方】古明地こいしのドキドキ大冒険 PART10【手書き】
東方チョメチョメ手描きマンガ【その16】
【手書き】東方外貨取引 最終回【耽美郷】


この6作品をリストアップして思ったのですが、どれも絵柄と内容の方向性が違いますよね。やっぱり、東方手書き劇場は多様性があっていいなぁと再認識しました。私の投稿する動画も、その多様性の一部を担えたらなぁと思っています。

2011/04/03

落書き

春らしくなってきておりまして、桜もちらほらとほころび始めていますね。
春の訪れは冬との別れを経なければなりません。

と、いうことで冬との別れというテーマ(?)で落書きをしてみました。
レティはどうやら春になるとどこか涼しい、日の当たらないところへ行くそうですね。それはきっと寂しくはなく、ただ、毎年訪れるごく当たり前の出来事なのでしょう。当然のように春の訪れを受け入れるレティと、レティとの別れがやはり寂しいチルノを描いてみました。

2011/04/02

コメント

「文の取材 第五話」にたくさんのコメント、また宣伝を頂きまして、ありがとうございます。


菅野よう子の「seed of life」ですが、そう言えば石油会社のCMソングでしたね。「CMようこ」というアルバムからチョイスしたのですが、さすがに何のCMに使われていたのかまでは曲名には記載されておらず、私は車会社のCMだったかなぁと思いつつ使わせて貰いました。


で、ものすごく痛い指摘がありまして。

聖「これは文さんが見つけてくださったわけではないようです」
星「と申されますと?」
聖「カラスが見つけたようです・・・」

ここで「申す」はおかしいですね。「申す」は基本的には謙譲語ですから、正確には
「と、おっしゃいますと?」
とか、そういう表現を使わないといけませんでした。う〜ん、これは恥ずかしいミスですね。でも、いいんだ、星はゆる〜いキャラクターだし、聖もそんなことで怒るような人じゃないだろうし・・・・ごめんなさい、日常的な会話を表現するなら、こういうところのミスはいけませんね。


ぬえが写真に写っていいのか?というコメントに関してはまったく迂闊でした。それもそうですね、正体不明の妖怪の正体が写るというのも変な話かもしれません。でも、いいじゃないですか。あと、小傘ですが、う〜ん、別に命蓮寺に居る必要性を感じなかったので、今回は省きました。というか、まったく想定外でして、コメントにはちょっとびっくりしたのが実際の所ですね。白蓮とつながりのある妖怪なんでしょうか?その辺り、私の知識が曖昧な物で・・・。最後に、雲山。ごめんなさい。すっかり存在を忘れてました。


以上、コメントでした。雲山、ごめんなさい・・・

文の取材 第五話 【後書き】

さて、第5話まで来ました。実は前回、命蓮寺を妙蓮寺とやってしまったミスを指摘されました。いやぁ、気をつけてはいたのですが、申し訳ありません。

で、第五話の主な内容としては白蓮と文との掛け合いですが、作っていて楽しかったのは、どちらかというと、虎丸星を中心とした掛け合いですかね。虎丸星はまさに「星君しっかり!」といった感じを目指しました。頼りないというか、どこか抜けているところもあるけれども、気配りは出来たりする、そしてリアクションが割合大きなイメージですね。普段はあまりこういったキャラクターを描かないので、面白かったりしますが、おなかいっぱいであったりします。そしてそれと対になるようにナズーリンはしっかりして、クールなようで、いわゆるKYなところがあるという設定を持ち込みました。一輪はお母さん、村紗はお父さん、という対を象徴するような性格を持たせたかった。白蓮は一つのことに集中するとほかの事が見えなくなる、それに対して鵺は集中すると周りから見えなくなるというようなペアを考えました。今回は、これらの設定は作るだけ作って、あまり有効に利用できていませんが、命蓮寺のメンバーの主な属性(?)がおよそ私の中でできあがってきたので、今後、登場回数が増えるかもしれませんね。でも、典型的なキャラクター設定を必要とするのはあまりそのキャラクターを作り込めていないという証拠でもあるので、やはり命蓮寺のメンバーは描きづらいのも事実です、なんでだろう。あまりニコニコでは見かけませんが、若返りを謀り、死ぬのが怖かった白蓮と実際に死ぬことのない輝夜の間の掛け合いは面白いかもしれませんね。ちょっとお互いの接点を作るのに苦労しそうですが、短編ぐらいで挑戦するには良い題材かもしれません。


後、コメントの前に断っておきますが、「ぬえ」を「鵺」と表記するのは間違いでしょうが、ひらがなで「ぬえ」と書かれると読みにくいので漢字を採用しました(鵺のほうが読みにくいというか、読めない、という意見があるかもしれませんが)。「にとり」を「ニトリ」と表現しているのも読みにくいのが主な理由で、本来はひらがなで書くべき事は了解の上です。


ともあれ、命蓮寺でニュースを「作る」試みはほぼ失敗したことになります。あらあら、文さん、残念でしたね。次はどうなるのでしょうか?ちょっと、展開が読みにくいですが、もうしばらく、このシリーズ続きますので、おつきあい下さい。

2011/04/01

4月1日

さて、新年度になりました。本年度も李花尺ことOkmをよろしくお願いします。
現在進行中の「文の取材」ですが、私の中で最終話のかたちはまとまっているので、次の新作の構想を練っていました。


そこで「文の取材」の次の長編の予告を行いたいと思います。

注意)以下、若干の荒筋と原作と矛盾する設定が含まれます




タイトル:
「レティ、春よ」

概要:

今年も冬が訪れ、幻想郷の谷に霧が流れる。その中から「寒気を操る程度の能力」を持つ、レティ・ホワイトロックが今年も現れるのであった・・・
冬には絶大な力を持つレティ、それがために孤独ではあったが、様々な妖怪との出会いを通じて徐々に変化が訪れる・・・

レティ・ホワイトロックに訪れることのない春、彼女はまた今年もどこかへと去ってしまうのだろうか。



この投稿のタイトルからもお察しがつくと思いますが、今日は4月1日ですのでこの予告嘘・・・かと思いきや、結構本気です。「文の取材」の次にやるかどうかは未定ですが・・・

ちなみに:
ととも〜朱と蒼〜が2525再生を達成しました。いやぁ、あれは面白い話だと個人的には思うのですが、最近、見直してみると、字送りが早いですね・・・惜しい。とともはやっぱりリメイクが必要でしょうが、リメイクするとネタが尽きたのかと思われそうだし、ほかにやりたいこともあるし、実際にリメイクするとなると、モチベーションが保てるかどうか不安ですから、なかなかリメイクには手が伸びないのが現状ですね。

2011/03/29

雑感

お久しぶりです、Okmです。


文の取材は日常を切り取っているので、「つまらない」という印象を与えることも考えていて、視聴者離れを気にしていたのですが、なにやら雰囲気を気に入って下さる人はゆっくりとですが、着実に増えておりまして、うれしいやら、ほっとするやら、です。

そんなこんなでウォッチリストに登録してくださった方の数は東京タワーの高さを抜きまして、この記事を書いている段階で335名となりました。これからも精進するのでよろしくお願いします。


そして久々に投稿した動画についているタグを見て回っていたのですが(タグの移り変わりを見るだけでかなり楽しめます)、なにやら不穏なタグを見かけました。

「ここは聖域荒らすべからず」

う〜ん、コメントも落ち着いた雰囲気なものが多い方がいいですが、こういった攻撃的なタグは攻撃的なコメントを誘発するような気がするのですが。「蓼食う虫も好き好き」の精神で、蓼を馬鹿にしない、蓼を賞賛しない(ま、少しは人に勧めてもいいと思いますが)の方向で行きましょうよ、と思った次第でした。


