2011/04/28

ととも〜春ですよ〜 【後書き】

「ととも」でひとつ小話を作りました。
そういえば、ブログなどでは「文の取材」→「ととも」→「次の長編」という流れで作っていきたいなぁという話をしていましたが、「文の取材」の最後では次はレティで長編というアナウンスをしていますね。長編を期待していた皆様、申し訳ありません、もう暫くお待ちくださいませ。


さて、今回はかなり東方原作からは設定がおおきく離れています。とくにリリーは花を咲かすことができるみたいですが、その設定は今回無かったことになっています。なぜ、この設定を無視したのか?それは「春を伝える程度の能力」と表現される能力は、春を「知る」必要はあるが、春を「作る=花を咲かせる」必要はないな、と思ったのです。そしてホワイトとブラックという二人の春告精(黒い方は別人格ではなくて、単に衣装が違うだけみたいですが)にそれぞれの能力を割り振ったら面白いんじゃないの?と思った訳です。おそらくリリーは花を咲かせられるんじゃないの?といったコメントが寄せられると思いますが、本作ではそれをわざと無視しています。そもそも春が来たからといってすべての草木が花を咲かせる訳ではないですしね。

動画の最後にも書きましたが、「春が来た」というのは非常にあやふやなものですよね。妖精達が「桜も咲いていないのに、春というのはおかしい」というのは、彼女達が間違っているのではなくて、彼女達の春の基準が桜にあるだけです。ですが、春告精にとっての春はもう少し早くて、梅やコブシが咲いたり、虫達が地上に戻ってくるときを春の始まりだと思っている訳です。ちなみに私の春の基準は、・・・なんだろう、毎年違う気がしますね。むしろ、何度も春らしい出来事に繰り返しであう事で春だなぁと思っているように思います。季節の“訪れ”は過去完了なのかもしれません。今年は梅をみて、タンポポをみて、日だまりの暖かさにのんびりとして、桜が咲いて、あぁ春なんだなぁと思ったりしました。

誰かに「春ですよ」そして「春ですね」と言える世界が素敵だと思います。


そうそう、先日メールを頂きまして、文の取材の二つばかりのシーンをにpixivにupしておきました。
夕日のシーンと朝顔です。

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