2013/12/22

落書き











どうも、お久しぶりです。
現実の方はまだまだ忙しいのですが、まったく息抜きをしないのも精神衛生上よろしくないので、少しだけ遊んでみました。

ホントはMerry Christmas Mr.Lawrenceにのせて少し動きをつけながら、ゆっくりとした風景を切り取れると良いのですが、技量も時間もないので、ちょいと「詩」的にまとめてみました。

なんのことはない、冬になって、無性に柿の木に熟れた柿が白黒の世界に一つだけ残っている風景が描きたくなっただけです。えぇ・・・

冬も良いものですね。

ところで 今日は冬至ですね。皆さんはカボチャ、食べましたか?

2013/09/01

お知らせ

しばらくの間、活動を停止致します。
時期は分かりませんが、おそらくそのうちひょっこりと復帰すると思います。


そのときはまたよろしくお願い致します。

李花尺

2013/08/25

週末雑感 秋の気配


どうも、李花尺です。

 さて、私の住むところではだんだん秋らしさが感じられるようになってきました。昼の間はまだ夏の虫たちが騒がしく鳴いてますが、夜になると秋の虫たちの声が大きくなっています。少し前まで該当の元で夜も忘れて鳴いていた蝉たちの勢いは衰え、その主役を譲った感がありますね。時折暑い夜もありますが、過ごしやすい夜が増えてきたように思います。あれだけ長かった昼もすでに暗くなるのが早くなり、夕闇が包む時間が妙に寂しいものです。
 近所の河原では秋の虫の大合唱、というよりもめいめいが好き勝手に演奏するのでなにがなんだか分からないほどの大音量になっています。ふと、あれだけたくさんの虫が一度に鳴けば、意中の相手に思いが届かないのではないかと心配になるぐらいです。どうなのでしょうね、やはり聞き分けることが出来るのでしょうか?・・・本当は虫の心配より自分の心配をしないといけないのですが、まぁ、それはそれとして。

 さて、8月も終わりに近づいていますが、どうやら8月は投稿はお休みになりそうです。忙しかったのと、hkzさんの夏祭り合作SP2013というリレー四コマ企画に参加していたためです。フリの2コマを作って、それに対してオチの2コマを別の人が作る、という企画です。フリを作るのはさして難しくなかったのですが、オチはやはり難しいですね。あぁでもない、こうでもないと考えていたら8月が終わってしまいました。自分だけで完結していないので、妙に肩に力が入ってしまいますね。いいものが出来たかはわかりませんが、8月32日に投稿だそうなので、見て頂けると嬉しいです。
 この企画の宣伝動画をhkzさんが作ってくださってますが、その中で、私が参加することに驚いているコメントをいくつか見ました。そんなに意外でしたでしょうか?確かに企画ものにはこれまで参加したことがなかったですし、4コママンガにも縁がなかったので、驚かれたのかもしれません。ただ、私は誘われたらあまり断らないほうなので、今回もそういうことです。


 今週はこれくらいで。それでは。

2013/08/18

週末雑感


どうも、先週はさぼった李花尺です。

 さてさて、先々週は毒のある話をしました。普段の作品ではあまりそのような風は出ていないでしょうし、拙ブログでもあまり毒のある文章は書いていないつもりでした(初期は別ですが)。なので、意外に思われた方もいらしたかもしれません。ですが、私も普通の人間なので、いらっとすることはありますし、それを表に出してしまうこともあります。本当は孔子のように「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」の境地にいけるとよいのですが、孔子様ですら七十歳までその境地に至らなかった訳ですから、私がその領域に達するわけもありません・・・というのは理由になりませんが。
 自分が考える理想と実際に感じることの齟齬というのはまだまだ私の中にあります。言葉としてでてくる表面はなるべく体裁を整えることはできても、やはり、腹の中では違うことを考えていることはまだまだあります。先日はたまたま(?)それが非常にわかりやすい形で表にでた訳ですね。

 私自身、人間的にはまだまだ感情的になる部分も多いし、修行が足りない部分がたくさん残っていると思っています。ですが、そういった「ゆがみ」こそが作品を作るレンズになっているとも思います。
 透明な、完成された人間は世界をそのまま写し取って、その内側には世界がそのまま投影されてなにか像を結ぶことはないような気がするのです。逆に「歪んだ」レンズを通すことで、その人間には強烈な焦点をもって世界の「一部」を投影するものだと。もっとも、外界に対する怨嗟でレンズが曇ってしまえばその像はさして美しいものにはならなかもしれませんね。
 私がどのようなレンズの性能を持っていて、どう世界を切り取っているかの評価は私の中と世に出てからは違いますし、その間の齟齬は論じても詮無いことです。だからこそ、自分のレンズは曇らないようにしたいし、より磨いて行きたいものですね。

2013/08/05

雑感 返信


いつも動画を見てくださっているIsさんにブログを読んでいただいて、昨日、カッとなって書いた文章に痛い反論を食らったので(こちら)ちょいと自己弁護を。。。

あ、まず、私は発酵食品は好きですし(なれ鮨とか)、自分の手で伝統的な発酵食品を作る事に嫌悪感を持っている訳でもありません(実家の漬け物が最高だと思ってますよ)。あと、伝統的な方法に対して疑問を呈している訳ではないです。ちゃんと断ってなかったのでわかりにくかったかもしれません。


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リスク回避
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Isさんの言うように、リスクというのは回避する手段があります。人間の五感もそうです。また、ぬか漬けなどの伝統的な発酵食品というのは、基本的にリスク回避のためのメカニズムが備わっています。ですから、現実問題として発酵食品による食中毒はあまり発生してないわけだと思います。私も、家で市販のぬか床やパン酵母を使ってぬか漬けを作るとか、パンを作るとかを否定する訳ではありません。で、私がリスクを指摘したのは自分でとった酵母をつかった時と酵母液です。発酵食品全体でみればそんなにリスクはないと私も思います。その辺、もうちょっと明確に書くべきでしたね。

自分でとった酵母。
まず発酵させるために酵母の「たね」をいれるわけですが、そのとき、「たね」が酵母ばかりだったらいいわけですが、オリジナルの酵母の場合、そういう状況であるかどうかは判断が難しい(もしできるのなら別ですが)。「酵母だと思っていたけど、そうでもないやつが結構いる」そういったものを加えれば、リスクというのは高くなると思います。もちろん、最終的にぬか床は酵母や乳酸菌でおちつくかもしれませんし、つくる発酵食品によってそのリスクは高くなりやすい・低いはあるでしょうけれど。

酵母液
割愛。なんで酵母の液か理解できないので。

なにかわからんものを加えたらどうなるかわからない、と思うだけです。
少なくとも買ってきたパン酵母やぬか床をつかうよりもリスクは高いと思いますがいかがでしょう?

もちろん、経験を積めば悪くなる兆候などもつかめるでしょうし、そのリスク回避さえしっかり把握していれば、科学的な知見からみた一般的なリスクは回避できる、という主張に対しては異議はありません。私としても十中八九失敗するような書き方をしたのがいけないのですが・・・。

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滅菌
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まぁ、滅菌という言葉に過剰反応したと思って、許してください。私も「滅菌」が必要だなんて思ってませんよ。それがどんなにめんどくさいかも知ってます。一応、微生物を扱う研究室の出身なので。


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優秀さ
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>ここでも人間に害をなす細菌の繁殖というリスクの指摘がありますが

ん?優秀かどうかのはなしでは細菌の混入は触れてないとおもいますよ。ま、それはおいておき、「いろんな生物が関わる発酵によって良い製品が出来る」という主張については全面的に賛成です。それを否定する根拠もないです。
 想定していない細菌による想定していない効果・・・というのは「よくわからないマイナーな細菌・酵母による、単一の酵母ではだせない独特の風味」ということですかね。

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最後の部分
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細菌が繁殖してないから食えない、とはさすがに言ってない気がするのですが・・・。害がある可能性を強調しているとはいえ、良くなる可能性も否定していないですよ。また、私の文章で主に述べてきた「オリジナル酵母」や「酵素液」の現実を私は知らないので、どういった現実があるのか、私の思った事は現実とどう乖離しているのか、ぜひお聞かせください。




2013/08/04

雑感

どうも。少し気になることがあったので。


ときおり、発酵・酵母・酵素をキーワードとする「健康によい食」に関する話題を見かけます。そのことに対する疑問の記事も見たことがありますが、私からもいくつか。


最初に。

酵母:生き物です。糖を分解してアルコールをつくったりします。当然、種類によってその働きはまちまちです。

酵素:タンパク質です。人間から細菌まですべての生き物が作ります(ウィルスはのぞく)。基本的に一つの酵素は一つの反応にしか関与しません。ですから人も細菌もたくさんの種類の酵素をたくさん作ります。

発酵:微生物による人間にとって都合の良い高分子化合物(デンプン・タンパク質・脂質など)のちょうど良い分解のことを指と言えます。働きとしては腐敗と同じです。いろんな微生物が関与すると最終的に水と二酸化炭素やその他(アンモニアなど)になってしまって、人間には使えなくなります。


一点目。

家庭で酵母の「タネ菌」を自分で取るというのはほぼ不可能です。かならず細菌が混じると考えてください。

 もちろん、細菌が混じることはなにも悪いことばかりではありません。酵母では分解できないもの、作ることのできない栄養素はたくさんあります。それらを共存する細菌などがつくることで食品としての栄養価を高めることは大いにあり得るでしょう。ですが、共存する細菌が人間に毒になる成分を作ることも十分にあり得ます。また、当然人間の体内で増殖し悪さをする、「病原性」をもった微生物も混じっている可能性があります。
 ですから、自分のオリジナル酵母を使ってパンを焼く、発酵させる、というのはそういった危険性と隣り合わせであることをきちんと理解しておく必要があると思います。


二点目。

酵母液(食品を瓶詰めして酵母(酵素)の力で発酵させたもの)はなにか分かりません。

 なぜ、何度やってもパンはパンに、納豆は納豆に、漬け物は漬け物になるのか。それはその過程が非常に「シビア」だからです。パンは発酵の過程でかなり温度が上がります。納豆は熱々の大豆を使います。漬け物は塩分を多量に含んでいます。この、高温・高塩分というのは普通の微生物にとって生きるのに非常に厳しい環境です。ですから、余計な細菌が増殖することができない、死んでしまうために、いつもパンに、納豆になるわけです。
 それに対して、酵母液の作り方は基本的に「食品を水につけて冷蔵庫に入れる」だけ。これも「低温」という厳しい条件がついているように見えますが、基本的に微生物は低温に置かれるとその働きは鈍りますが、死にません。ですから、冷蔵庫にいれておいた食品でも食あたりするわけです。なので、低温は人間にとってあまり嬉しくない微生物を押さえる働きを期待するのは難しい。「低温で有用な微生物だけがよく活動することはない」とは言い切れませんが、基本的に微生物がゆっくりとやりたい放題していると考えて良いでしょう。時として非常に有用な素材になるかもしれませんが、逆もまたしかりです。つまり、同じ品質のものを得る、というのは非常に難しいと考えられます。
 また、酵母液の気になる点は、気泡を酵母の働きの目安にしていることです。これは酵母が糖を分解してできる炭酸ガスをさしているのでしょうが、細菌も糖を分解して炭酸ガスを作ることが出来ます。というより、人間だって、糖を分解して二酸化炭素を作ってますよ。一般的に生物は基本的に生きていく過程で二酸化炭素を出します(そうじゃない細菌もいっぱいいますが・・・)。ですから、気泡を目安に酵母の働きを判断するのは非常にあやしいといえます。
 一点目と共通しますが、有用な、栄養価の高い産物が得られる可能性もあるが、そうでない可能性も高いということです。腐ったにおいがしたら失敗、というのは間違ってはいません。ですが残留農薬を気にするのならば、腐った臭いがしないから多分大丈夫だろうと、何が増えているか分からないものを口にするのも、同様に慎重であるべきだと思います。自然に増えたものだから安全というのは非常に危険です。
 また、酵母液の調製には煮沸した瓶、水を使うようですが、煮沸に滅菌作用はありません。もちろん、大多数の細菌は死にますが、煮沸でも生き残る方法をもつ細菌は普通にいます。それに空気中にも細菌や酵母は漂っていますから、瓶の開け閉めを普通にすれば、とうぜん、入り込みます。