もうすぐ4月ですね。3月中にはさすがに「文の取材 第五話」を投稿することはかなわないでしょう。来年度もよろしくお願いします。

2011/03/27

文の取材 第四話 【後書き】

さて、4話まで来ました。

まずは4話の投稿が遅れて申し訳ありません。その間、特に連絡もなく、ブログの更新も無かったので失踪状態が続いてしまいました、ごめんなさい。実は、体調不良でして、一日中伏せている期間が続きまして、そんなこんなでここまで音信不通でした。

ま、それは置いておいて・・・


さて、幽香の写真を新聞のネタにすべく幽香に会いに行った文ですが、なにやら逆に頼み事を貰ってしまいました。花の妖怪を考えるに、今回は彼女はある程度、彼女の手を加えた畑を持つという設定を導入しました。ネズミ(畜生)が罰当たりなことをしても仏様は怒らない、とかなんとかいう逸話があったように思いますが、幽香も基本的には花畑に現れる害虫、害獣については寛大だと思います。だって、それらの生き物は草や果実を食べて生きているわけですから。自然な事に対しては怒らないでしょう。自分がある程度、自然に手を加えているわけですから、自然側からなんらかの反応があるのは当然と言うことでしょうか。

で、幽香の写真を撮ることは失敗したわけですが、カラスの巣で思わぬ収穫があったことになります。カラスが光り物が好きなことは有名な事ですからね、持ち出すこともあるでしょう。カラスと文の関係ですが、カラス天狗はカラスが妖怪になった物と考えると、カラスはいわば、母体であるといえます。したがって、文は素朴にカラスのことを大切に思っているでしょう。ただ、天狗によっては、カラスを超越した存在と言うことで、カラスを馬鹿にする奴、高飛車に出る奴もいるかもしれません。

「カラスに使われるとは天狗もおちたものですね」

という文の発言は、カラスの上にたつ存在であると考える天狗が多いことを嘆いた発言であり、別にそう思っているわけではありません(ちょっとは図々しいと思っているでしょうが)。


で、命蓮寺に行くわけですが、はてさてどのようなことが起こるのか、それは次回。

2011/03/12

ごめんなさい

連続投稿して申し訳ありません。


かなり私的なことですが、ちょっとフォローしたいので新しい投稿にて記述します。


さる2月24日から始まりました「文の取材」。いつもコメントを下さっているクズマさんのコメントがないなぁ、とブログを見つつしょんぼりしていたのですが、先ほど、ブログのほうをいじっていましたら、スパムに「仕分け」られているコメントがあることを発見。びっくりしたことにクズマさんからのコメントではありませんか。おそらくアドレスがコメント内に入っていたことで、スパムに分類されてしまったのだと思います。そして、いちど「クズマ」さんがスパムに分類されたことで、それ以降の投稿も「仕分け」されてしまったようです。投稿自体は2月25日で、かれこれ3週間前になってしまいました。いままで気づかずにいて本当に申し訳ありません。コメントは先ほどスパム設定を解除しましたので、閲覧できるようになっていますし、おそらく今後のクズマさんのコメントもスパムには仕分けられないと思います。以後、気をつけます。


しかも、おもしろい内容だったので、さらに愕然としています。ちょっと引用。


引用開始
現在「東方外貨取引」最終回に向けてpixivで企画が上がっています(http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=16886140)。よろしければ支援絵など描いてみてはいかかでしょうか。作者のNiceTeaさんも一つ一つ見てくださっているようです。興味があるならば是非~。


実は縁あって私はNiceTeaさん本人に直接会うことになりました。その時「ととも」の話も出来ればいいな、と考えています。


引用終了。注)全文を引用してないので、全文が気になる方は『文の取材 第一話 【後書き】』のほうを見てください。


なんということでしょう。幸いにも3月11日の現段階ではまだ「東方外貨取引」の最終話は投稿されていないので、支援絵は間に合うかもしれません。「ととも」の話もできればいいな、というのはびっくりです。3週間前のコメントですので、もうすでにNiceTeaさんと会われたのかもしれませんが、NiceTeaさんの一ファンとして楽しませて貰っています、そして、最終回を楽しみにしていますということぐらいしか、今は思い浮かびません。もっと早くに気づくべきでした。反省。




地震のことで頭が回らないのですが、なるべく早くこのことはお知らせしたかったので、連続投稿の形をとらせてください。

東北太平洋沿岸地震

昨日、3月11日の揺れは非常に奇妙なモノでした。椅子に座っていたのですが、最初は揺れていると言うよりは、めまいがしているという感じだったのです。しばらく頭が揺れて、「あぁ、ちょっと疲れているのかな?」と思い、ふと横を見るとつってある服が揺れています。これはどうやら地震らしい、とは思ったモノの、あまりに長いあいだ揺れていたので、やっぱり自分がおかしいのではないかと思い直しました。こんな体験は初めてで、ちょっと気色悪くなって気象庁のwebサイトにアクセスしてみたら、とてつもない地震であったことを知らされました。

地震から一時間ほどたって津波が到達し、その恐ろしい映像は皆様の知るところだと思います。幸いにも、私は震源地から遠く離れた地域に住んでいたので、上述のような揺れ(それでも得体の知れない不気味さを感じました)で済みました。ニコニコ動画のニコレポで安否を気遣ってくださる方もいました。私は幸いにも無事です、お気遣い、ありがとうございます。ニコレポのほうは字数制限の都合上、聞けませんでしたが、クズマさんは特に被害はなかったのでしょうか?


ニコレポのほうにも書かせて頂きましたが、もはや今回の恐怖や今後の不安(余震、原発での放射能漏れ、なによりも生活)は推し量ることさえ難しく、言葉を失います。どうか一人でも多くの方が無事であることを願うばかりです。

2011/03/10

文の取材 第三話 【後書き】

さて、第三話まで来ました。

はたてさんの登場です。ですので、ちょっとはたてさんの印象について述べていきたいと思います。


はたてさんについてはそれほど多くの二次創作作品があるわけではないように思います。で、おおかたは文にたいして歪んだ感情をもっていることが多いように思います。さらには、はたて自身が病んでいるものも多いようにも思います。

で、念写という能力ですが、結構、ネガティブに捉えられることが多いようですね。作中でも、文は「二番煎じ記者」と毒づいています。誰かが撮った写真しか撮れない、というのは確かに弱点ではありますが、あの携帯電話に検索したい単語を入れるだけで膨大なこれまでの写真にアクセスできるというのはものすごく有利なことだと思うのです。少なくとも私の中で幻想郷にはインターネットは存在しないので、何か調べ物をしようと思えば、紙媒体しかありませんし、図書館とかそういった情報インフラが発達しているとも思えません。ですから、天狗の発行する新聞だって、次々に忘れ去られていくわけで、昔の新聞の記事の引用や、参照することはあまりないと思います。ですから、彼女の能力は写真に限定されますが、膨大な過去の資料を利用できるので、使い方次第では他の新聞を圧倒する情報量を提供できるはずなのです。彼女自身もその辺を分かっているので、決して卑屈になっていることはありません。ただ、文の軽いフットワークは自分にはない特徴ですから、その辺を恨めしく思っているのは確かかなぁ。自分の能力は文にはないけれど、文の特徴も自分にはない、それを分かっていてもやはり人の能力はうらやましいというか、隣の芝は青いわけで、どうしても文に対してとがった物言いになるのでしょう。

