2013/06/02

色の名前 4 【後書き】

まずはちょっとした連絡。
現在、コメント欄の解放の仕方について試行錯誤が続いております。これまで特にコメントを残す事に制限はありませんでしたが、すこしスパムらしきコメントが増えたので、少し前から、文字認識と管理者による承認をコメント表示のために必要なステップとしました。が、管理者による承認は結構面倒くさい(主に私が、ですが)ので、現在、管理者による承認は必要なくなっています(文字認識は必要です)。どこに落ち着くかわかりませんが、また様子を見ます。右カラムの「コメントを残される方へ」というところに最新の状況を記しておりますので、コメントを残される際に確認してくださると助かります。


さてさて、色の名前が着陸しました。
リメイク+拡張版でお送りしました本シリーズですが、まぁ、連想ゲームみたいなものです。「色」という言葉からいろんな物語を紡いでみた、そういったものです。

 「色」という言葉は本当にいろんなところで使われていますね。今回は触れませんでしたが、素粒子学の世界でも色をつかって表現する事があったように思いますが、さすがにそれは私の理解を超えるので扱っていません。四話でも「十人十色」という表現を使いましたが、人のもつ性質の違い、これも色という言葉で表す事がありますね。
 遠い記憶に、エスキモーは雪に関する言葉が豊富なんだというものがあります。これは彼らに限った事ではないですが、必要であれば、人間の外界を認識する力というのは結構鋭敏になるみたいですね。数マイクロメートル(記憶が怪しい)の凹凸を見分ける事ができる町工場のおじさんとかもいらっしゃるとか。それはもちろん色に関してもそうだと思います。そんな事を妹紅には述べてもらいました。実際のところ、どうなのでしょうね。今の季節、竹林にとっての秋を迎え、彼らはずいぶんと老いた色合いをしています。そのうち、さめるような若々しい緑の竹をみる事ができるでしょう。梅雨の時期が楽しみですね。私はそれ以上の竹の色合いを認識できませんが、きっとそこで暮らしてゆけば、なにかしら見えてくる事もあるのだろうなぁと思います。ミスチーは音で対抗していますが、果たしてどうでしょう?乾いているか、しけているか、のほうが竹の状態より大きな要素になりそうですけどね。
 藍はちょっと調子に乗ってしまいまして、いたく妖艶な感じとなりました。まぁ、そんな夜もあるでしょうよ・・・ということで、許しておうせ。いや、傾城の九尾なんで・・・、はい。
 まぁ、冗談はさておき、割と藍と紫の抽象的な会話は好きだったりします。紫が最後、一日とて同じ日はない、と言っていますが、それはそれで大変な事だと思います。「巡るは季節」の紫、あるいは「朱と蒼」の永琳などはそうですが、長い長い一続きの歴史を生きるというのは大変な事なのだと思います。藍はそういう紫を尊敬していますが、それがすばらしい事とは限らない事を紫は霊夢(とそのうまれかわり)と、永琳は輝夜と接する事で感じていると思います。だから紫と永琳はかなり似ていると思います。お茶会したら盛り上がるかもしれませんね。

私たちは同じ様な日を繰り返し、そして感性を鈍らせ、「一年が早くなった」とぼやきます。でもそんな事はなくて、その日の天気、そして自分のおかれている状況、気分によって空の色(例えば夕日が顕著だと思います)は、毎日違って見えるのではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています。


さて、これにてリメイク版を終わります。いかがだったでしょうか?つぎはニコ童祭に間に合えば良いなぁ・・・と考えていますが、こればっかりはどうでしょうね。

3 件のコメント:

  1. 色の名前、拝見させて頂きました。
    つい先日「この歳になると一年はあっという間に感じるねー」なんていう話を仕事場でしていたのですが、以前と比べて時間の流れそのものが早くなった訳ではない事に気付かされました。
    そして身の回りを流れていく風景に新たな視点を持って接する事が出来るようになれそうです。

    次の作品も楽しみにしています。

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  2.  色の名前、お疲れ様でした!
     短編だった時から好きな話だったので、こうして長編になったことはとても嬉しいです。それでは以下に感想を。

     私事になりますが、自分が色に興味を持ったのは北原白秋の詩、「城ヶ島の雨」を読んだ時からです。詩の一節に「利休鼠の雨が降る」というものがありまして、利休鼠とは何かと思って調べた所灰色の一種だとわかりました。また、それに加えて日本には様々な灰色の種類があることも知りました。日本にとって灰色は重要なわびさびを感じさせる色だったのでしょう。自分にとって色の広がりを初めて感じた瞬間でもありました。
     そんな折に短編の「色の名前」が始まり、さすが李さんやで…などと勝手に思っていたのですが、今回長編になって新たな色の広がりを感じました。色の名前から始まり、音色、そして慧音先生の色に対する見解、ラストの紫の複雑さ…この作品は色というテーマから始まり、人間あるいは世界そのものの複雑さに対する言及につながっているように思います。明日見えている色は違う、紫のそれにはやや寂しさもこもっているように感じました。慧音先生が「言葉は伝えるものである」ということを重視しつつ十人十色を肯定するように、認識というものは極めて複雑です。それが面白いとも言えるし、同時に悲しくて寂しいとも感じます。
     チルノが面白いと感じた色の名前、紫が感じた長い歴史を積み重ねていく上での複雑さ、おそらくそれらは同一線上にあるのでしょう。人あるいは意識あるものが見て作り上げていく世界ですからね。

     今回の長編のおかげでこの「色の名前」がより好きになりました。穏やかなセンス・オブ・ワンダーともいうべきものがあると思います。
     それでは次回作も期待しております。

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  3. ka waさん

    コメント、ありがとうございます。
    私自身もこうして東方二次創作を通じて、これまであまり気にとめてなかったことに注意を払うようになったと思っています。慧音や以前、文も述べていますが、「狭い世界は自分の認識の度合いを深めることで広くなる」。これは実際に我々もそうだと思います。もしこの動画をみて、少しでも世界を見る目というものが増えたのであれば、私はものすごく嬉しいですね。

    どうぞこれからもよろしくお願いします。

    クズマさん

    いつもありがとうございます。
    なんだかクズマさんの感想を読むと、「なるほど、私はこういう物語をつくったのか・・・」と漠然とした思いというのが固形化される気がします。もちろん、私もテーマをもって動画を作っているわけですが、はたしてそこで繰り広げられる会話は多分に自然発生的なので、明瞭な意図を持たなかったりするのです・・・。

    そして、紫の最後の独白、あれは「巡るは季節」の記憶が明瞭にある中で、これもまたごく自然と出てきた言葉でした。世界を認識する力が卓越し、二度と同じ日がやってこないことを「実感」している、し続けると言うことは大変なことだと思います。それはきっと空の色にも現れるのでしょう。


    ま、藍に対してちょっと抽象的な事をいってみたかっただけなのかもしれませんが。


    次回作はまだ特に決まっておりませんが、またよろしくお願い致します。

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