三点目。

基本的に企業が血眼になって探した酵母や乳酸菌は優秀です。

 先に述べたように自作の酵母液や発酵食品は酵母がどうしても作れないものが出来ている可能性があります。しかし、酵母や乳酸菌そのものにかぎれば、おそらく市販されている酵母のほうが優秀だと考えられます。なぜなら企業が血眼になって他の企業よりもより良い酵母や乳酸菌を探しているからです。自宅でたまたま増えた酵母が市販の酵母よりも優れている可能性はまぁ、高くないでしょう。企業はより幅の広い温度で増える、胃酸に耐える、粉末から復活しやすい、すぐ増殖する、などなどなど、いろんな条件を調べて、都合の良いデータだけを出すとはいえ、それでも他社よりも良い物をだそうと必死です。その努力は決して簡単に超えられる性質のものではないと言って良いでしょう。
 ですから、パンを作るならパン酵母を買ったらきちんとパンができます。自作の酵母でやるのは楽しいでしょうし、いろんなパンが出来る可能性がありますが、それが健康によい・美味しいかは、話が別です。


四点目。

酵素は壊れやすく、働く条件はシビアです。

 酵素はものにもよりますが、基本的に壊れやすく、その働きは人間の体の中では失われるといってもいいでしょう。なによりも食べた酵素そのものはタンパク質(アミノ酸のつながったもの)であり、人間のもつ酵素によって分解されます。そうでなかったら、人間はタンパク質を利用できませんからね。もちろん、分解を受けるまでの間は働きを維持しているかもしれませんが、pH、温度、塩濃度など、さまざまな条件がそろわないと酵素というのは上手く機能しません。ですから、酵素を摂取するということは別にタンパク質をとるという事以上の意味はあまり無いと言えるのではないでしょうか。近年、ある種のペプチド(アミノ酸が連なったものでタンパクよりは短い)は人間の働き(例えばコラーゲンの合成)を増進あるいは抑制するという機能をもつことが分かってきています。ですから、酵素の分解産物が人間の老化を防ぐとか、そういった機能があるかもしれませんので、酵素の摂取を一概には否定できません。ですが、酵素の酵素としての機能を期待して摂取するのはあまり意味がなさそうです。


総括。

万能なものなんてない。

 市販されている酵母が万能でないのと同じで、自分でとった酵母も万能ではありません。しかも自分で作ったものはこれまで述べたように、品質が一定でなく、あまつさえ害をおよぼす可能性もあります。ですが、明らかに腐った臭いがしたら利用をやめたらいいだけの話ですし、ひょっとすると市販されたものを使ったのでは味わえない出来に出会えるかもしれません。そういったよく分からない部分を楽しむのは良いことだと思います。ですが、酵母液を自分で作って、それを利用すれば健康でいられる、というのはまやかしです。健康というのは何か特定の方法で得られるたぐいのものではない。少なくとも、「酵母液を飲んでいる私は健康」は真実であっても、それは必ずしも「酵母液を飲んでいるから私は健康」を意味しません。だといいですね、ぐらいのものです。

 もちろん、たくさんの生物が絡んでいると思われるので、酵母液・手作り発酵食品もちょいと注意しながら使えば、美味しい料理になるのは間違いないと思います。

2013/08/03

週末雑感

どうも、いつのまにか8月になっていることに焦りを覚えている李花尺です。


さて、「雨の日の午後」をお送りしまして、次はどうするかなぁ・・・とぼんやりと考えています。以前、データを吹っ飛ばす事件がありましたが、そのときは「東方百人一首劇」という百人一首を題材にした劇を幻想郷のなかで演ずる、という企画を考えていました(当ブログでもその旨、ときおり述べていましたね)。そのときはいくつかすでに案が出来ていて、これなら大丈夫かな・・・と思っていたのですが、そのデータは藻くずとなっています。ですが、アウトラインは覚えていますし、再構築にそれほど時間はかからない・・・と思います。ですので、このシリーズを始めてみようかな、と考えています。いつもなら長編でもほぼ完成してから作るのですが、今回はかなり見切り発車です。どうなることやら。


ふと思ったのですが、先日書きました短編、「ととも」の番外編となってますが、「ととも」らしくないというか、書いた本人も普段投稿している作品と世界観を共有しているつもりは無かったので、ずいぶんと語弊がありますね。



今週はこれくらいにしておきましょうか。ではまた来週。

2013/07/29

後書き 雨の日の午後

とともシリーズ第30弾、「雨の日の午後」をお送りしました。

「ととも」もかれこれ30作目なんですねぇ。なんとも感慨深いものがあります。シリーズは長編をやっているときは中断してますから、あまり節目というものを意識していませんでしたが、ずいぶんと続いていますね。


さて、雨の日の午後ですが、紅魔館の日常です。美鈴が門にたっていないのは雨だからです。まぁ、のんびりとした幻想郷ですから、わざわざ雨の日に訪れる客もほとんどないということで立たなくていいだろうと考えています。もっとも、美鈴は外の気配を気にしているのは間違いないと思いますけどね。図書館でそのような発言をしたのは、口実でもありますし、実際もそういう風に感じたのだと思います。

で、おそらくもっとも謎な物体は「パチュリー謹製・除湿乾燥機」という存在でしょう。なんの説明もなく登場させましたので軽く説明すると、「火の精霊を閉じこめた、乾いた風を送る装置」みたいなものです。というよりも、それ以上の設定を考えていません。だれにでも扱える魔法の機械というところですね。中の精霊の調子がおかしくなったので、乾燥機としての調子もおかしい、そういった事件でした。外見をもっとおどろおどろしい魔法の壺のようにしても良かったかもしれませんね。

この話は私の雨好きからスタートしています。私は細い糸がたれるような、静かな雨が好きです。薄日がさしたりすると気分がやわらぎます。最近は豪雨か猛暑か、そんな両極端な天気が多いですし、空梅雨かと思ったら、土砂災害が起こったりしますね。もしかすると、やわらかな梅雨空というのはもはや・・・。ま、冗談はさておき、そんな雨を描きたかったのでした。美鈴がそのような旨を述べてますね、あれは私です。淡い緑の若葉に霧のような低い雲がかかるのが好きでして、ちょっとそんな風景も描いてみました。

ちなみに最後、咲夜さんが口ずさんでいるのは、柴田淳の「なんかいいことないかな」です、良い歌ですよ。


季節は夏になりましたが、梅雨のお話をお届けしました。
また次回。

2013/07/28

週末雑感

どうも、李花尺です。
ご近所のアサガオが咲き始めました。すっかり夏ですね。


さて、ちょっと宣伝。お気づきの方も多いかと思いますが、右のカラムに新たなページへのリンクがあります。

「ととも番外編 墓守」

というやつです。小説版「ととも」とでも呼ぶべきでしょうかね。これまでも動画版「ととも」シリーズの補完として文章を二度ほど書いていますが、今回は完全に独立した話です。ただ、雰囲気が動画シリーズとは違います、とだけ。後もしかしたら、ちょくちょく手直しを加えていくかもしれません。



小説についてすこし。私は小説を縦書き(要は文庫)で読むことになれているので、ウェブ上で横書きの日本語を読むのが苦手です。原因はよく分からないのですが、ともかくもあんまり得意ではありません。ですから、このブログや今回書いた小説も本当は縦書きが良いなぁと思っていたりします。そんなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーの方から東方二次小説なら、「東方創想話」というサイトが縦書き(縦読み?)に対応してますよ、と教えてくださいました。ということで、サイトに行きますと、創想話の投稿規定に、「創想話への投稿が初出であること」というものがありましたので、今回は先に当ブログに投稿しましたから、この規定にひっかかるだろうと考えて、創想話への投稿は行っていません(創想話から自サイトへの転載はいいらしい)。今後、創想話に小説を投稿するかもしれませんので、そのときはまた読んでやってください。


「小説はマヨネーズを作るよりも簡単、厳密なものではない」という趣旨の発言を司馬遼太郎が述べていた気がします。なぜマヨネーズが例としてだされたのか私には分かりませんが、小説というのは決まった規格があるものではない、ということでしょう。曽野綾子も似たようなことを述べていましたね。「小説家になるために学校をでなければいけないとしたら、私は小説家になっていなかっただろう」というような発言だったと記憶しています。
 何が言いたいのかというと小説を書くのに(手書き動画でもそうですが)肩肘を張る必要はないということです。ですから、どんな体裁をとっても良いはずですが、まぁ、世の中には流れというものがありまして、そんなに多様な文体があるわけでもないと思います。
 私からはき出される文章は、口語をまったく使わないわけではありませんが、文語の割合は高いと思いますし、擬音語・改行もそれほど多用しない体裁です(特に今回の「墓守」はそうですね)。創想話に投稿されている作品をいくつか見ましたが、あんまり似た文体の作品はなかったように思います。ですので、創想話に投稿したらどんな評価が得られたのかな?とちょっと気になったりもします。どうなのでしょうね?無視されるか、低評価か、はたまた、「うける」のか・・・。すぎたことは悔やんでも仕方がないので、創想話というサイトがあるということを知ったことで今回は満足です。




「墓守」のページはコメント欄がありますから、何かしらコメントを書いて頂けると李花尺は喜びます。

2013/07/21

週末雑感

ここのところ、夜は涼しくてご機嫌な李花尺です。

さて、梅雨の時期のお話を作っているのですが、周りはすっかり夏模様です。・・・気にしない、気にしない。「読書感想文でも書けば?」というコメントをいただいたので、最近読んだ本を一つ紹介してみましょう。


水上勉 櫻守

なによりもタイトルとなっている「櫻守」という響きが良いですよね。「櫻守」という言葉は優しくて、誇り高く、芯が座っている様に感じます。主人公の見た古い記憶に出てくる桜は、甘く、退廃的で、美しく、優しい色をしています。でもそれは決して社会的には許されるような場面ではない。事実、主人公は故郷の親類との関係をうまく築くことは出来ませんでした。だからこそ、記憶の中の裏山に咲く桜が美しい情景として変質したのかもしれません。
 作品は第二次世界大戦の前後を描いています。その動乱のなかで人が強かに生き、価値観が変わるなかで、桜を中心としたこれまでの価値観を「守る」ことを描いています。ただ、主人公は特別に地位のある人物ではないので、時代には逆らえませんが・・・。ですので、物語はその時代に「あった」ことを感じさせてくれました。そして主人公は幼い頃ともに過ごした祖父の姿に似てくるのでした。人というのはやはり古い記憶に回帰していくのでしょうか・・・?
 また、舞台が関西なので、私としては馴染みのある地名も多く、親近感が湧きましたね。それにしても作中に出てくるいわゆる「関西弁」の綺麗なこと。私も擬似関西弁みたいな言葉を普段は使っていますが、ここまで流暢な、そして綺麗な言葉遣いをすることは出来ません。もっとも、現実にも見たことがないですが・・・。作中、別段特別な言い回しを使っているわけではないですが(基本的に市井にいるごく普通の人物達ですから)、優しいんですよね、言葉の終わり方が。険がないといいますか。
 ところで、いくつかの謎は解かれずに物語は終わりを迎えてしまいました。人生というのは墓場に入る前にすべてが解決するわけではないですから、そのあたりもリアルといえばリアルです。全体的に二階調の情景が広がっているように思えるのですが、先に述べた過去の出来事を筆頭にふと、豊かで優しい色調の世界が広がるように感じます。
 それにしても桜について一家言ある人達が出てきますので、なんだかそれに影響されてしまいそうですね。


 ちなみに拙作「春ですよ」にも櫻守をしている人が出てきますが、これはこの作品を読む前にそのタイトルだけ知っていて、「櫻守」って響きが良いなぁと思っていたのでした。

2013/07/14

週末雑感

どうも、すでに夏ばて気味の李花尺です。

さて、だんだん書くことが無くなってきました。どうしたものでしょうか。
ちなみに週末だけアクセス数がちょっと増えるので、このコーナーをちょっとした楽しみにしてくださっている方がいると思うと更新したいなぁと考えるわけです。ここのところ、日曜の午後に投稿することが多いですが、土曜日にアクセスしてくださった方には申し訳ない・・・。

“書くことがない”といいますが「雑感」なので、とりとめのないことを書けば良いんですけど、どうも肩肘を張りがちになります。もっと力を抜けば良い文章になるのでしょうか・・・?