ストーカー疑惑みたいなことを作中で描きましたが、別にはたては文のストーカーではないです。この物語を造るに当たって、天狗社会について私なりに考察したのですが、階級社会ならば、一日に一度程度はある程度のブロックごとに顔を合わせているだろうし、月一には全体で集まる会合などがあると思うのです。これについてはまた後日詳しく妄想したいと思うのですが、いろいろ考えた結果、基本的に毎日はたてと文は顔を合わせていると妄想しました。で、いわばライバルである文のことは気になるわけで、昨日の服装を覚えていたということでした。ですから、別にはたてが文をつけ回しているというわけではありません。


ちなみに、はたてが文の家(事務所兼自宅みたいなもの)にやってくるのは結構、頻繁にあります。なぜならば、文の情報がはやいから。どうしてもスピードに劣るはたてが考えた知恵みたいなモノです。文のところで情報を集めることで、遅れをカバーできると考えているわけですね。いやはや、はたてさん、策士です。


幻想郷全体からオリジナルなニュースをいちはやく見つけてくる文と、そこから過去の写真を引き合いに出しながら考察を加えた新聞を作るはたて、といったところでしょうか。

2011/03/09

雑記

おひさしぶりです。

「文の取材」ですが、週に1度の更新を自分の中での目標にしていましたが、今週はちょっとずれ込みそうです。土日ぐらいに投稿できるかなぁという感じですので、しばらくお待ちください。


なんだか梅が見頃を迎えているところがあるそうです。そういえば、神社の梅も満開でした。まだ、近所の桜の木のつぼみは堅いですね。桜を春の代名詞ととるならば、春はまだかも知れません。3月の始めにやってきた寒気で、ちらほらと咲き始めていた野花がまた遠ざかったように思います。

でも確実に日は長くなり、河の水も多く、時折虫達を見かける様になりました。

やっぱり、春ですね。

2011/03/05

はたてさん

第二話もたくさんの人に見て頂いてありがとうございます。

ところで、紅美鈴の写真が人気ですね。ちなみにピンぼけは、ぼかしツールを使って表現していますので、“ピンぼけ”そのものを私が表現しているわけではありませんので、感心されていた方、ごめんなさい、あれはツールの力です。去年の10月に初投稿だったのですが、それに比べると、多少はうまくなっているでしょう、「絵がうまいね」というコメントはものすごくうれしい反面、実はこそばゆいのが本音です。

射命丸文の物語ですから、そのうち、天狗仲間のはたてさんも登場することになるでしょう。で、ちょっと書いてみました。二次創作ではいわゆるツンデレであることが多いように思いますが、さて、どのような性格で登場するのでしょうか。


これは小首をかしげたような感じになってしまいました。実は正面を真っ直ぐ向かして描いているはずなのに、若干傾いてしまうことが間々ありまして、困ってしまいます。これは傾きを補正せずに描いたら、まぁたまたまよい感じになった例ですね。

さて、文の取材、どのような人物がこれから登場するのか、お楽しみに。

2011/03/03

文の取材 第二話 【後書き】

さて、第2話です。

私自身、写真に詳しい訳ではないので、ニトリの説明があっているかどうか、実は不安を抱えています。フィルムの感度と、光の量の兼ね合いが大切だ、ということは漠然と理解していますが、それ以上に細かいことになると、説明できないのが本当の所です。そんなのでよくもまぁ、「写真をとる」ということを題材に選んだな、と思います。

ナショナルジオグラフィック(NG)という雑誌がありますが、あれ、すごいですよね。ものすごく引き込まれます。自然であれ、事件であれ、それを切り取った写真はものすごく訴えるものがあります。私が一番引き込まれた写真はかなり古いNGの雑誌で、南米かどこか(あやふや)で取られたものです。それは電気も水道もないような奥地でハンモックにくるまって寝ている女性の写真なのですが、ともかく「美しい」のです。しばらく、ぼんやりと眺めていたのを覚えています。ただ、けっこう肌が露出していたので、じっと見てたら変態扱いされたかもしれません。ともかく、優れた写真というのはすばらしいものです。絵画とは違う魅力がありますね。

で、これまで射命丸文はあまり写真に対して、そこまで高い評価をしていなかった(露光オーバーだったりピンぼけさせていたためですが)。が、きちんと取れば、人を動かすほどの「美しい」写真を撮れる事に今回気づきました。今回は、背景をぼかして撮られた蘭の花に心を動かされたようです。文はこれまで背景をぼかしてなにかを強調する技法など持っていなかったので、これは衝撃的だったのでしょう。が、そういった自分に若干の照れもあるようで、新聞には使えないとかその後言ってますね。

その後、チルノとマリサに取材を行っていますが、これはいたって普通の取材です。チルノが霊夢に勝った、というのは、チルノの解釈ですから、本当に霊夢を打ち破った訳ではないと考えてもらっていいです。ま、その辺りをどう解釈して新聞にするかは文次第ですね。魔理沙が持ってるキノコですが、これは幻想郷に固有種なので詳しい名前は分かりません。ですから、食べてよし、魔法に使ってよしの非常に優れたキノコですが、滅多に手に入らないので、結構一人で盛り上がっていたところを文が見つけた、というところです。さすがに分かる人が少なくて記事には出来ないでしょうが、写真を撮ったところを見ると、造形物としては、結構興味深かったのかもしれません。

2011/03/01

コメント

後書きでは結構ネガティブな事を書き綴りましたが、見てくださる人が多くてうれしい限りです。

さて、いろいろ鋭いコメントも頂きました。

フィルムを使い切るまで新しいものを準備していないのはどうだろう、とか
ご名答ではなく、ご明察のほうが適当だろう、とか
誤字、とか
帽子の位置、とか

たしかに取材をするのですから、予備のフィルムをもっているのは当然ですね。でも、すべての取材の場合において写真が必要な訳でもないですし、カメラの扱いについてそれほど習熟していない所をみると(この動画での設定)、それほど「写真」に対する意識が高いとは思えません。しかも、最速ですから、予備のフィルムを持ち歩くという習慣がないのは特別不自然な事には相当しないのではないかと思います。でも、言われてみると不自然ですね。

ご名答ではなく、ご明察ではないか?これはその通りですね。ニトリが先手を打って文の要求を見抜いた訳ですから、ご明察です。ま、正しい解を述べたので、ご名答が間違い、という訳ではないと思いますが、よりご明察の方が正確なやりとりだと思います。ちなみに、わざと間違えた言い回しを使う事がたまにあるのですが、今回はそういう意図があった会話シーンではないので、ご指摘、ありがとうございました。

誤字、射丸文を射丸文とやってしまった。これはいけない。ただ、動画内で間違えた訳ではないので、直すことができたのがせめてもの救いですが、今後、注意せねばいけませんね。


あと、文の帽子の位置ですが、頭のてっぺんにないのは仕様です。文に限らず、微妙に服装が原作と違うキャラクターが多いですが、これは原作でも各作品で衣装が違っている事をうけています。ですから、その時々に応じた服装をしてもらえばいいんじゃないかと考えています。あと、何より、正確に服装を再現する事が叶わない技量の問題でもあります。ただし、文の帽子の位置は微妙に意味があります。文が天狗の階級社会から微妙に逸脱した存在(里に近い、天狗外の友人も多い、非常にアクティブである等)である事を踏まえて、帽子が本来あるべき位置からずらされています。それだけです。


と、コメントに関するコメントはこんな感じです。

以下、暇話

先日、歩いていたら、近所の神社の梅が咲いていました。梅は香りがあっていいですよね(桜にもある事はあるのですが、あまり強くはないですよね?)。個人的には桜より梅のほうが好きです。枝ののび方とかも梅の方が好きですが、しだれ桜は捨てがたいものがあります。尤も、甲乙をつけようとすることが無粋なのかもしれません。梅が咲いてもう春の訪れを感じるこのごろでした

2011/02/24

文の取材 第1話【後書き】

さて、新シリーズ始まりました。

物語の作り手としては失格だな、と自覚するほど、第1話は「つかみ」がありません。起承転結というすばらしい概念がありますが、第1話ではほどんど「起」がありません。これはいかに。


より多くの人に見てもらう、エンターテイメントして楽しんでもらうためには、物語の始めは大切だと思います。が、なんとなく日常が切り取られて、物語がゆっくりとつながっていって、結局、ハッピーエンドでもバットエンドでもない、日常で終わっていく物語があってもいいんじゃないかと思います。


「多様性」という概念がありますが、やっぱり、「東方」という生態系の中で、超級者から浄級者まで、さじが投げられる動画からハートフルまで、多様な動画があることが大切だと思います。そして、そういった雑多な感じが私自身好きなのです。もちろん、これは起承転結のない物語というか、物語として成立していない物語がみてもらえる理由にはならないのですが・・・

第1話を見て、なんだこの物語は?と思った方も、多少、私の作る動画を気に入ってくださっている方も、今回は「起承転結」のない物語になってるのは仕様です、ということをご理解願えたらと思います。

追記: 

本編55秒付近で、「額縁に写っているのは誰?」という コメントを頂きました。実は「ととも」シリーズの「雪の音」の冒頭で出てきた雪だるまとレティさんと幽香さん、のつもりで描いていました。私の今回のシリーズはぼんやりと「ととも」シリーズとつながっているものだと思ってもらってもかまいません。いやぁ、まさか、そんなコメントをもらえるとは思ってませんでした。

近況報告その5

近頃暖かい日が続きまして、春らしさが増してきましたね。道ばたにタンポポが咲いていたことに気づきました。小振りでしたが、黄色い綺麗な花を咲かせていました。もうすぐ、草木が萌えはじめるのでしょう。

春は年度末と始めで、慌ただしく過ごす事が多いので、ゆっくりと、その早い季節の変化を眺めることは叶わない事が多いです。皆様におかれましては、どうでしょうか、春の訪れを感じさせるものはやってきたでしょうか?

東方の次の長編は「文の取材」というタイトルで行こうと思います。簡潔なタイトルですが、それもいいかな。

2011/02/22

近況報告その4

近々、次の長編の第1話を投稿できそうです。しかし、今考えている物語の結末がしっくり来ないので、若干、見切り発車であるといえます。まぁ、そのうち違うアイディアが思いつくかもしれません。

話自体は7−8話を予定していますが、ゾンビ禍とは違い異変を取り扱っていないので、何か新しい話を挿入することになるかもしれませんので、流動的だと思います。


自分の事以外を書くと、ろくなことにならないのですが一つだけ。

ついに「東方外貨取引」が最終回を迎えるそうです。19話の盛り上がりはものすごく素敵でしたね。ああいった展開を作れる様になりたいものです。ものすごく、最終回が気になりますね。

2011/02/18

近況報告その4

ちょっと、自由になる時間が増えましたので、すこし次の話を作り始めました。ですので、2月の26−27日には次の話を投稿できると思います。いやぁ、本当に2月は短いですね、もうすぐ終わってしまいますよ。あれよあれよという間になにやら雪も溶けて春の足音が聞こえてきそうです。

季節の足音って素敵な表現ですよね。次の季節が「やってくる」という表現は、まぁ分かりやすいですが、そこから「足音」と表現するとなにか素敵です。

2011/02/15

近況報告その3

グーグルのブログ管理機能にはこのブログに訪れた人の数をカウントする機能がついています。ここ数日はブログも動画も更新できない状況が続いているのですが、何人かの人がそれでも訪れてくださっているようです。ですので、ブログぐらいは出来るだけ頻繁に更新したいなぁと思いまして、特に連絡もありませんが、こうして更新してみます。

と、いうことで近況報告します。

まだ、忙しいです。次の作品の完成度は50%ぐらいかもしれません。50%はずいぶんと進んでるな、と感じる方も多いかもしれませんが、これは台本(セリフ)が完成したという意味なので、これからこれを絵に起こして、修正して、動画として時間配分なんかを考えるとこれからのほうが時間はかかります。完成するまでに必要とされる時間を分母として、完成度を計算すれば、25%ぐらいかもしれません。


もうしばらく気長にお待ちいただけたら幸いです

2011/02/11

近況報告その2

忙しい・・・とりあえず、満足にお絵描きが出来ません。レティ&幽香&リリーの組み合わせで、春の訪れでちょっとやりたい話とかあったりするんですが・・・(季節的にはまだ少し早いかもしれません)

若干不純な動機ではありましたが週刊に近い速度で動画を投稿し続けていると、やっぱり、それが自分の中でのリズムになったようでして、ものすごく気持ちが悪い。また、ウォッチリストに加えてくれている人に悪いような気もします。


そう思うと、私生活のリズムとは別に、週刊できっちりと投稿されている「ちぇんちぇんミニ東方」はすごいですね。動画の始まりには残念クオリティ画力とか、いろいろ書いてありますが、短い話でも毎週考えるのは結構しんどいと思います。


あ、ところで次の長編ではこれまで「ととも」や「東方ゾンビ禍」で出てこなかったキャラクターが出てくる予定です。が、それは挑戦としてはよいと思うのですが、ちゃんと書けるか不安です。レティさんのように髪の長さとか勝手に変えてしまいそうです、注意せねば・・・

追記:誤字というか、致命的な間違いを修正。クオリティが残念なはずがありません。まったく、なにをやってるんだか、申し訳ありませんでした。そもそも私自身は「ちぇんちぇん」は残念画力だと思ってませんし、毎週いろんな話を形にしてすごいなぁと思ってるのですが・・・こういう間違いをすると、どうしても取り返しがつかないものです。

そういえば、ニコニコ大百科とか、動画説明文とかで取り消し線をうまく使って面白い文書が書かれていますよね。そういう場合、取り消し線で消されている所に冗談という名の本意というか、本音とかが書かれている訳です(と私は解釈します)。そういう風にとらえる人が多いと、取り消し線で間違いを修正するのは誤解を与えるのではないかとふと思いました。

2011/02/07

近況報告

ただいま立て込んでおります。これまでは土日に籠もっておおかたの作業をしていたのですが、土日も時間を割けませんので、だめですね。2月中には後半に1本投入できるかなぁ、という感じです。気長にお待ちして頂けたら幸いです。

一方で、次の長編のアウトラインがおよそ私の中で固まりつつあります。以下、ネタばれというかちょっとした予告なので、見たくない人は注意してくださいね(尤も、たいした事は書いてないですが)。


2011/02/06

ブログコメントへの返信

しばらく立て込んでおりましてブログの更新もままならず、申し訳ありませんでした。

「雪の音」後書きのコメントで、

画作成で何かを参考にしている・インスピレーションを受けているものはあるのですか?