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と、いうことで東方とはまったく関係の話題ですが。ドコモが富士山のメジャーな登山ルートすべてで通信インフラを整備したそうです。新聞広告にそう、アピールしていました(正確にはほぼすべてかもしれませんが・・・)。
 登山の安全、という面から考えたら非常に有意義な事だと思います。やはり通信手段がある・ないではずいぶんと違うでしょう。ですが、どうやらLTEで高速・大容量通信基盤であるということ、アピールとしては「どこでもつながる」ということでした。
 そりゃまぁ、登山の感動をだれかに伝えたいのもわからないでもないですが、登山ってそういうものなのだろうか?と私なんかは考えてしまうわけです。緊急時のためのほそい回線をつぶやきで埋める、というわけではないですから、どんな風に利用しようと目くじらたてる必要はないですし、「ご来光ナウ」というつぶやきがなんの意味もないというわけでもないし、それに怒るのは筋違いなことは承知です。
 SNSの弊害_つながっていないことに恐怖を覚えるみたいな趣旨の主張_は私がわざわざここで開陳するまでもないことですが、ここまで来たかと感慨深かったので少し記録までに。ドコモも、需要があるから富士山でスマホが使えるようにしたわけでしょうし、使いたいという声もある程度はあったのでしょう、恐ろしい。

 ちょっと話は違いますが、アウトドアのレジャー(キャンプとか)って、不便を楽しむもので、そこに小さな端末に日常を詰めて持って行かなくともいいのになぁ・・・と思っています。(ちなみに私はキャンプやBBQで着火剤を使うのは負けだと思う派です。別に着火剤が嫌いなわけではないですよ・・・。)



 皆様は、富士山の頂上で携帯を取り出しますか?

2013/07/07

週末雑感

梅雨前線が上がったり下がったりを繰り返すうちにずいぶんと夏らしさが増しているように感じる今日この頃ですね、李花尺です。
 さて、次作も「とともシリーズ」を予定しており、現在制作中です。梅雨時の日常ですが、さてさて梅雨が明ける前に投稿できるのでしょうか?・・・関東は梅雨明けしたそうですが、そんなことは知りません。


で、暇話。


前回は私の物語作りに影響を与えているものを少し紹介しました。今回は音楽についてお話することにしましょう。

私の音楽経験というのはかなり限られています。中学・高校まではラジオが主な音楽源でした。大学に入ってCDを「借りる」という手段を手に入れて(遅い!)、いくつかの好きなアーティストに出会いました。iTunes storeでお勧めのアーティスト機能から多少の出会いも会ったと思います。ですが今は忙しくなってまた音楽から遠ざかっています。
 私のお気に入りのアーティストですが、ざっと思いつくままに列挙していきますと、

天野月子・鬼束ちひろ・cocco・東京事変
柴田淳・Lyrico・mink・元ちとせ・一青窈
坂本龍一・久石譲

こんな感じですか。男性ボーカルのアーティストが入っていないところに偏屈さを感じますね。基本的にバラードが上手い人が好きです。友達にはなんでこんな暗い曲ばっかり聞いてるの?と不思議がられたこともあります。でもHALCALIは好きですよ、M君。でも、たまにアップテンポの曲をかけていたら「らしくない」と言われましたね。どっちなのよ。
 基本的に出会いはツタヤです。手にとって面白そうだな、と思って借りる、好きになる、ですね。何かのテーマソングやED、OPにであることに気づくのはだいたいその後です。

 危ないバランス感覚の曲と声が好きです。天野月子の「人形」とか鬼束ちひろの「月光」とか、東京事変の「遭難」とか、coccoの「樹海の糸」とか。物騒な曲・狂気のさたを含んだ曲を力強い声で訴えるのが好きです。
 そういった危うげな力強さとは対極な、優しい歌声も好きです。柴田淳とかLyrico(最近、露崎春女にもどった見たいですが)の高音が透き通っている感じが好きです。minkは独特のハスキーボイスがものすごく素敵です。元ちとせと一青窈はなんだろう、ちょっと異国の香りがするんですが(元ちとせは奄美でしたっけ?一青窈は台湾でしたよね)、そのどことなく異国情緒漂う声質と歌い方が心地よいのです。柴田淳なら「ぼくの味方」、Lyricoの「キセキノハナ」、minkでは「すき」、元ちとせは「語り継ぐこと」、一青窈といえば「かざぐるま」。一曲だけ選ぶことは難しいですが、どれも素敵な捨てがたい良い曲ですね。あ、元ちとせとの出会いは、日本でリュウグウノツカイがたくさん見つかったときに、YouTubeでリュウグウノツカイの映像に「竜宮の使い」という曲を合わせていた作品を見た時ですね。そのときに、いい曲だなぁと思ったのがきっかけでした。
 とまぁ、基本的にJ-POPの女性アーティスト(ごく限られた)によって私の音楽経験は占められています。久石譲は映画からですね。坂本龍一との出会いは・・・忘れました。確か、YMOというメジャーなグループがあったらしい、というところから出会ったと思います。
 今、iTunesをのぞいてみると、68アーティスト、1741曲(コモンズからダウンロードした音源を含む)ですから、そんなにたいしたことないことが分かります。ちなみにここであげたアーティストだけで823曲ですから、半分近くがこの10名のアーティストによって占められていますね。そう考えるとものすごく限られてますな。


 音楽から作品のインスピレーションを受けるか?私の場合はどうでしょう?台本よりも先に利用する音源を決めていたことはありませんし、「この歌をもとに作ろう」という明確な意識をしたこともないので、原案につよい影響を与えているものではないと考えられます。


お勧めのアーティストなので、まだ聞いたことがないようでしたら、ツタヤで借りてみては如何でしょうか?

2013/06/29

後書き 天子、神社へ行く


どうも、李花尺です。
先週はすいませんでした。作品作りに夢中だったものでして・・・
そのおかげで(?)ニコ童祭に間に合いましたね。といってもいつもの通りの作品ですが。


さて、後書き。
今回はこれと言ってテーマはありません。強いて言うならば、「普通の日常の中に幸せがあるのかもしれない」ということでしょうか。後は一度比那名居天子を描いてみたかったので、彼女に登場して頂きました。

天子は描いていてずいぶんと可愛らしいなぁと思いました。私は「達観した」美人や、「純粋で無垢な」妖精を描くことが多いですから、天子はずいぶんと「人間くさい」面が強く出ていると思います(それでもまだまだえぐみはないですけど)。彼女ぐらいの性格が親しみやすいかもしれませんね。みんな、淡泊すぎるのかもしれません・・・。描いている人が淡泊な感じなので、仕方がありませんが。

描いていて感じたことは、「また性懲りもなく日常を描いてるな、こいつ」ということです。まったく、縁側とそれにつながる六畳ぐらいの部屋と土間がある家がどれだけ好きなんでしょうね。自分でも笑っちゃいます。でも、こんな普通の会話が描いていて楽しいんですよね。先にも述べましたが、こういうなんでもない日常の中に幸せがある、と私はぼんやり思います。

なんとなく寂しい雰囲気で終わりましたが、でも賑やかな人が去った後っていうのは、あんなものでしょう。別にそれほど深刻な事ではないと思います。「やれやれ」と思う反面、ちょっと寂しい、そんな小さな感傷が霊夢にあったのだと思います。


さて、次は雨を題材にした物語でも作ろうかな・・・と考えています。「東方百人一首劇」というシリーズもそろそろ始めたいなとも思っているところです。ですが、そろそろ現実世界が忙しくなってきたので、もう少し作成頻度が下がると思われますので、そのあたり、気長に待って頂けたらなぁと思います。

2013/06/16

週末雑感 影響


昨日は梅雨らしい天気になり、わりとご機嫌な李花尺です。

さて、今回は私が作品を作るにあたって深い部分で影響を与えているものはなんだろうか、ということを考えていきたいと思います。「巡るは季節」や「朱と蒼」はそれぞれ題材とした小説がありますし、初期の数作品では和歌をもとにしています。これらは明瞭な「原作」がありますが、それとは別に、私自身のものの考え方や捉え方の由来というのはなんなんだろうか・・・ということを考えていこうという試みです。

さて何が一番影響を与えているか、それは実際に過ごした環境なのでしょうが、まぁ、それは説明しにくいものですから、よく見ていた・読んだものを列挙してみましょう。


小さい頃、小学校や中学校の頃はジブリをよく見ていたと思います。風の谷のナウシカ、天空の城 ラピュタ、もののけ姫。この辺りは結構な量の台詞をそらんじる事が今でもできると思います。これら以外も見てますが、そんなに覚えてないです。トトロもずいぶんと見たはずなのですが、いまいち覚えてないですな。影響のことを考えると、絵柄の面ではおそらくジブリの影響があるのかもしれません。
 逆に、ジブリ以外で覚えているアニメ作品・・・それこそ何度も見返したような作品はないです。
 リアルタイムで見ていたアニメとか何があるのだろう・・・と思うのですが、さっぱり出てこない。ポケモンもやってたと思うのですが、いまいち。あ、日本昔話も見てましたね。・・・田舎の風景・前時代的な景色が好きなのはこのためでしょうか?
 漫画ですが、これもほとんど見てない。one pieceぐらいですね、単行本が部屋にあるのは。ジャンプもマガジンもサンデーも立ち読みすらしてこなかったので、影響はアニメよりも薄いと思います。基本的に漫画的な要素が薄いのはこのためですかね。

さて、アニメ・漫画の影響の話はこれくらいにして、小説の話でも。
高校の頃、司馬遼太郎をずっと読んでいました。「坂の上の雲」をはじめとして、随筆、短編集などを読んでいました。彼の主人公に対するちょっと引いた視点で愛するという手法は好きです。尤も、それがどう影響しているのかというとよくわかりませんが。
 大学以降は世に言う「名作」と呼ばれるものをとりあえず乱読しているのが現状です。そのなかで印象深かったのは「川端康成」でしょうか。この文豪の表現の多様さと繊細さとその音が好きです。音というのは読んだときの旋律といいますか、流れというか、これがすばらしいのです。
 「罪と罰」。この名著には美しく純粋な女性が出てきます。人間の愚かさや葛藤が描かれていくなかで、その女性は非常に際立ち、印象に残っています。
 三島由紀夫の作品も圧倒的な美しさを持っていると思います。「巡るは季節」でも題材としましたが、彼は本質的なことを巧みな修辞でもって表現することにものすごく秀でていると感じています(何をえらそうなこといってるんだか)。
 後はムーミンと宮沢賢治が好きですね。ムーミンの日常のおおらかさやちょっとした風刺が小気味いいですし、宮沢賢治の不思議な世界は私を魅了します。

こうみると小説は「美しいとは何か」を私の中で形成するのに役立っているのだと思います。ちなみに小説も基本的には読み返しをしないので、特定の作家の作品の特徴をまねるには至っていないと思います。また、人の心の動きの繊細さなども小説から知らず知らず学んでいるのかもしれません。
一方で、推理小説は全くと言っていいほど読まないので、伏線とか謎解きとかそういう小説としての展開の緻密さが問われる部分についてはほとんど吸収していないと思います。