と、いう質問を頂きました。これについてちょっと、応えたいと思います。

まず、具体的に特定の作品の構成や展開を参考にしていることはないと思います。でもにこにこの二次創作はおもしろいですから、たくさん見ました。ですから登場人物の性格設定面はかなりいろんな二次創作の影響を受けていると思います。というよりかは原作をやったことのない不届き者ですので、各登場人物の設定面はかなりほかの二次創作動画を参考にしているといえますね。ただ、登場人物の性格面はかなりオリジナルな感覚がまじっていて、これはなにかを参考にしたというよりかは、私の「好み」の問題もあります。

インスピレーションですが、物語(台本)を考えるときは、たいてい音楽を流しています。で、BGMの曲調や歌詞にインスピレーションを受けることもあります。もっとも、話のコンセプト自体は「○×する程度の能力」という単純な一次設定または、なんでもない言葉や概念からインスピレーションを受けるというか、もとにすることが多いと思います。

この作品が好きで、この作品のようなものを作りたい、という明確なお手本や、影響を受けたものがないので、漠然とした答えにしかなりませんが、こんなところです。

2010/02/06 追記:誤字を修正

2011/02/02

雪の音【後書き】

物語としては何の脈絡もない話にしています。これまでの「ととも」は幻想郷のちょっとした「出来事」を切り取っていましたが、今回はおそらく初めて、本当に「なんでもない一日」を切り取っています。ですから、後書きとして書こうかな、ということは物語についてはありません。

が、実は微妙に伝えたかったことがあったりしまして・・・。それは雪の音です。

たぶん、大勢の方は雪の音を聞いたことはないのではないでしょうか? が、実際にするのです(本当ですよ、どうでもいいかもしれませんが・・・)。私が雪の音が本当にすることに気づいたのは大学はいってしばらくしてからです。雪がつもっていると、周囲の音を吸収するのか、非常に静かになります(田舎では、ですが)。で、そこに風もなく雪が降り積もると、雪が積もるときにかすかに音がするんです、本当に。「しんしんつもる」、とか「雪やこんこん」とか言いますけど、たしかに、そんな感じの音がするんですよ。あのとき、「あぁ雪はしんしんと降るものだ」というのがわかったのです。

ともかく、雪が降り積もる時に音がするんだよ、ということを伝えたかったりしました。それを知ったところでどうなのだ、といわれると、何でもないのですがね。



この投稿からもうしばらくすると、アンケートが閉め切られます。アンケートにご協力してくださった方、ありがとうございます。「長編」がみたい、とおっしゃっている方が多いようですが、のっけから短編で申し訳ありません。すぐに長編が準備できるわけではないので、つなぎだと思って下さい。決してアンケートをないがしろにしたわけではありませんよ・・・(汗)

現在の所、文をメインに据えた長編がぼんやりと出来ています。こうご期待!


追記:最初にでてくる雪だるまはレティとチルノで作った、という設定でした。だから何だ、という話ですが

2011/02/01

東方ゾンビ禍のエピローグについて

さてさて、東方ゾンビ禍のエピローグを作るよ〜という告知をしていました。これは霊夢と助かった二人についてのコメントがちらほらあったことをうけて、一応考えてあったが削った話をすこしまとめようかな、と思ったことから始まりました。が、投稿してしばらくて、ありがたい事にコメントも充実しておりまして、これだったら、特定の「解」みたいなものをあえて出さなくても良いのではないかと思いました。

もし、楽しみにしておられた方が居られましたらごめんなさい。

2011/01/29

気づいた・・・!!

アンケートにご協力下さいましてありがとうございます。まだアンケート期間中ですが、傾向は変わらないと思います。次も長編が見たいとおっしゃってくださる方が多いようですね、なるほど。長編はすぐには始められないので、およその物語が練れるまで「ととも」シリーズで短編を1・2本あげたいと思います。せっかくの皆様の意見を無視するわけではありませんので、ご了承下さい。

ところでこの投稿のタイトルですが、実は「ととも」用の短編を作成中に気づいてしまったのです。

レティさんって長髪じゃない・・・!


すでに2回、レティさんを登場させた物語を投稿しています。気になって確認したところ、作中で徐々に髪の毛が伸びてる・・・!!最初は肩口ぐらいの長さ(これでも標準的な髪型より長いですが)徐々に肩下になり、二の腕ぐらいまで伸びています。どうも、レティさんを長髪で描く習性はすでについていたようです。ちなにみこんなシーンを作ってました。ものすごい長髪ですね。これはこれで素敵だとは思いますが、これから全部書き直しです。

2011/01/26

ゾンビ禍最終話コメントへのコメントとお知らせ

前回の書き込みではえらく軽卒なことを書いてしまい申し訳ありませんでした。不快に思われた方はすいません。

えっと、たくさんの人に見て頂いたゾンビ禍シリーズですが、コメントもたくさんして頂きうれしいです。
まず、「ダイソン」に笑いました。しばらくはタグもついていたようですが消えてますね。あと、最後の村人とアリスとのやり取りで「計画通り」にも笑いました。確かに、下心があっての会話ならうまくアリスを誘導できてますね、想像できなかった。

で、最後の霊夢に対するコメントなんですけど、最初は霊夢が原因ということで、ずいぶんと責められました。そんなコメントばっかりだったらどうしようと思ったのですが、最後は霊夢を心配してくれるコメントも多くて助かりました。後、永遠亭に運ばれた「二人」のその後を案じる声もあったので、動画に収まりきらなかったエンディングと言うかエピローグをこのブログで挿絵入りで掲載する事にします。ちょっとお楽しみに!

2011/01/25

ちょっときになったので

ニコニコのホーム画面で面白い記事を見かけました。

「ブラックジャックによろしく」を無料配布する

びっくらこいて記事をざっと読むと、まぁ、無料公開しても害はないし、次の漫画で稼げばよいということでした。

確かに無料配布してしまえば、海賊版の問題は多分出ません。だって、無料で手に入るものを海賊版で買う必要はありませんからね。そして改変(色を塗ったりを私は想像しますし、需要も多い気がします)についてもOKだそうです。著名な漫画家が二次創作の(?)材料を無償で提供してくれるのは進歩かもしれません。

が、「次の漫画で稼げば良い」というところが引っかかります。
じゃあ、この人は次の漫画もある程度売れたら(あるいは何かしら衝突があれば)無償で公開するのでしょうか?漫画を完全に自分で売る手法を取らない限り、どこかで間接的に人を養っている訳です。それが出版社であろうが、サイトの運営会社であろうが同じだと思います。ネットだって販売のサイトを運営するにはお金がいりますからね(スタッフ、作品を置くサーバーを借りたりしないといけない訳ですし)。ですので「次で稼げばいいからこの作品はもう著作権フリーね」、というスタンスはものすごく自己中心的に感じるのです。


私は佐藤さんが講談社とどのような軋轢があったかしらないですが、ちょっと、小首をかしげてしまう記事でした。

いやはや、ちゃんと調べないでしゃべるといけないことがよくわかりました。ちょっと、佐藤さんの考えをちょっと検索してみたのですが、漫画の投稿システムを作って、そのシステムそのものは基本的には解放することを考えておられるそうです(漫画 on Webにてすでに運用中)。オンラインでリーダーなしに読めて、課金できて、お金を作者に還元できるシステムを作っていたのですね。失礼いたしました。

うp主の読み方

コメントにてうp主の読み方について尋ねられたので一つ。

ほんとは一時的なニックネームにするつもりだった「李花尺」。読み方は「りー・かじゃく」ないし「りー・ぱちぇ」と読みます。中国語辞典を引いて「パ」「チェ」と発音する言葉でなんかよさげな感じをチョイスしたつもりです。が、間違っていたらどなたか指摘してください。

2011/01/24

後書き 【東方ゾンビ禍:第8話(最終回)】 (追記あり)


全9話という長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。この物語を完結させることができたのも、皆様のコメントやマイリスト、もったいないような宣伝があればこそでした。本当にありがとうございます。

さて、物語を終えて、なんともいえない虚脱感があります。あのエンディングを作ったこともかなり影響していますが。しかし、音楽の力は偉大ですね。名曲の無駄使いとか言われないことを祈っています。