と、まぁいろいろと書きだしてみました。
私が人間が持つくらい部分をあまり描かないのは、現実の世界ではいやというほどそういった部分とつきあっていかなければならないのに、わざわざ「幻想」の世界でもそんなことを持ち込まなくてもいいじゃないという思いが多分にあるためです。そしてその対となる部分、描いていく部分というのは「美しさ」であり、それはジブリや様々な小説から影響を受けながら、李花尺のなかに形成されたものなのかも知れません。

2013/06/08

週末雑感 物語の手法


どうも一週間ぶり、李花尺です。
色の名前が一段落ついて、ちょっとのんびり落書きをしています。

さて、今週は物語の作り方の話でも。
 もちろん、正解がある訳ではなくて、これまでもいろんな手書き作者さんの手法が紹介されていますが、それぞれが一つの解だと思います。例えば、東方見聞録というサイトには「制作の秘訣」が述べられています。なるほどなぁと感心するばかりですね。有名でしょうからご存知の方も多いと思いますが、面白いサイトですから、まだの方はのぞいてみると発見があるかもしれません。
 で、私はこのブログでちょくちょくとそれらしいことを書いてきたと思うのですが、なにぶん漠然としていると自分でも感じますので、すこし体系だってお話したいなぁ・・・というよりは自分で一度言葉にしてみようと試みたいと思います。

着想・構想

物語の構想にまず必要なのは、「組み合わせ」を作ることです。「東方」というカテゴリーと「何か」を組み合わせる事からはじまります。その「何か」の意外性が最終的に評価されるか否かのポイントになってくると思います。では「何か」をどこから引っ張ってくるのか。それは作者の日常でもいいですし、読んだ本でもいいですし、辞書を引いて適当な単語を探してもいいです。ちなみに私はよく一つの(あるいは複数の)言葉から物語の構想を始める事がよくあります。いわゆる物語のキーワードを設定してそれを軸にして物語を紡ぐ、というやり方ですね。「何か」を選んだらあとはそれに適当な登場人物の核(主人公)を決めます。ここは「べた」な組み合わせでも良いでしょうし、あるいはあえて正反対な組み合わせでも良いでしょう。
 「何か」をあえてどこかから引っ張ってこない方法もあります。例えば、東方の登場人物の設定を掘り下げていき、その設定のもつ意味を考える方法です。すなわち、まずは主人公を決めて、その主人公に内在する「何か」を探していくという方法ですね。結局、組み合わせが必要なことには変わりがないので先に挙げた方法と本質的には同じといっていいでしょう。

制作

 物語の核となる言葉と人物が決まったら、実際に会話を組み立てていきます。下敷きとなる物語がある場合でも、言葉から物語を作る場合でも、共通するのは登場人物にらしさを与える事が大切だと思っています。その「らしさ」というのはどこからくるかですが、私は「作者」だと思っています。当たり前なのですが、作者が人物になりきって、そこで会話をするというのが私の物語作成の手法です。二次創作という性格上、原作・様々な作品から作られたキャラクターのイメージというものが「外」に存在します。が、それを意識し過ぎると、そのイメージに引きずられた言葉しか出てこなくなります。原作とは別に下敷きとなる物語がある場合でも同じ事です。もちろん、完全に下敷きをトレースするのもありですし、パロディとして完成度を高めるということとは別の話です。で、作者がその人物に「なりきる」わけですが、実際のところはなりきるというよりも、自分のなかの一部を切り取って、その人物とするというほうがより正確な表現になると思います。もちろん、登場人物がすべておなじ李花尺かというとそうではなくて、より感情的な李花尺・より理性的な李花尺、理系な李花尺・文系な李花尺など、自分の中のどの部分を強調するかによって違います。一つ前の会話に対して、置かれている状況に対して複数の考え方をすることで、登場人物たちの発する言葉は自ずと違ってくるのです。
 どうしたらそういったことができるようになるかは知りません。いろんな考え方を身につけるにはいろんな人にあったり、いろんな本を読んだりするしかないでしょうね。

 で、実際にどうやって物語を作っていくかですが、例えば、登場人物と「なにか」をつなげる端的な会話、あるいは発言を一つ考えます。そしてそれが自然と発せられるような状況を考えます。そしてそこでの自然な会話を考えます。これが一つ目。もっと単純に、「なにか」を念頭に置きながら、当たり障りの無い状況(あるいはちょっとした事件)から登場人物に適当な会話をつくり、そのなかで「はっ」とする言葉が出てくるのを待ちます。これが2つ目。基本的にはこの2つの手法を用いて物語を作っています。主人公以外は、その時に描いてみたい人物を適当に選んでいます。あるいはよくある組み合わせ、無理の無い組み合わせを採用します。そこは外の設定に素直に従うことが多いです。この「無理のない」というのはひとつの目安ですね。
 私の場合、下書きがあるといってもそれはストーリーの流れを拝借するという意味ではないので、基本的には物語の展開は自前です。とある会話・発言が先にある場合は少なく、あっても物語にひとつぐらいです。ですから、つながりのない会話・発言のセットをつないでいくという展開手法はあまり採用していません。ですから、最低限の設定と背景と状況から適当に会話が広がって、人を巻き込んで、という展開手法をとっています。
 そしてある意味致命的なのが、面白くするという努力をほぼ放棄していることでしょう。面白い物語というのは、抑揚があってしかるべきである(例えば障害があってそれを乗り越えるべく努力する)と考えるならば、あまり適当な作り方とはいえないかもしれません。ですが、不意にだれかを会話に参加させることは可能ですし、ふと目をやった先に花があってもいいかもしれません。小さな抑揚の種は世界に無限にあって、それを拾えば、そこには小さな花が咲いて、それを喜ぶ人は多少なりとも存在すると私は思っています。



つらつらと書いて来ましたが、あまり体系だって説明できてないですね。というよりも書いてみてわかったのですが、どうやら体系だった理論にもとづいて物語を作っているわけでは無さそうです。方法論を学べば物語ができるか、といわれたら首を傾げます。もちろん、「伝わる」かどうかは別でしょうし、そこには一定の法則があるのは間違いないでしょう。そういった書籍を読んだことがないので分かりませんが、結局、こいつはよくわからんまま、物語をつくってるのだなぁと思ってください。

長い文章を全否定する言葉で締めるあたり、いけすかないやつですね。

2013/06/02

色の名前 4 【後書き】

まずはちょっとした連絡。
現在、コメント欄の解放の仕方について試行錯誤が続いております。これまで特にコメントを残す事に制限はありませんでしたが、すこしスパムらしきコメントが増えたので、少し前から、文字認識と管理者による承認をコメント表示のために必要なステップとしました。が、管理者による承認は結構面倒くさい(主に私が、ですが)ので、現在、管理者による承認は必要なくなっています(文字認識は必要です)。どこに落ち着くかわかりませんが、また様子を見ます。右カラムの「コメントを残される方へ」というところに最新の状況を記しておりますので、コメントを残される際に確認してくださると助かります。


さてさて、色の名前が着陸しました。
リメイク+拡張版でお送りしました本シリーズですが、まぁ、連想ゲームみたいなものです。「色」という言葉からいろんな物語を紡いでみた、そういったものです。

 「色」という言葉は本当にいろんなところで使われていますね。今回は触れませんでしたが、素粒子学の世界でも色をつかって表現する事があったように思いますが、さすがにそれは私の理解を超えるので扱っていません。四話でも「十人十色」という表現を使いましたが、人のもつ性質の違い、これも色という言葉で表す事がありますね。
 遠い記憶に、エスキモーは雪に関する言葉が豊富なんだというものがあります。これは彼らに限った事ではないですが、必要であれば、人間の外界を認識する力というのは結構鋭敏になるみたいですね。数マイクロメートル(記憶が怪しい)の凹凸を見分ける事ができる町工場のおじさんとかもいらっしゃるとか。それはもちろん色に関してもそうだと思います。そんな事を妹紅には述べてもらいました。実際のところ、どうなのでしょうね。今の季節、竹林にとっての秋を迎え、彼らはずいぶんと老いた色合いをしています。そのうち、さめるような若々しい緑の竹をみる事ができるでしょう。梅雨の時期が楽しみですね。私はそれ以上の竹の色合いを認識できませんが、きっとそこで暮らしてゆけば、なにかしら見えてくる事もあるのだろうなぁと思います。ミスチーは音で対抗していますが、果たしてどうでしょう?乾いているか、しけているか、のほうが竹の状態より大きな要素になりそうですけどね。
 藍はちょっと調子に乗ってしまいまして、いたく妖艶な感じとなりました。まぁ、そんな夜もあるでしょうよ・・・ということで、許しておうせ。いや、傾城の九尾なんで・・・、はい。
 まぁ、冗談はさておき、割と藍と紫の抽象的な会話は好きだったりします。紫が最後、一日とて同じ日はない、と言っていますが、それはそれで大変な事だと思います。「巡るは季節」の紫、あるいは「朱と蒼」の永琳などはそうですが、長い長い一続きの歴史を生きるというのは大変な事なのだと思います。藍はそういう紫を尊敬していますが、それがすばらしい事とは限らない事を紫は霊夢(とそのうまれかわり)と、永琳は輝夜と接する事で感じていると思います。だから紫と永琳はかなり似ていると思います。お茶会したら盛り上がるかもしれませんね。

私たちは同じ様な日を繰り返し、そして感性を鈍らせ、「一年が早くなった」とぼやきます。でもそんな事はなくて、その日の天気、そして自分のおかれている状況、気分によって空の色(例えば夕日が顕著だと思います)は、毎日違って見えるのではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています。


さて、これにてリメイク版を終わります。いかがだったでしょうか?つぎはニコ童祭に間に合えば良いなぁ・・・と考えていますが、こればっかりはどうでしょうね。

2013/05/26

週末雑感 次

どうも、李花尺です。

まずは、連絡。詳しくは右のカラムにあります、「コメントを残される方へ」というページを見て頂きたいのですが、拙ブログのコメント投稿システムが変更されました。具体的には、

1. 画像認識システムの導入
2. 管理者による承認

がコメント投稿の際に必要になります。画像認識システムとは、よくある例のヤツです。画像に描かれた英数字を読み取って入力するあれです。管理者による承認とは、コメントを投稿しても私の許可がないとブログに反映されないシステムです。
 ですので、コメントを投稿されても酷い場合は1週間ほどコメントが反映されないことがあります(私も当ブログを毎日チェックするわけではないので)。

少し前からスパムが増えたので導入を決めました。なにとぞご理解とご協力をお願いします。


さて、週末雑感。
これまでは5月も半分すぎたのに寒いなぁ・・・みたいなことを言っていたのに、ここのところ急に暑くなりましたね。夏のような日差しと暑さは堪えます。20-24度ぐらいの適当な暑さというか、初夏の過ごしやすい季節みたいなものがとばして夏が来たのではないかと錯覚するほどですが、まだ夜は肌寒いですから、そのあたりまだ夏らしさは感じていません。皆様におかれましては、如何でしょうか?