以下、この物語についてどういう設定をしていたのかを述べたいと思います。これを読まねば物語が理解できない訳でも、これが正解な訳でもないですし、なにより支離滅裂です。さらには長いですから特に読まなくても結構です。ですので、読まれない方はサイドバーにあります、投票(次回作の長さに関する質問)にご協力願います。


<アリスの設定>
アリスの人間に対する考え方について、自分の関わっている村(集落)についてはものすごく大事に思うという特徴があります。うp主がこのように考える理由は、ものを食べる習慣の上で人との交流が必然的にあったことにあります。彼女が人間だった(可能性がある)ことも大きな理由です。この物語では上海人形をかなり自律型の人形として解釈しており、自律性を高めていく上で、「人」を観察することが必要で、かつ好きだったのだと思うのも理由に挙げることができます。0話でアリスが走り回っている描写がありますが、あれは飛べないのではなくて、一軒一軒見て回るためで、飛べない訳ではありません。で、霊夢&魔理沙との会話の後のアリスですが、彼女は村で村人の亡がらを集め(その様子を隣村の村人に見られていて、村人は最初不気味に思いましたが、彼女の行動に遠巻きながら感謝する様になります)、墓を建てた後、独自に調査を行こうとしたという設定です。霊夢&魔理沙に加わらなかったのは、霊夢が自分を疑ってかかったことがまず原因にあります。独自調査ですが、村の慰霊にけっこう時間がかかりましたから、文に声をかけられた時点で、これから調査に乗り出すところだったと考えています。で、紅魔館では文&パチェから説明を受けて、魔法の準備を行ったというところです。ちなみに紅魔館で霊夢に渡した瘴気は魔理沙から抽出されたものです。

ちなみにアリスによる最後のシーンはかなり前から決まっていました。正確に言うと、2つまでしぼられていました。
一つは今回採用した、おじいさんに誘われて行った新しい村でまず、子供が上海の人形劇を見たいとせがまれて、そこから村の人と仲良くなるパターン(人形劇の場面で終わってますが)。
もう一つは、おじいさんに誘われて行った新しい村でカボチャを買って、スープを作って、それを前にしてアリスの涙で終わるというパターン。
没案はちょっと、鬱すぎるかな、と思いやめたのですが、かなり迷いました。ちなみに0話のサムネにしたアリスの人形劇はゾンビ禍に最初に教われた村、「仏谷村」での人形劇のつもりで描いてました(コメントで指摘がありましたね)。ですから、採用した案も0話での悲劇をベースにしているので、よく考えると鬱臭いですね。でも、採用した案の方が前向きかな、と思いませんか?少なくとも私はそう思います。

<霊夢&魔理沙>
すでに後書きでそのコンセプトは述べていた気がするので、重複があれば許してください。要は二人は10代の子供だと言うことです。ですから、魔理沙は不用意な発言をしますし、霊夢は妖怪の仕業だと結構信じているし、その後も疑心暗鬼になって理性的な判断を失っていたりします。コメントでは脳筋とまで言われていましたが、それほど合理的な判断を出来ていない以上、適切なご指摘だと思いますし、そういう一面はあると思います。また、瘴気に侵された魔理沙を紅魔館に運ぶ選択を「勘」の一言で片付けています。皆様コメントにていろいろ理由を考えてくださいましたが、私としては、本当に「勘」だったのだと思います。物語を作っていく上でも、紅魔館の方が展開が面白いな、とか、そういうことは全くと言ってよいほど考えませんでした。ですので、紅魔館の選択についてのコメントは、「なるほど・・・」と感心してしまいました。で、彼女達は物語に振り回されただけのようになってしまいました。それは霊夢がそもそもの原因にあるということでお仕置きの意味を紫が持たせたためであり(後述)、仕方がなかったと言えます(協力してもいいわけですから)。以前の後書きでは、妖怪の情報網について述べましたが、あの設定は嘘ではないのですが、今回は紫の意向が強く影響していますので、萃香ですら情報を隠していたのは特殊な事情があったと思ってください。ま、二人はまだ子供なんですよ。でもそれはきっと妖怪達に取っては新鮮なのです。

<紫>
描かれていない割には動きの多い妖怪でした。「幻想郷」を愛する妖怪として、異変自体には早くから気づいている(アリスの火事直後)。経験から来る直感も鋭いと思います(do not mean BBA!)。ですから、アリスの一件の直後には原因が瘴気であること、それが何らかの原因でものすごく濃いことを悟った。で、さすがにそれだけでは分からないので文を召還して調査を頼んだ。同時に村をのみこんだり、瘴気の動きをのぞいたりした。で、霊夢が原因だろうと悟ったのは、「ゾンビ」の噂が広がっているとまず文から第一報が入った時点を考えていました。それ以後、霊夢を反省させることを企てて、文に情報収集と同時に妖怪に対して箝口令をだすように文に頼んだ。で、霊夢達がすったもんだやった後、結局魔法で解決させた。霊夢に対する命令の「人を集めてなんか言いなさい」、というのは、霊夢の言葉で解決できるかどうかを見ることで、霊夢の求心力というか、人心掌握力を測る目的もあったり、だめだったとしても、魔法使い達が一括して処理してくれるだろうという読みから出たのだと思います(最悪、スキマに引きずり込むこともできたでしょうし)。紫は別に紅魔館と連携を密にとっていた訳ではありません(紅魔館としても文の後ろに紫がいることは感じていたでしょうが)。

<文>
かなり暗躍しています(する予定でした)。が、あっさりそのシルエットでばれてしまった、今回残念なキャラクターになってしまいました。彼女の思考としては特に変わった設定を持ち込んではいません。新聞屋としてアリスの起こした火事を見て飛んできた。で、本来はことの顛末を調べて記事に出来るぐらいにしか思ってなかった。が、アリスと分かれた直後に紫に捕まり(スキマにて召還された)、紫の見立てを聞かされ、紫の手足となって働くことを承諾した(きっと、なにか取引があったでしょう)。精力的に情報を共有させたのは紫の意図です。基本的に作中で「焦げ文」は一言程度しかしゃべりませんが、別にあれだけしか会話がなかった訳ではありません(それが分かる様に会話の途中をきりとったつもりです)。基本的にはゾンビの発生状況と霊夢と魔理沙の足取りと、彼女らに情報をもらさないでほしいと頼んでいたと思います(幽香のように取りつく島もない妖怪もいますが)。彼女は幻想郷が崩れるのは困ると発言していますが、これは彼女(を含め大半の妖怪)は人間がゾンビになることよりも、ゾンビになることで人口が激減することを心配していることを意味していると思います。その辺、アリスをのぞいてドライですね。

<紅魔館>
ぱちぇりーとやってしまった。ま、パチュリーは魔法使いとしての興味しか持ち合わせていないので、別に人がどうなろうと興味はない。でも、魔理沙の治療と、濃い瘴気を魔法使い複数で浄化するというプロジェクトは、魔法使いとして興味があるので協力したというところでしょう。魔理沙の体も調べ回ったに違いありません。だって、人間なのに十分な魔法使いですから。自身が魔法使いという種族になっている以上、違うタイプの魔法使いに興味を持つのは当然です。ですから、若干悪い顔をしているのはそういう意味です。後のキャラクターはそれほど特徴づけていません。が、美鈴が瀟洒であったりするのは私のデフォルトですし(眠くて寝るなんてありえない、寝るなら意味があるはず)、咲夜が一言もしゃべらないのはメイドであり、あの場での発言権はないと考えられるからです(ただし咲夜の立ち位置がレミリアの後ろなのはおかしいですよね、後見人じゃないんだから)。