最近、「色の名前」も終わりが見えてきたので、次の話をどうするか・・・を考えています。ちょっとやってみたいな、と思っているのは「ニコ童祭」(6/29-30:ニコニコ動画での東方二次作品発表・観覧会)への参加です。ただ、間に合うかどうかやや不安なので、参加宣言はせずに、とりあえず作ってみる・・・ことにするかもしれません。どうせなら毛色の違うことをやってみたいのですが、そうすると制作期間が読めませんからね。でも参加するならしっかり宣言もして参加したいと思うのですが・・・。

今週はここまで。
ネタがないと分量も少ないし、読み応えに欠けますなぁ。

2013/05/19

週末雑感 

どうも、李花尺です。

まずは、ちょいと連絡を。
 「動画が出来るまで-4」ですが、どういう理由か分かりませんが海外から大量のコメントがついている状況が続いています。定期的にスパム登録しているのですが、どうもフィルターを通り抜けるらしく、毎日のようにコメントが発生しています。ですので、当面の処置として非表示にすることにしました。コメントにURLがはいっていて、どこに飛ぶか分からないので気持ちが悪いですし、だれかが誤って変なことに巻き込まれるのも嫌ですから。内容についてはまた後日upする予定です。

ついでに進捗状況でも。
 「色の名前 04」の制作ですが、わりと順調です。こんな感じですね〜。


ミスチーはかなり可愛い感じですな。小鳥っぽいと言いますか、ちんまい感じのくるっとした様子は、レティや幽香に代表される「お姉さん」タイプとは違った魅力がありますね。


さて、雑感。
 どうやら来週末、5/26に例大祭(東方Projectオンリー同人誌即売会)が行われる様子。ツイッター上でも参加に関する話題が流れています。私は漫画を描く技術を持ち合わせていないので(+ 一度描いてみたけど性に合わないことが分かった)、同人誌を描く側として参加することは無いと思います。なにより、李花尺はネット中の人格なので、あちら側に出て行くのはちょっと気が引けます(漫画が描けない、という技術的な問題よりこちらの理由のほうがはるかに大きい)。ですから、私の活動の場は当面はニコニコ(とピクシブ)に限られるでしょう。ただ、東方を愛する彼ら・彼女らがいったいどういった人達なのか、というのを見てみたい気は多少しています。・・・普通の人達なのでしょうけどね。

ではでは。

2013/05/13

週末雑感 -呼び方


どうも、李花尺です。本当は昨日投稿するはずだったのですが、ちょいと忘れていました。ごめんなさい。———でもこのブログは“不定休”なので問題ないはず


さて、まずはちょいと次の動画の進捗状況でも。
ただいま、作画パートが始まったところです。また、ミスティアが出てきます。そしてミスチーの格好ですが、かなり悩みました。いわゆる女将姿にするか、第2話で描いたような洋装にするか。どちらが利にかなった服装かまで考察するのは面倒だったので、女将姿も捨てがたいという個人的な好みで女将様の出で立ちになっています。乞うご期待。


では本題に(・・・とはいっても思いつきなのですが)。
「絵師」という呼称について、twitterのTime line上で議論がにぎわうことがあります。たいてい私はそういう場面に出くわしても沈黙する事が多いですが、ちょいとここで私の立場を明確にしておこうと思います。

私は絵師ではありません。

 私の事を「絵師」だと思っている人はまぁいないと思います。そもそも絵師とはなんぞやという定義も曖昧ですし。ということで、定義してみましょう。絵師の定義なんて人によってまちまちでしょうが、私は

  1. 一枚の絵に対して情熱を持って取り組む人
  2. 一枚の絵で伝えたい事が完結している絵を描く人

に該当する人は絵師さんだと思います。うまい・へたは人によって意見が違うし、好みの話なので、私は定義として用いる必要はないと思っています。で、私はこの二つに該当しないので絵師ではありません。特に2番目の要素が薄いので違うと思っています。
じゃあおまえはなんなのだ、ということですが、別になんでもいいというのが本当のところかも。もちろんその人の「絵師」という定義に私が一致するのであれば、絵師と表現してもらってもいいです。個人としては「手書き作者」が一番しっくりきているかもしれません。一応は「東方手書き劇場」の「作者」ですから、略して「手書き作者」かな。もし、私を紹介してくださるときは「手書き作者」の「李花尺」とでもしてくださるとよいかと。ちなみにニコニコ大百科の私の記事は「手書き作者」として紹介されていますね(別にここが絵師だったから怒るとかそういうことはないですが)。

そもそも東方手書き劇場の作者さん方は自分の事をなんと思っているのでしょうね。あるいは同人誌で漫画を描いている方々はどうなのでしょう?“絵師”なのでしょうか?、はてさて・・・。


ま、「呼称というか肩書きぐらいで目くじらたてることはない」とぼんやりと思っています。あ、絵師というのに「うまさ」を求める人は、「絵師」を基礎として、“上級”とか“スーパー”とか’“ウルトラ”とか、そういう接頭詞をつける事で差別化をはかればいいんじゃないですかね?–––– どうでしょう、だめか。

2013/05/03

色の名前 03 【後書き】

第3話が投稿できました。4月中には完成しませんでしたが、おおむね一ヶ月ちょっとで投稿できましたね。作中の前半部分はいろんな登場人物が出てきて結構作画に手間取ったので仕方がない・・・と言う事にしておきましょう。


さて、本シリーズはリメイクですが、本作から単なるリメイクではなくて、前回はほとんど描いていない部分を描いています。前作ではおまけでちょっとだけ触れた部分ですね。本シリーズはもうあと一話続きますので、よろしくお願いします。本作は説教臭くならないように注意しましたが、どうしてもその香りを防ぐ事はできないものです。ですが、学校という事で臭いのは当然という状況をつくったことでごまかせたかな、と思っています。


で、今回初めて慧音先生と寺子屋を描きました。作中にありますように他の妖精たちも寺子屋に来ています。私の中で寺子屋は「里」の外れにあって平日は人間の子供を教えて、休日は妖怪や妖精を教えている、そんな施設です。妖怪・妖精向けの講義は一年間を通じたカリキュラムが設定されている訳ではなくて、その日やってきた者達にあわせて講義をする、といった方法をとっていると思っています。これは妖精や妖怪は気まぐれですから、毎回くるとは限らないと考えるからです。ちなみに今回の講義内容は源氏物語 須磨の章ですが、和歌は板書しやすいな、と思ったからで特に意味はありません。
 慧音先生は基本的に冷静で温和な印象を受けますね。ちょっとたれ目というか、眠そうな顔をしています。特技はほめ殺しかも。久々に髪の長い人物を描いたかも。そういえば藍様もしっかりしゃべったのは初めてですね。藍様はお狐さまということで糸目でもう少し面長な印象をなのですが、ちょいと妥協。わりあい首は長い感じですね。しっぽはふかふかに描けたかも。

空色がいつの空の色なのか?これは台本を書いているときにふと思いついた疑問です。後になってよく考えてみるといろんな色の名前はある「もの」の名前を冠している事が多いですよね。でも桜はみんな同じ「桜色」の花を咲かせているかと言われると違います。まして「空色」というのはなんなんだ、というのはこれまで気にした事はなかったですが、あらためて本作を作っている最中に気づかされました。で、その答えが絵の具なのですが、これもどうして空色をあの抜けるような青にしたのかなぁと考えながら台本を書いている中で、ふと思い浮かんだ解です。これが正しいかどうかは私は知りませんが、すぐに思い浮かんだ割にはあながち悪い答えでもないかなぁ・・・と思います。ヒトが青い顔料を手に入れて、それを自然界に当てはめ直したときに「あぁ、抜けるような青い空の色。これは空色だ」となり、そしてそこからもう一度、「この絵の具のような青こそが空の色である」と再定義されたとしてもありではなかろうか・・・と思うのです。多分、同じような事はだれかがすでに述べているでしょうけどね。



 
   ともかくも、空は今日も青いです。



ということで(?)、後書きにかえたいと思います。後もう少し、このシリーズにおつきあいくださいませ。

2013/04/28

動画ができるまで-4

さて、GWに突入しましたね。こちらはいいお天気、李花尺です。
今日は動画ができるまでシリーズの最後、実際に動画を作っている所を紹介したいと思います。


動画はiMove HDを使って作成しています、古いソフトですね。作業の流れは

  1. photoshopで作成した各コマの読み込み(5 sec. /コマで読み込み)
  2. 実際に再生しながら、作中の台詞を頭の中で“音読”して、各コマの時間を修正
  3. 各コマをつなげるエフェクトを選択
  4. BGMの選出・調整
  5. 書き出し

といった感じです。実際にはこのような画面を見ています。

このキャプチャはほぼ完成している状態なので、各コマに適当な時間が割り振られていますね。


ステップ2の時間の割り振りが、かなり大切な部分ですし、一番気を使っているかもしれません。だいたい声に出して台詞をよんだ場合と同じ時間になるように、各コマの時間を修正していきます。最初は各コマに5秒割り当てられていますから、短い台詞しかないと再生時間中に台詞を読み終わってしまいますから、その場合は時間を短くします。逆に台詞が長いとコマあたり7秒とか10秒とかに設定しています。現在は字幕式で、字幕だと収まる台詞量が制限されてますから、だいたいコマあたり7秒ぐらいが限界でしょうね。実際には再生しては止めて、設定をいじり、また巻き戻して再生して・・・ということを繰り返します。

ステップ2が終わったら、エフェクトをつけていきます。まず、各コマに描かれている内容が変わる場合に、クロスディソルブというエフェクトで場面転換をさせています。これは「連続するコマが混ざりながら次のコマに変わる」というやつです。吹き出しが増えるだけ、というような場面では基本的になんのエフェクトもかけていません。
 大きく場面が変わる場合はいわゆる「暗転」させます。この場合はコマの間に真っ黒のコマを挟み、クロスディソルブでつなぎます。そのときはクロスディソルブの効果を長めにとってゆっくりと場面を転換させることで、時間が経った事をアピールします。
 また、ちょっと場面が変わる場合、例えば、コマとコマの間にちょっとした「間」がある場合(例えば、物をとりにいって、また戻ってくるまでの間)は、クロスディソルブではなくて、ホワイトアウトを使っています(一旦画面が白くなるなるやつですな)。

BGMの選出ですが、iMoveに付属のBGMとniconicomonsからダウンロードしたBGMを基本に現在は選んでいます。コモンズよりダウンロードしたBGMはだいたいメインの楽器の種類ごとに分類して保存しています(↓こんな感じ)。ちなみにpianoフォルダはたくさんの曲が入っているので、その中でさらにアップテンポとかローテンポとかに分類されています。
「オープニング」から「和&オリエント」という名前のフォルダにはiMove付属音源がその”雰囲気”によって分類されています。このフォルダ分けもたしか自分でやったように記憶してます。最初からこういう分け方ではなかったと思うのですが・・・どうだったでしょうね。
 さて、この分類をもとにして、場面の雰囲気にあうBGMを探します。なるべく同じ音源を何度も使う事はしないようにしていますが(特にコモンズの作品)、何を使って、どれが未利用なのかすぐわかるようにはしていないので、何度も使うことがあります。もちろん、シリーズとして共通させる場合は別ですが。
 私は先に各コマに時間を割り当てているので、各場面のBGMの長さがあらかじめ決まっています。ですから、場面場面の時間にあう長さのBGMを探す事になります。もちろん、BGMのほうが長い場合は曲を「切り取る」ことも可能ですが、やはりBGMにも始まりと終わりがあるわけで、場面とBGMの長さが一致している方がより素直な感じに仕上がる事が多いです。BGM選びはまずは雰囲気、そして次に時間を目安にして選んでいきます。もちろん、BGMの長さとあらかじめ設定した場面の時間がぴったりと一致するという事はまれなので、その場合は、各コマの時間を少しずつ短くするとか、長くするなどの微調整を行います。
 最後に、フェードアウト・インなどの音量の設定を必要に応じて行います。これにて完成ですね。


さて、書き出しですが、これについては私自身がよくわかっていないです。とりあえず、

video format : mp4 H.264
frame rate : 15 fps
image size : 1280 x 720
video data rate : 300 - 400 kbps
audio format : AAC-LC
audio data rate : 112 kbps
channel : stereo
sample rate : 48 kHz


の設定で書き出しています。データレートに幅があるのは、予想される容量が36Mぐらいに収まるようにするために変更するためです。BGMの重要度が低い場合はオーディオのデータレートも下げる事がありますね。こんな感じです。16:9に対応して以来、書き出しにかかる時間が増えたので、なるべくミスがないように入念にチェックをしてから書き出します。それでも毎回のように書き出しのし直しをやってますね。



さて、これにて動画ができるまでシリーズを終えたいと思います。いかがだったでしょうか。まぁ、動画を作る上で役立つノウハウがつまっているわけではないので、のんびりと「へぇ・・・」ぐらいの気持ちで読んでいただけたらなぁと思っていました。要は動画をつくるなんて、そんなに技術的には難しいことではないと思うのです。もちろん最初からうまい人なんていないので、多少の努力と継続が必要ですが。