<永遠亭>
今回、永遠亭はほとんど物語に絡ませませんでした(というか、絡めようにも私の力量を超えます)。永琳はあくまでも人(死なないがあくまでも「人」、正確には月の人か)なので、妖怪やその他の「よくわからないなにか」については弱いだろうという設定を持ち込みました。ですから、瘴気が体をおかしている状態を脳波のみだれで確認することは出来ても、その原因を取り除くことは出来ないし、鈴仙が波長をつかって瘴気という妖怪のようななにかを「焼き殺した」結果を理解することも出来ませんでした。そういう設定ですから、ある意味霊夢の勘は正しかったのかもしれません。ちなみに永遠亭に運ばれた二人に千代ちゃんを含ませたかった(コメントで気づいている人も居られたのですが、恐縮です)ので、運ばれた村人が映っているシーンは千代ちゃんを想定しています。これは萃香の発言と矛盾する可能性が大なのですが、うp主の精神衛生上、必要だったので許してください。で、もう運ばれた1人はゾンビの喰い合いの最後の1人を予定していました。実は助けられた二人が永遠底から出て行くシーンを挟む予定だったのですが、カットしました。ま、それほど永琳や永遠亭のメンバーについて描写した訳ではないので、設定はこの程度ですかね。

<萃香>
特に設定はありません。ゾンビになった村をとりあえず封鎖して霊夢を呼びにいったのは、萃香と霊夢は仲がいいだろうしなぁと思ったからです。



<幽香> 1月25日追記

基本的に人間に興味のない優しい(?)妖怪です。魔理沙とのやり取りは結構序盤の盛り上がりのポイントだったりするのですが。ゾンビに「警告」を発したのはゾンビであることの確認であると思います。その辺優しいですよね。ただ、ゾンビが谷から出てきた時点でその村がゾンビにすべて侵されていると判断したのはちょっと、ざっくりしているような気もしますが、でもゾンビにおびえる恐怖とか、結局助からない可能性があの時点では高かったことを考えれば、妥当な判断なのかもしれませんが・・・。



ちなみに、最後のひまわりは、きっと幽香がくれたに違いありません。辺境の村に大した花は咲いてなくて、里に行けば売っているかもしれませんが、基本的に辺境ほど貧しいものですから買えない(里から遠いのも原因の一つ)。きっとこういった事情を説明したら幽花も1本ぐらいくれますよ、きっと、優しく微笑みながら。そういう幻想郷であってほしい、という妄想に準拠しています。




<最後に>
何度も同じことを言って見苦しいですが、
見て頂いた方、コメントを残してくださった方、マイリストに加えてくださった方、宣伝をしてくださった方、最後までおつきあいしてくださいましてありがとうございます。おかげさまで、始めて2525再生、100マイリストを突破いたしました。これらが励ましになって物語を完成させることができました。本当にありがとうございます。それでもまだまだ不出来なところもあると思います。これからも精進していきますので、どうぞ次回作もご視聴くださいませ。

2011/01/23

名前

ちょっとここでとりあえず決めたいことがあります

最初はOkmというニックネームで動画を投稿していました。で、ちょっと李花尺という名前に変えました。これ、ゾンビシリーズを終えたらまたOkmに戻すつもりでした。ですが、予想以上にこのニックネーム気に入りまして、このまま使っていこうと思います。ですが、Okmも捨てがたいので、「李花尺」と「Okm」を併用して行こうと思います(面倒な奴で申し訳ない)。


基本的に「李花尺」が名前のうp主で、中身が「Okm」というスタイルで行こうと思います。非常にどうでもいいことですが、以上、よろしくお願いします。

アンケートご協力のお知らせ

いろいろブログをいじってみると、どうやら簡単にアンケートを採れるようなので、ちょっとやってみたいと思います。

右のサイドバー(アーカイブとか広告とかあるスペース)にどれくらいの長さの動画がよいのかアンケートを置いてみました。ちょっと気になるので、よければアンケートにご協力下さい。短編・中編なら「ととも」で、長編なら、「ゾンビ禍」のように別枠で作ろうと思います。

私自身(視聴者)としてはトータルで60分を超えると一気見がつらくなるので、その尺に収まる方が好きですね・・・。東方ゾンビ禍はそう言う意味ではかなりぎりぎりの作品です。

このブログを見てくださっている方がどれくらいおられるのかは分かりませぬが、2月の頭までアンケートを採るので、ぜひ、一度、投票してください。投票がある、それだけでも励みになるのでよろしくお願いします。


あと、ブログをいろいろいじりました。

土日のお絵かき

さて、今日はちょっと、疲れたので、ぼんやり落書きをしました。実はこういう落書きはこれまでにもしていたのですが、その場で消していました。先日、少し消すにはもったいない落書きが出来てここに載せたのですが(「輝夜入浴中」)、せっかくなのでこれも載せてみたいと思います。構図とか、別に何のひねりもございませんが・・・



白蓮さんです。ちょっと、イメージをつかみ損ねているので、いまだ私の中で物語が紡げていません(白玉楼の二人もそうですね)。でも、周りの妖怪も充実(?)しているので、そのうち登場することになると思います。しかし、不思議なグラデーションのかかった髪の毛ですね・・・これ、作品にするときは面倒くさそうです。

2011/01/22

魔が差したら・・・

昨夜、ぼんやりと書いていたら、こんなのが出来てしまった。 orz

自分でもびっくりですよ。えらく「おおきい」ですが、輝夜です。
なにやら表情がよかったので、消すのはもったいないのでここに載せておきますね。
ところで、これ、ぜったい、のぞきに気づいている表情ですよね。
いや、本当に何を描いてるんだか・・・




輝夜:「・・・何を描いたのかしら」
主:「あ、いえ、その・・・すいません」
輝夜:「どうしようもない子ね」
輝夜入浴中・・・

2011/01/21

タグにコメント(ゾンビ禍7話)

いや、今回のタグも面白かったですね。

「焦げてねェ丸」「アバウ東方」

文がやっと姿を見せました。というか、本当は文の存在をここまで隠す予定だったんですよ。

「先手先手を打つ様に動く陰がいて、それは果たしてゾンビを生み出した黒幕なのか?霊夢達の動きを伝える真意とは如何に!?」

みたいな展開を予定していたのですが、あっさりばれましたね。もっとカメラさん近づかないとシルエットでばれてしまいましたよ、反省です。・・・もっとも、口調である程度分かる様にはしたんですよ。例えば、スイカに話しかけるときは丁寧語にするとか。一次設定ではスイカとは普段言葉で喋るという設定だったようにも思いますが、一応、鬼に対しては丁寧にしゃべってもいいかな、と思いましたので。その辺は工夫したのですが、予想外でした。ま、先手先手をうつ機動力があって、かつ、情報をリークしているような役回りは文 or はたてぐらいしかいないでしょうから、仕方なかったのかもしれません。でも陰の特徴って、短めのスカートぐらいでしょ?羽は描かなかったし、帽子(?)は描きましたけど、ごく控えめに描いたのでばれないと思ったのですが・・・