 近頃はMMDなんていう「振り込めない詐欺」なソフトもありますし、小説をpixivに投稿するというのも手ですよね。少し前に「everyone creator」というキャッチフレーズでgoogle cromeのCMを初音ミクをつかってやってましたね。これからどういう風に進んでいくかわからないですけど、私たちは「everyone creator」の時代が始まろうとしている局面に立ち会うことのできた幸せな世代だと思います。今、ニコニコ・youtubeをはじめとした発信インフラがそろってきて、強力な有償・無償のツールが存在する。もちろん、creatortとして食べていく、いわばプロとして活動することは今も昔も難しいことは変わりないと思います。ですが、自分の思いをたくさんの人に伝えていくことがこんなにも身近になっているのだから、それを利用する事にもっと積極的になってもいいのかもしれません。私は東方・ニコニコ・手書きというプラットフォームで表現していますが、これに限らず、皆さんがなにかを表現して、共有するという事に向き合う時間が増えれば、それはきっと素敵な事なんじゃないかなぁと思います。


・・・・さて、とりあえずネタがつきたので、週一でのシリーズものはこれにて一旦終了。週一更新は続けていこうと考えてますが、分量は少なめ、内容はバラバラと、いう感じで、ゆる〜く続けていく所存です。何かリクエスト等ございましたら、コメントやツイッターなどなどで、伝えてくだされば対応したいと思っています。ではでは。

2013/04/21

動画が出来るまで-3


ご機嫌いかがでしょうか、李花尺です。
先週に引き続きまして、作画パートの紹介をしていこうと思います。

まず、カラーパレットの話。

私はこのシンプルなカラーパレットを利用しています。それに加えて、よく使う肌色、朱色、紺色といった色はパレットに登録しています(下から2行目、右から6列目の濃紺から追加したパレット色)。このパレットの中の色の組み合わせで私は色を塗っています。

作画は黒ではなくて濃い茶色を単色で利用しています。後の色はこのパレットの色の組み合わせで表現しています。

基本的にはこのように二種類の色を混ぜて使っています。各キャラクターの服・髪・目などにそれぞれ色をあらかじめ準備しているわけではないので、作画パートが長期間にわたると、「あれ、この服の色はどの組み合わせだっけ?」という現象がたまに生じます。後、色塗りは基本的に「乗算」で塗っているので、色が濃くなっている部分はその色で塗っているわけではなくて、ただの二度塗りであることが大半です。影になっている部分については、メインの色に灰色を混ぜて二度塗りを行うこともありますが、それは特殊な例ですね。

あと、夕焼けや夜の場面で、画面全体が暗かったり、朱色に染まっている場合がありますが、それは紺や朱色で塗りつぶした単色のレイヤーの乗算で表現しています。その色で塗っているわけではありません。筆だけで微妙な色合いを表現するのは難しいですからね。



ペンツールの話。

独特(?)の筆で書いたような線はこのようなブラシを使って表現しています。プリセットのブラシを少し改変したモノです。

基本的にこれ以外のブラシは使っていません。左は細かい作画用ブラシ、中央は普通の作画用ブラシ、右は色塗り用ブラシです。この3種類のブラシはサイズが違うだけではなくて、微妙に設定が違いますが、同じプリセットから派生しているのでだいたい同じです。作画はペンツールを、色塗りは鉛筆ツールを乗算で使っています。鉛筆ツールの不透明度は必要に応じて変化させていますが、普段は100%の濃さで使っています。重ね塗りするときは不透明度を下げることがありますね。


作画を説明するとこんな所でしょうか。では来週は動画制作パートを紹介したいと思います。

2013/04/13

動画が出来るまで-2



さて、今日は作画の話をしましょうか。


動画を作る上で最も重要なパートと言っても良いかもしれません(ほんとは脚本が大事ですが、重要度はこちらも譲れないかと)。前回書きましたが、私はphotoshop CSを使って作画を行っています。まず、作画の大まかな流れですが、

1)下書き
2)線入れ
3)色塗り
4)背景の作成
5)ぼかしなどの処理
6)吹き出しの作成 or 字幕の作成

という順番になっています。
せっかくなので現在作成中の作画をキャプチャして見てみましょう。
(現在、字幕式の動画を作っているので、吹き出しはないです)

これが下書き段階。
台本を見ながら情景を想定して描いていきます。基本的にカメラワーク論なんて有りません。直感的に描いています。表情を捉えたいときは近くに寄りますし、登場人物の位置関係を見せたいときは引きますし、あんまり同じ構図が続かないようにカメラを回したりします。

そして線入れ段階(清書?)。

下書きのレイヤーの透明度を下げて、上からなぞっていきます。基本的に「さっと」筆を走らせて、満足行く線が引けるまでやり直しです。ゆっくりと丁寧に線をなぞる、ということはしていません。表情と体は別レイヤーになっていることが多いです。

次は色塗り段階



最近はまずざっくり塗って、それを消しゴムツールで整形するというのが私の中の流行です。そのときは新しいレイヤーを使って塗ることもありますが、塗り終わるとそれを速攻でこれまでの「色」のレイヤーに結合します。ですから、都合、“下書き” “線” “表情” “色”の4枚のレイヤーがここまでで存在することになります。(表情のレイヤーは無い場合もありますが)

続いて背景を描く段階

背景はめったなことで下書きしません。新しいレイヤーにざっくり描いていきます(このキャプチャではすでにエフェクトがかかっちゃってますが、気にしないで)。
そしても新しいレイヤーで色をつけます(背景の色と線のレイヤーはすぐに結合させることが多い)。そして、背景もその距離によって、別のレイヤーを使います(この場面だと後ろの妖精と黒板のある壁は別のレイヤーでした)。これは背景を一枚のレイヤーに結合すると、最後にエフェクトを使うときに都合が悪いためです。
空も新しいレイヤーを使って、選択ツールで空の部分=色がぬけている部分を選択し、グラデーションツールを使って描きます。

最後に微調整というかエフェクト

背景の線と色のレイヤーを結合して、ぼかしのエフェクトを使ってレンズの遠近感っぽいものを演出します。より遠いところはきつめにエフェクトをつけたりしますが、基本的には適当です。


とまぁ、こんな感じです。一枚あたりは10分から30分という所でしょうか。微妙な表情を描きたいときなどはもう少し時間がかかっているかもしれません。後は、込み入った背景を描いていると時間がかかりますね。私は他の人のメイキング動画とか生放送とかを見て研究してないので、非常に単純で素朴な使い方をしています。photoshopの機能の半分も使ってないですね(いまだにマスクの使い方がよく分からない・・・)。

来週はカラーパレットとか、筆の種類とか、ちょっと細かい所を紹介したいと思います。ではまた来週。

2013/04/07

動画が出来るまで-1


今週から、私の動画作成の過程を紹介したいと思います。もし何か知りたいことでもございましたら、コメントしてくだされば答えていこうと思っていますので、お気軽にどうぞ。

まず、私の動画作成は3つの過程からなっています。

1)脚本パート
2)作画パート
3)動画パート

それぞれになにをやっているのかと言いますと、
脚本パートでは台本作りをして、
作画パートでは実際の絵を描いています
動画パートで絵(各コマ)に時間を割り振り、BGMSEをつけています。

で、作業環境ですが、

Mac OS 10.4, PowerPC G5 (dual 2 GHz) 2.5 GB メモリ

です。このスペック上で、脚本は「テキストエディット」、作画を「Photoshop CS」、動画では「iMovie HD」を使って作業しています。

******************************

さて、今日は脚本パートのことでも。
実際にはこんな感じで台本を書いています。


 ご覧のようにすべてセリフのみ、そして「誰が」しゃべっているのかは記述していません。私の動画では一度にたくさんの人物がしゃべると言うことがほとんど無いので(せいぜい3人ぐらいまで)、これで全く支障がありません。むしろ、台本を書いて、見直したときにこれは誰のセリフだ?、となるようであれば、それは会話の流れがおかしいか、それともその登場人物が作り込めていないかのどちらかだと考えています。まぁ、ほとんどの場合、2人しか登場人物がいなくて、お互いが交互にしゃべるわけですから、問題有りません(と、いうよりも問題があったらこの手法はとっていないでしょう)。ただ、キャプチャした台本はチルノ・大妖精・リグル・橙・ルーミア・慧音と比較的たくさんの人物が登場しているので、ちょっとわかりにくいですね。ちなみに情景が変わる場合には

#寺子屋・昼休み
#大妖精・リグル・ルーミア・橙

というように、場所とその場面での登場人物の情報を台本に記載しています。

 後、各セリフに番号が振ってあるのは、およその動画の時間を見積もるためです。特に長編ではなるべく1話の長さを統一しようと心がけているので、セリフの量というのは案外大切な要素ですね。だいたい100セリフで7分ぐらいでしょうか。

 私は脚本をすべて書いてから次のパートに移ります。「巡るは季節」のような長編でも基本的にすべての脚本を完成させてから作画を開始します。もちろん、納得がいかなければ途中で書き換えることもしますが、基本的に最後のセリフが完成した状態から作画が始まります。



 私は脚本の善し悪しでその動画の善し悪しが決まると、基本的には考えています。このブログの後書きでもちょくちょく述べていますが、それぞれの動画にはコンセプト(ちいさな発見や提案)があります。一方で、繰り広げられる会話そのものを自然なものにするために、場面場面で一気に書きます。どういう事かと言いますと、会話というのはそんなに自分の中で推敲を重ねて発せられるものではないので、脚本を書くときも、「この妖怪はこういうことを考えて、こういう展開に持って行きたいから、こういうセリフをしゃべらすと良い」というように考えないようにしていると言うことです。自然な会話を考えるのに、その登場人物になりきって「すっと」でて来ないセリフはだめだろうという考え方といってもいいでしょう。ですので、脚本が完成するまでの時間というのはあんまり長くありません。逆に、その登場人物が自分の中に出来ていないと、自然に会話をすることが出来ないので、なかなか登場させることの出来る妖怪が増えにくいですね。ですから、私の動画では「緻密な会話」というのはあまり展開していません。伏線とかも張れないんですよね。そういうのは作者という「神の目」視点ですから。登場人物目線で会話を作っていくと、なかなか伏線は発生しないんですよ。もちろん、短編がメインだと言うこともあるのですが。

脚本が出来たら、いよいよ作画ですね。それはまた来週にでも。

2013/03/31

週末雑感

遅れました。 どうも、李花尺です。
失念していた訳ではないのですが、ちょっと、忙しかったので更新が遅れました。 遅れるなら遅れるで、告知すればいいのに、放置するあたりに人間性が出ますね。

 さてさて、今日は一応、「私の好きな東方手書きシリーズを紹介するシリーズ」の最終回。 servossさんの話でも。

 

動画は基本的に投稿が古いものから時系列になっているので、新しい動画は前の動画の設定を引き継いでいる様子ですから、一つのシリーズととらえてもいいだろうということで、”シリーズ”として紹介したいと思います。

servossさんの特徴といえば、絶妙な表情でしょうか(レイムはちょっと怖いのがいいですね。何もかも飲み込みそうな深い黒の瞳が・・・)。そしてエンターテイメントとして非常にわくわくさせてくれることですね。例えばスペースエーリンとか、設定はかなりぶっ飛んでると思うのですが、その設定がぶっ飛んでいることをふっとばすほどのリズム感で動画が進行して引き込まれます。次の展開が気になる動画というのはいいものですね。30分があっという間です。

後は画面の構成が好きですね。魚眼レンズで撮ったかのような構図や大胆に遠近感を演出した構図などなど。独特の丸顔で、リアリティが際立って高いわけではないのですが、登場人物の動きをとらえた描き方がなされているので、動的な手書き作品だと思っています。後、要所要所で「動く」のも魅力的ですね。スイカとレイムでは動画の盛り上がりを非常に際立たせる動きが挿入されていましたね。動くのは一瞬なのですが、効果的に使われているなぁと感じました。私もいつかは「動画」に挑戦してみたいものです。

ところで、「脇にぎり」なる技はどういう経緯で生まれたんでしょうか?どういうウルトラCが決まれば誕生するのやら。「脇」というものは東方において特別な意味を持つのはわかるのですが、そこでおにぎりを握ろうと考えつくのがservossさんの鬼才っぷりを表しているような気もします。


レイムを中心にして話が展開されることが多く、まだまだ登場していない妖怪たちも多いように感じます。まだ見ぬ妖怪たちがどのような肉付けをして登場するのか、楽しみにしていたりします。でも、守矢神社の面々がこれからどうなっていくのか・・・これもかなり気になるところではありますね。のんびりと待つことにしましょう。

servossさんリスペクト。なんという壮大で理解理解しがたいけど興奮する名場面なんだろう!


さてさて、とりあえず、servossさんの紹介をもちまして、「私の好きな東方手書きシリーズを紹介するシリーズ」を終えたいと思います。次回からは私の動画制作風景でも。

・・・需要?

知りません。

2013/03/17

週末雑感


どうも、一週間ぶりです、李花尺です。
さて、今日はmoganboさんの「淡々と進む東方手書き漫画」の話でもしましょうか。



 どうしても気になるのが「お魚天国」でしょう。どうしてこれが選ばれたのか気になってしょうがない。そして紫が登場する場合はキューピーのタラコマヨネーズのあの曲。そして、妙な一致を感じるのと、それがないと妙に落ち着かない感じは謎ですね。
 もちろん、それ以上に淡々と進む軽妙なやりとりが好きです。ぼけとつっこみが自然に存在している様はなかなか爽快です。タイトルにあるように、登場する妖怪・人間共々、どこか淡々としていて(決して感情が薄いとかそういうわけではなくて)、少し斜に構えた感じを受けるのは私だけでしょうか。でも、そんな感じが好きです。
 このシリーズはいくつかの独立したお話に分けることができそうですが、お話のなかで特に好きなのは【巫女】とそれに続く【ドライバー】でしょうか。ほかのシリーズに比べて、巫女、そしてそれに関わる妖怪と人間の魔法使いが生々しくて好きです。どうしても素直になれない感じと、素直だからこそ人を傷つけることもある、そんな人間が持つ色々な側面が出ていてので、見ていてそうなんだよなぁ・・・と感じ入ることができますよね。だから好きです。でも・・・

「ドライバーはいけない」

・・・だ、そうですよ。多分。

 後、淡々シリーズではゐがいい味出してますよね。まさに淡々としているというか、達者というか、さすがというか・・・。もしかしたら真綿で首を絞めてくる手強い妖怪なのかもしれませんけどね。ちょっと何を考えているのかわからないところがあって、つかめないけど憎めないし、好きなキャラクターです。

 先日、小悪魔の話が終わったので、次はだれに焦点を当てた物語が始まるか楽しみですね。小悪魔の話も面白かったです。小悪魔の悪魔っぷりが筋が通っていて不条理なのだけど清々しいですし、パチェさんもパチェさんで頭はいいのだろうけど、いろいろと問題があるご様子で、両者ともにそのちぐはぐした感じが好きです。マリサもマリサですしね。軽妙で毒のある会話と、絶妙な表情がツボです。
パチェさんが一言、

「どういうことだ?」

ここで切り取っても雰囲気は伝わりませんが、吹き出しの出てくるタイミングも非常によく、まさに目の前で会話が展開されているようなテンポの良さがあります。セリフ一つ一つが短いのも臨場感を出すこつなのかもしれませんね。

「私は悪くありませんが」

 さて、次週、servossさんのシリーズの感想をもって、とりあえずはこの「私の好きな東方手書きシリーズ」を終わりたいと思います。また、何か思うことがあったら書いていこうと思います。ではまた来週。

淡々と進む東方手書き漫画 【悪魔】より。淡々シリーズも背景が丁寧に描写されていますね。

2013/03/10

【後書き】色の名前 の続き

さて、リメイク版の 色の名前(続編)をお送りしました。


 今回、もっとも悩んだのは、「BGMをどうするか」でした。過去のエントリーをご覧になった方は覚えていらっしゃるかもしれませんが、本当はパブリックドメインやニコニコモンズの作品をミスティアに歌ってもらう予定でした。ですが、どうしても適当なものが見つかりません。もちろん、私が探した範囲というのはごく限られたものでしかないので、パブリックドメインやコモンズが充実していないということではありません。ですが、リメイクということで特定の「雰囲気;色」を感じさせる歌声というの求めると、どうしても難しい。あらかじめ音源を準備しておいて、それにあわせてお話を再構築する、という手もあったのでしょうが、そこまでは当初、頭が回らなかったのです(ま、なんとか見つかるだろう、とたかをくくっていました)。そして、実際にリメイク版の作画を終えて、動画を編集するにあたり、ともかく、ミスチーの歌うパート以外の BGMを先に設定したところ、ずいぶんとはまりました。流れとして、むりやりミスチーに歌わせるよりも、このままミスチーの歌声を想像してもらうのも悪くないな・・・と思い、前回とは異なり、今回はミスティアの多様な歌声はほぼ省略されています。

 と、まぁ、作成過程はこんな感じでした。リメイクとしては一応これで「色の話」は完成を見た訳ですが、せっかくですから、もうしばらく色の話は続きます。飛んでいったチルノが里で起こしたこと、ミスティアが今回二人に出会ったこと、この二つが絡み合って色、というものの性質や、それを感じることの幸せや優しさ、というものを描いていく予定です(・・・が、その台本が以前に藻くずと化したので、これからまた再構築です)。少しばかり気長にお待ちください。


 蛇足。色の名前をリメイクするにあたって、前回・今回と大和言葉での色の名前をいくつかあげました。私自身、そういった素養がある訳ではなくて、参考資料があります。「百羽鶴」という百枚の折り紙が閉じられた本で、その折り紙百枚がそれぞれ違う色・違う柄で構成されているものです。ぱらぱらとめくるだけで、ずいぶんと楽しめましています。そしてぱらぱらとめくっていって、適当な色、そして「音」がいい色を台詞として採用しました。せっかく買ったのですが鶴を折るのがもったいなくて、未だに色見本の本として利用しています。あんまり折り紙が得意ではないので・・・。

 ちょっと投稿後、たてこんでおりまして、いつもなら、twitterでもなるべくリプライを返すようにしているのですが、今回は無視という形になりましたし、後書きも遅れて申し訳ありませんでした、許してね。今週は投稿して後書きも書いたということで、ちょっと前から続けている週一更新の「私の好きな東方手書き」シリーズはお休みということで。では、また来週。

2013/03/03

週末雑感

さて、3月になってしまいました。李花尺です。
不慮の事故があったとはいえ、2月中は次の話を投稿することができませんでしたね。でも大分進んでいるので、3月の中旬までには投稿できると思います。お楽しみに。

さてさて、今日はくびのこさんによる「ほのぼのフラン」の話でも。



いやぁ、ほのぼのできます。小さなフランちゃんとこいしちゃん、そして大人びたフランちゃんとこいし君。レミリアお姉様、さとりお姉ちゃん・・・そんなそれぞれに魅力的な優しい存在ですね。子供は子供らしく、お姉さんはお姉さんらしくもあり、また、ちょっと抜けたところがあって可愛げがあります。会話はものすごくラフな感じで、緩いのですが、それが愛嬌があってほのぼのできますね。
 シリーズを通して、一本の筋の通った時系列が存在するのかパラレルな世界が入り乱れているのかわかりません。でもその頭身が大きくなったり、小さくなったり、何か大切なことを知っている風であったり、なかったり、ちょっと不思議な世界観になっているのも素敵ですね。また、おまけで出てくる小さな文や幽香とビオランテのやりとりとかも大好きです。こちらもかなりのほほんとしてますからね。マリサの姉さんはかっこいい。
 ちなみに、私は平成ゴジラとかガメラとかを見て育った世代なので、シリーズで出てくる怪獣はよく覚えてないけど、なんだか懐かしい思いもあります。ですから、怪獣が出てくることに全然違和感を感じないのも、この作品を好きになれる一つの理由かもしれません。
 さて、先日新しい作品が投稿され、最終回に近づいているということだそうです。最終回というのが、「ほのぼのフラン」の最終回なのか、くびのこさんの「くびのこ」としての活動の終わりを意味するのかは判断しかねますが、ともかくも、不思議に入り乱れている紅魔館と地霊殿の面々の時系列が明らかになるようなので、わくわくしております。

くびのこさんリスペクト。何ともいえない口元などは私には再現不能です。

2013/02/24

週末雑感

さて、月日が経つのは早いもので、動画制作は遅々として進まないのに、こうして週末雑感を書くのはすでに3回目となっております。これで “三日坊主” ならぬ “三週間坊主” にはならずに済みそうですね(正確に言えば、来週更新できれば、の話ですが)。

さて、今回はmagoさんの「のんびり描いた東方4こま」のお話でも。
(リンクにはmagoさんの作品が全部入ってます、ボカロのPVとか)


magoさんの動画は
① 線が黒い
② 線が太い
③ 線が固い
④ 東方

ということですが、独特の線の重ね書きスタイルが素敵です。デフォルメされたぷっくりとしたほっぺの絵柄と頭身の高いすらりとした絵柄が入り乱れた動画は、のんびりと優しい気持ちで見ることができて、大好きです。magoさんの4コマはどれもクスリと笑うことができる雰囲気がよいですね。まさに「のんびり」とした雰囲気です。そういえば、毎回動画を作るきっかけが不穏なのですが、大丈夫なのですかね・・・?。

さて、magoさんの動画で外すことのできない、衝撃的な作品があります。それは11作目



の後半の勇儀とパルスィのお話。これは4コマではなくて、小話なのですが、これが大好きでして。パルスィに内在する狂気とそれを包む勇儀の容赦のない包容力。両者の胸の内に秘める思いが交差する様は圧倒的な美しさであると思います。人物たちの表情もまた絶妙なのです。微妙な感情が現れていて胸が苦しいですね。
 私はこれ以上の勇儀とパルスィのお話を思いつかないのですよね。勝ち負けがある訳ではないですけど、なんというか、これを見せられたら、もうストレートな勇儀とパルスィの話は私は作ることができないです。これが大好きだから、勇儀とパルスィの話を見たくなったら、これを見ます。自家発電の必要がないぐらい、私の好みど真ん中です。

後、magoさんといえば、バラ動画。東方の登場人物たちをバラで例える動画を投稿されていますが、非常にバラに関する知識が豊富なご様子。私はバラに関する知識はほとんどありませんが、毎回へぇ・・・と思いながら、楽しく眺めさせて頂いてます。


全体に、のんびりしてくすっとできる感じ、そして「なるほどな」と思わせる解釈や「おっ」と思わせる展開など、4コマとしての完成度も高くて好きです。たまにあるおまけの5コマめもスパイスが利いていて面白いですし。

だって、magoさんの絵がまねできないんですもの。この猫が出てくる話は大好きです。

2013/02/16

週末雑感


週末がやってきました。
こんにちは、李花尺です。
今日は、ドキドキ☆するシリーズのお話でも。
主たる感想は、マヨヒガ発見伝より。
お宝発見伝も面白いんだけど。



このシリーズの特徴。それは、何とも言えない 「間」 の表現かと。
効果音・BGMを巧みに使い、印象的な場面の切り替えと
コマ割を駆使した余白のとり方で
マヨヒガの静寂とした夏が浮かび上がっています。

猫さんと棚娘の掛け合いも秀逸
棚娘の幼さ
猫さんのおちつき
良い具合にかみ合っております。

・・・鈴の音がいいよね。

シリーズ全体を通して時系列が入り乱れて
何度も見ると分かる発見やあるもおかし

やっぱり、棚娘が持って帰った筆は
あの蛙が使っていたものなの?