あと、博霊霊夢になってましたね。博麗霊夢です orz
でも、これはコメントで指摘される前に気づくことができました。と、いっても何の自慢にもならないのですが。

追記:おや?文さんから何か言いたいことがあるようです



うp主:「おや、どうされましたか?」
文:「焦げてるとか、どういう事よ!?私は焦げてないわよ!!」
主:「ちょ、私のせいではあ゛ぁ゛ああぁ・・・・」

2011/01/19

コメント その2

先日、批判的なコメントもほしいな、というブログでの発言をした後で、思ったことをつらつら書きたいと思います。

「(初回)コメント非表示推奨」というタグ(類似するタグを含め)を動画が荒れた状態を表す指標として私はとらえています(勿論、動画としての質がすばらしく単に「コメント」が邪魔になる動画もあります。大百科にも定義されてますね)。で、低質なコメント(罵り合い)がたくさんある状態は、確かにあまりうれしくない状態だと思います。
が、別にけんか腰になってもいいですが、何か議論してもらえたら、その動画としては意図していたにせよ、そうでなかったにせよ、意味があるのだと思います。私の投稿した作品も多少なり、議論の余地があるはずです。例えば、私は輝夜を「自然を愛する姫」として定義して、美しく書きますけど、それに対して、批判してもらって結構なのです、「彼女も人間だろう」と。二次創作といえど、その設定自体に含まれる盲点や矛盾は指摘されて当然であるし、それに対しての反論もあるべきなのです。一次設定や他の作者様の二次設定と比較してもらってもかまいません。むしろ、どのような人物こそがそのキャラクターにふさわしいかを考えることは楽しいですし、面白いと思うので、推奨したいくらいです。ただ、それをよそ様の動画でやられるとまずいですが。もちろん、動画を楽しみたい場合にはそういったやり取りは醜いものかもしれません。が、動画を楽しむことと、動画を議論することは分けて考えることができた方が、なにやらよい気がするのですが、どうでしょうか。コメントあってのニコニコですから、たのしむときはコメント非表示で、動画内容を食べるときはコメント表示で、という使い分けは無理かもしれませんね。


ちなみに、私にとって弾幕や職人と呼ばれる人のすばらしく面白いコメントは、動画という完成された料理に後から醤油やソースをかける行為であり、それによって美味しくなる一方で、本来の味を隠すものだと思います。wwwのコメントや動画のぼけに対する突っ込みは動画を楽しむという目的にかなっていると思うのですが、弾幕や秀逸な職人芸は(それを期待しての動画は別として)ちょっと作者目線では避けてほしいコメントです。


以上、コメントに関することでした。


2011/01/18

東方ゾンビ禍:第7話 【後書き】

さて、7話まできました。

瘴気という存在ですが、これを原因とするというコンセプト自体はわりかし早い段階で決まったのですが、これが受け入れられるかどうかは投稿後、すぐに書かれている現時点では分かりません。作中ではほとんどその原因となった瘴気の必然性や詳しいメカニズムは述べられていません。

ちなみに、アリスに説明を求めたのは、パチェさんは説明が専門的で、話が長く、必要不可欠な情報を端的に述べることがちょっと苦手だろうという妄想に準拠しています(第3話でも魔理沙がゾンビの説明を拒否しているシーンがありますよね、あれも同じ理屈です)。後、パチェさんの名誉のために言っておきますと、説明が分かりにくい訳ではありません。ただ、詳細に話をする癖があるだけです、ええ。

話をもどしまして、今回のゾンビに関する設定を述べたいと思います。まず、ゾンビには3種類あります。

1:魔法によって人間から理性と感情と、感覚を奪うことによって作られたゾンビ。したがって、術者による魔法が解けることによって理性や感情を取り戻すことが可能。催眠術に近いが、魔法によって肉体の強化、行動原理をある程度指定することによって半自立的な行動がとれることが催眠術とは異なる点。様々な方法(お札をはる、薬を飲ませる、魔法陣の上を通らせるなどなど)によって生み出すことが可能。作中でパチェさんがおっしゃった通り、術者による魔法の解除がもっとも有効な解決法だが、いろいろ対策があるようだがそこまで、設定は考えていない。

2:細菌やウィルスによって作られたゾンビ。これは永琳がかなり詳しく作中で説明してくれたので割愛。生物兵器によって作られたゾンビとほぼ同義。ゾンビを作り出すなんてそんな都合のよい細菌やウィルスは多分、この世に存在しないだろうけど。

3:瘴気によって人々の恐怖心につけ込み生み出されたゾンビ。人の恐怖心に取り入る瘴気によって生み出される。

で、ゾンビ禍シリーズでは3番目のゾンビでした。で、詳しく解説したいと思います。

まず、瘴気ですが、瘴気とは、作中で説明があった通り、雰囲気です。正確には「妖怪ではないが、意思(たいていは人間に対する悪意)をもった空気」です。そもそも妖怪(神様を含め)というのがよくわからない存在なわけで、それが具体的な存在として存在できる幻想郷であるから、そのような具体的な存在に至らない「なにか」が存在してもいいじゃないか、という妄想に基づいています。で、瘴気自体はかなり自然発生していると考えます。ひとびとが何かを恨めしく思う気持ち/恐怖する気持ちが空気中に伝わって、それがただよって吹きだまり、それが「意思」をもった瘴気へと変わる。最初にゾンビが発生した村はそのような瘴気の生まれる吹きだまり(魔法の森も含む)に近いせいで、これまでも「病気」や「狂気」を生み出す瘴気に比較的犯されやすく、「不吉な」村扱いを受けていた、ということです。

で、今回は、ゾンビの噂(シリーズ最初の会話シーンを参照)を耳にした村人達の恐怖が集まり、ゾンビを生み出す瘴気を作り出した。しかも具体的な恐怖「おそろしいゾンビという存在」が集まったために通常発生する瘴気に比べ、非常に「濃い」瘴気が生まれた。メインの里からその噂が持ち込まれたのが第0話のちょっと前、で、村人がたまたま寝込んでいて(これは単なる病気)、ゾンビとかやだな、とかそういうふとした恐怖に瘴気がつけ込んで1人「ゾンビ」へ、それを見た人々は恐怖するわけで、連鎖的に瘴気が人々の心を喰って、ゾンビが発生するという訳です。で、瘴気はあくまでも人の恐怖につけ込むので、動物はゾンビになりません。だから、動物ゾンビは描いていません。妖怪が感染しないのも同様の理屈です。霊夢はゾンビ妖精はいてもゾンビなんていないと信じているので、瘴気が霊夢の心を喰うことは出来ません。一方で、魔理沙はゾンビは「うつる」ものだと思っているので、それを意識して恐怖する心に瘴気は取り入りました。で、「かゆい」とかは魔理沙のゾンビに感染する際のイメージです。魔理沙が瘴気に感染してすぐにゾンビにならなかったのは、ゾンビになるには時間がかかるというイメージ(きっとバイオハ○ドとか、プレイ済みなんですよ)があるせいです。

瘴気が濃くなると吸っただけでゾンビになる、というのは、まぁ、そんな理屈があるわけではないのですが、やはり、瘴気は恐怖から成り立つものですから、ゾンビを目の当たりにした人に瘴気が感染する過程で、その人がもった恐怖を取り込む訳で、当然、強くなると妄想しました。

ゾンビの行動原理ですが、瘴気の自己増殖の原理とその人のゾンビに対するイメージに左右されます。人のゾンビに対するイメージは噂(死臭、肉を喰う、鈍い)によるもので、それほど地域によって違いがある訳ではないですが、子供は噂をそれほど理解している訳ではないので、子供らしさを残していると考えています。で、自己増殖するためには、新たにゾンビでない人にゾンビを見せつけることが有効ですから、基本的には村が瘴気に飲まれてしまった後は外に出ようとします。が、スイカが封鎖した場合は、それが叶わず、肉を喰うという行動原理が働いてゾンビ同士が共食いを始めた、という理屈が成り立ちます。

ゾンビについてはこんな感じです。次はいよいよ最終回です。終わったら、このほか、設定や、疑問に応えていこうと思います。