続きが気になる。。。。
猫さん・・・

 ということで、ドキドキ☆するシリーズはどきどきしながら楽しませて貰っています。私自身は背景を描かないと落ち着かない性質なので、このシリーズのような簡潔な美しさとはあまり縁がないですが、やはり、シンプルな絵柄ならではの魅力があって大好きです。イベントで配布されている同人誌をベースに動画にされているということで、動画の中にコマがあるのはそういった理由も有ると思うのですが、巧みに配置・展開されていて、余白もまた味があっていいですね。

 前作にあたるお宝発見伝では、「ジト目チルノ」という少し大人びたチルノが出てきます。でも霊夢の見た夢(?)のなかでは対極にあるチルノが出てきます。あの辺り、なにか種明かしがあるのか、はたまた、あくまでも霊夢がみた「夢」なのか。基本的に大人びた登場人物が出てくると私はほいほい釣られる傾向があるようで、チルノや猫さんの魅力にやられているのかもしれませんね。

 マヨヒガ発見伝では、りさがマヨヒガから戻る際に捨てられた道具達が作る光の帯の道、あの表現はやはり良いですね。暗闇に、ぽつぽつと怪しげで、しかし優しい光が続いていく様子。実は、拙作「巡るは季節」ではああいった表現が私もやりたかったのです(明治の結界を張るときのシーンですな)。現実とうつつが交わる表現、というものを見た気がします。いいですね。
 後は猫さんの服装もかなり好きです。大陸風な装いが異質さを感じさせますね。単に大陸風な服装が好きなだけかもしれませんが。

どうやら、第三章では猫さんに焦点が当てられている様子。本にはなっているそうなので、ぼちぼちと動画になるのを待つことにしましょう。

シリーズ作者のにひまるさんリスペクト。なんだか大人びた猫さんにはドキドキします。

2013/02/09

週末雑感


一週間とは早いものですね。そう思うと、週刊でなにかを作るというのは大変です。それを続けるとなるとよりいっそう大変だと痛感している次第。

ということで、今週からしばらくは、私が楽しみにしている作品の魅力等々を少し書いてみようかな・・・と思います。

・・・とその前に、近況報告。ただいま、「色の名前 第二話」の作画を行っております。先日やらかした時までに完成してた部分まで追いつきました。とはいっても前半部分ですので、まだ時間がかかりそうです。後、以前の作品ではJ-popの作品を利用しましたが、せっかくなのでその辺り、少し改変を加えようかな、と考えています。基本的にはパブリックドメインやニコニコモンズを利用していくつもりです。

さて、東方棋渡世(Siinaさん)について。

あらすじ
山の天狗組織をぬけた山走椛の物語です。この世界では「将棋」というのが弾幕勝負に変わる一つの「遊び」として認識されているようです。そして将棋は広く浸透しているために、その将棋での勝負事を主催する団体こそは、幻想郷の「実体」を握る団体になりうる・・・ということで、将棋の勝負師である椛は八雲紫と組んで、幻想郷の主たる人物達と命をかけた将棋を指していくことになる。

全体的な魅力
私自身は将棋の駒の動かし方は知っていますが、戦術(作中、棒銀とか矢倉とかいった言葉が出てきます)はほとんど分かりません。この物語において、将棋は非常に大切な要素なのですが(Siinaさんも将棋に詳しいご様子)、それに加えて幻想郷の登場人物達の「能力」が大きくその勝負に関わってきます。ですので、将棋が分からなくとも十二分に楽しめます。
 そしてなんといっても「野生の水木しげる」のタグが表すその絵柄も魅力の一つでしょう。紅美鈴などは、普段、おどろおどろしい妖怪の雰囲気を醸し出しているのですが、時折可愛くなる。可愛いと言えば、妖夢や紫・橙は基本可愛いですね。
 後、おまけで紅美鈴が中国語をしゃべっているのですが、最高です。シリアス一辺倒ではなくて所々シュールな笑いを挟んでくるので、それがまた良し。それぞれの登場人物が良い面・醜悪な面を持っていて、基本的に人間くさいのが良いですね。私は誰しもが持つ両面をあまり描かないので、この両面を上手く描けているSiinaさんには脱帽です。

これから
時折挿入される椛の過去。椛の千里眼の覚醒や厄神様の関係。まだ出ぬ強者。これからもますます気になりますね。そして紫が将棋を指す姿は見ることが出来るのでしょうか?う〜ん、気になる。

総括
Siinaさんの描く東方棋渡世の魅力(ほかの好きな作品にも共通したことですが)は、なんといってもそれぞれの登場人物がそこにたしかに居ることを感じさせる事だと思います。その人物が、そう思って、思ったことをしゃべっている、そう感じさせる世界がそこにあるから、引き込まれるのだと思います。
 椛が精神的にも迷いを断ち切り(でも迷いのなかに椛の魅力や精神力の強さがあるような気もします)、千里眼を使いこなせるようになるのか、どのような結末を迎えるのか、これからも楽しみですね。

棋渡世屈指の名場面を再現。やはり、あの独特の感じは出せません。


2013/02/03

週末雑感


先週末になるべく毎週更新しますといった都合、さすがに次の週ぐらいは更新しないとまずいので、ちょっと近況をば。

twitterでは報告したのですが、李花尺としての活動;画像ファイルや動画ファイル・脚本や構想が書かれた書類ファイルなどを管理しているフォルダを削除してしまいました。作成途中だった「色の名前」第二話や、脚本も削除してしまったので、現在、脚本を書き直して、ちょろちょろと再び作画を再開しているところです。

ですので、投稿はまた少し遅れると思いますが、気長にお待ちください。


さて、それだけではちょっとつまらないので、少しほかの話題でも。


これまでは人のことを書くことはしない、あまり自分以外のことは触れないようにしていたのですが、少し宗旨替えをしました。というのも、自分自身は人に評価されること(肯定的であれ、否定的であれ)がモチベーションの一つになっているのに、自分自身は評価することに無関心でいるのはなんだかフェアじゃないな、と思えてきたからです。「評価」といっても、私に大層なことが出来るわけではなくて、“このシリーズや作品が好きだ”ぐらいのことです。でも、そういう一言が私自身は嬉しかったりするので、それぐらいなら言ってもいいかな・・・と思います。すでにTwitterでは私が楽しみにしている動画が投稿されると、つぶやいていたりしますし。

ということで、今現在、私が楽しみにしている動画シリーズをとりあえず上げていきますと、

・東方棋渡世;Siinaさん
・ドキドキ☆するシリーズ;ジト目チルノの人さん
・のんびり描いた東方4こま;magoさん
・ほのぼのフラン;くびのこさん
・淡々と進む東方手書き漫画;moganboさん
・サーヴォスの箱;servossさん

こんな感じでしょうか。東方棋渡世とドキドキ☆するシリーズは続き物のなかでは抜群のおもしろさだと思います。続きが気になりますなぁ。のんびり〜とほのぼの〜の両シリーズはどちらもそのタイトルにあるように、のんびりと、ほのぼのと優しい気持ちで見ることが出来るので、大好きです。淡々〜はなかなか言葉の掛け合いが軽快で、しかもお魚天国のBGMとあいまってなんともいえない独特の雰囲気が好きです。淡々〜は小悪魔の話が完結したので、次はどんな話が始まるか楽しみですね。servossさんの作品群は動画タイトルに統一性はないですが、作品間につながりがみられますから、ひとつの幻想郷のシリーズとみてもよいかもしれませんね。絶妙な表情の表現の、エンターテイメントとして完成度が高い作品が多くて素敵です。あ、「やっぱ無理」さんの作品も続きが気になっているのですが、最近投稿されてないですね。どうしたものでしょう。

せっかくですので、また、これらの作品についてちょっとした感想なぞを書いてみようと考えています。今週はここまで。

2013/01/25

アマノジャク

さて、ニコニコではブロマガなるものがプレミアム会員向けのサービスとして始まったようです。詳細は把握しておりませんが、ツイッターを見ていると、どうやらとりあえず始める方も多い様子。

で・・・私ですが、アマノジャクな性格なので、どうもほいほいと始める気にもなれません。もっともらしい第一の理由は、このサイトがあることです。さらに飽き性でもあるので、始めたはいいもののすぐに更新が止まってしまうのでは”マガジン”の意味がありません。もちろん、ニコニコ内のサービスですから、bloggerのような外部サイトよりもアクセスが良いでしょうし、後書きなどもより多くの人に読んでもらえるのかもしれませんね。

が、まぁ、せっかくなので、このbloggerで最後まで続けていこうかなと思っています。ちょっとニコニコブロマガサービスに対抗してなるべく週末にはこのサイトも更新しようかな・・・と思います。いつまで続くかは分かりませんが。

と、いってもなかなか毎週なにかしゃべることがあるかどうかわかりません。もし、なにかご要望があれば、コメントなどでお伝え願えたらと思います。さしあたっては自分の過去の作品や、今の東方手書き界隈に感じていることなどを書いていこうかなと思います。


2013/01/19

【後書き】色の名前

あけましておめでとうございます。李花尺です。


さて、「色の名前」のリメイク版をお送りしました。リメイクなんてしていると、ネタがつきたように思われそうで、ちょっとだけ癪なのですが、まぁ、これからもやりたいことをやるだけですので、特に気にしません。で、せっかくリメイクするので少し話を増して全3−4話でお送りする予定です。気長にお待ちください。

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リメイクするにあたって、風景をより冬らしく描くことを心がけました。また、動画が進むにつれて雪が少なくなっていくことに気づいた方もいらっしゃるでしょう。これはレティが人里離れた山奥に普段はいて、散歩がてら山を川沿いに降りていったためです。

そんな劇的にかわるのか?

けっこう変わりますよ。雪の量は小高い山の中にはまだたくさんあるけれど平地にくるとほとんどない、なんてことはよくある話です。私はこれでもちょっとした雪国育ちですので、雪の量が劇的に変化するのは実体験に基づいていたりします・・・たぶん。

後、以前の作品とリメイク版ではニトリとのやり取りが少し違います。以前はニトリが水の中からにゅっと顔を出すのですが、リメイク版では釣りをしているところに二人がやってくる場面に変わっています。これは、ニトリといえばなにげなしに釣りをするという印象が強くなってきたためです。ですから、ニトリはよりニトリらしくなったと思っています。ついでにいえば、翡翠の話題をしているところにニトリが水の中から出てくるのも都合が良すぎると感じたので、より自然な時間の流れを模索した結果、こうなりました。

小傘はかなり大人びた印象がより強くなりました。これで「うらめしや」とかやるのだろうか?それはそれで可愛らしいですね。・・・小傘との会話はそれほどいじっていません。青色というのは、人を落ち着かせる作用があるとかないとか、青い街灯にすると犯罪が減るとかなんとか、噂を聞いたことがあります。そういった「青色」に対するごく普通の印象を小傘には代表してもらいました。

レティに関してですが、前作からの違いはネックレスをしている所でしょう。このネックレスは、「霧の大河」でチルノがくれたガラス玉です。作中、ネックレスに加工されているのに気づいていらっしゃる方がいてうれしかったので、せっかくなので、つけてもらいました。レティは母性性あふれる存在ですが、どこか冷たい感じがする、そんな風に描けたらいいなぁと思っています。

ずいぶんとおしゃれになったのが、幽香ですね。以前、妖怪は着た切り雀のものとカジュアルなものに二分できるという話をしましたが、幽香はどちらかといえば、後者に属する印象が強いです。すでに「文の取材」でも作業着を着てますし、シャツの種類も豊富ですしね。前作ではごく普通の格好をしていたのですが、リメイク版ではしっかりと冬仕様になっております。

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さて、背景を丁寧に描いていくとどうしても時間がかかります。投稿間隔はなかなかこれまでと同じという訳にはいきませんが、今年も李花尺をよろしくお願いいたします。