2014/04/26

たんぼ

月日が経つのは早いもので、もうすぐGWとなりましたね。
今年は春が長いといいましょうか、まだ半袖で過ごすには肌寒い日がつづいています。

そうはいっても山々は緑をとりもどして、徐々に色濃くなっていく様子。田圃にも水が張られ、田植えの季節がやってきました。この時期の農道は泥だらけになるので、車がすぐに茶色になってしまいますね。そういえばこの間、畑を耕耘機で耕している後ろで烏に混じってトンビがいっしょに虫をつっついていました。猛禽類といえど、背に腹変えられないのでしょう、ちょっと場違いな感じで、なごみますね。

先週の話にも通じるところがあるのですが、私は曲がった田畑が好きです。等高線に沿って緩やかにうねった畦があると落ち着きます。区画整備が進んで、効率的になった田圃も必要なのでしょうが、どうもよそよそしい感じがするのです(もちろん、青い苗が風にそよいでいれば、それだけで十分と言えばそうなのですけど)。ですので、棚田とかものすごく好きなのです。拙作、巡るは季節でも棚田を描いていますけど、あれは確信犯ですね。棚田と言えば、東南アジアの立派な棚田が有名ですね。個人的にはちょっと開きすぎかな・・・と感じます。もう少しこう、合間に木立が残っているとか、ちょっと平らなところに小さな祠があるとか・・・。

これからの季節、田圃に水がはられれば、そこに青空を映し、夕暮れには茜色に輝き、カエルの大合唱とともに夜を迎え、素敵なゆっくりとした時間が流れることでしょう。

いい季節ですね。

2014/04/19

田舎の風景


どうも、謎の肩こり・首こりにさいなまれている李花尺です。

・・・とはいうものの、この季節の風物詩みたいなもので心配には及びませんが。さて、私の住む地域も桜が終わり、萌葱の若い葉っぱが木々から芽を吹きはじめました。やっぱり春はいいですね。変化に富んでいて、いろんな発見がありますから。
 私はとんだ田舎に現在住んでいるのですが、古い町なので、平地の小さな集落でもうねった道が残っています。きっと小さな勾配があって、その等高線にそって作られているのでしょう。道淵の石で組んである小さな堀、畦の草花、小さなお社と大きな木。そういった風景が残っているのですが、そういった景色が大好きでして。今の季節は菜の花が咲いていて、明るい色合いですしね。
 私が高校生までなら、地元民かあるいは遊びに来たヤツということでそんな集落の中を歩いていてもそれほど怪しまれなかったでしょうけど、いまは完全に不審者扱いでしょうね、ざんねん。

 この田舎の風景好きになったのはいつのころのことか、定かではありません。ずいぶんと昔からだったような気もします。ちなみに、拙作中で田舎や自然の風景が出てくるのは私の趣味です。もちろん、お気づきの方も多かったと思いますが。

では、また来週

2014/04/12

タイトルの話

どうも、昼夜の寒暖差に体調をくずしそうな李花尺です。

先日、自分の投稿作品をだらだらと見ていたのですが、ふと、タイトルの付け方が気になりました。まずはちょっと列挙してみましょう

彼岸にて             雨の日の午後
天子、神社へ行く         色の名前
姫海棠はたての気になる写真    秋の訪れ
文の散歩             巡るは季節
アリスと上海人形         神子達の引っ越し
マミゾウの眼鏡          文の取材 秋
The last incident           冥界の秋
月下の白蓮            小傘と雨
恋の欠片             霊夢、夢の後
霧の大河             冬に咲く夏の思い出
春ですよ             文の取材
雪の音              東方ゾンビ禍
てゐと雛             色の名前・色の名前(続篇)
思い               朱と蒼
月の美しい夜に

基本的に助詞が入っていますね。the last incidentをのぞけば、助詞の入っていない「思い」という作品だけ。助詞、特に「の」と「と」が多いようです。「の」が入っているタイトルが多いと言えばスタジオジブリが有名ですね。「風立ちぬ」では始めて「の」が入らなかったとかなんとか。ジブリ作品は好きですし、影響しているのかもしれません。後は司馬遼太郎や三島由紀夫の影響もあるのでは、とふんでいますが。
 意外に登場人物名が入っているタイトルが多いですね。もっと少ないかと思っていたのですが・・・。もっとも、タイトルから考えてから物語を作ることもないので、タイトルを考えるときは「名は体を表す」を指針に則ることが多く、その法則から行けば納得です。でも個人的には「巡るは季節」とか、「霧の大河」とかのほうが響きが好きですけどね。ちなみに斜体・太字で表したシリーズ物は登場人物が含まれる率が低いですが、これはシリーズ物は登場人物に対して何か考えて作ることよりも、なにか概念的なテーマを軸にして物語を作っていることが多いからでしょう。
 そして春も秋も冬もあるのに夏がない。夏も好きなのですが・・・。いずれ夏をテーマにでもしましょうか。それにしてもなんでだろう??夏のシーンならいくつか有るはずなのですが。また、「東方○○」というスタイルも1回だけですね。割と二次創作界隈では一般的なタイトルのとりかただと感じているのですが。アマノジャクな作者なので仕方がないのかもしれません。
 
 これまで気にしたことが無かったですが、他の方もタイトルのつけかたも個性が出ていて面白いかもしれません。

2014/04/05


 昨日は春の嵐が吹き荒れまして、桜が散ってしまい、しょんぼりしております。


 さて、実は桜についてはちょっと昨年嫌な出来事がありまして、今年の春はちょっと憂鬱な李花尺です。私事ですがちょっとここに書き記しておきたいと思います。

 私が今住んでいる街が、30年ほど前に道路を作った際に街路樹として桜を植えました(記念植樹の碑があるので間違いないでしょう)。そして現在、桜はおそらく一番綺麗な時期にさしかかっていると思います。枝振りもよく、満開になれば本当にこぼれるほど花をつけていまして、春を楽しませてくれていました。当然、大きくなった桜は道路にまで枝が伸び、また、電線や街灯を覆い隠すようになっていました。そして去年の夏、電線にかかっている枝や道路にはみ出した枝が払われてしまったのです。
 枝は必要に応じて切り払われ、電線を避けるように凹型に整形された姿や、道路側だけ枝が伸びていないのに反対側には低く位置まで立派な枝が張っている姿になった桜が誕生しました。濃い桜鼠の幹に白茶色の切り口がいくつもある桜はなんとも痛々しく、それ以来あまりその道は使わないようになりました。
 自分たちが楽しむためだけに植えて、それも木が生長することも分からずに植えて、不都合が起きたら平気でその枝をはらい、なんとも不自然で不細工な形に切りそろえてしまう人間に木を植えることは控えて欲しいと思います。木はものを言いませんし、枝をはらったところで「死ぬ」わけではありません。あんまりな姿になった桜をみて悲しむ人もあまりいないのかもしれません。ですが、本当に「みっともない」まねをしてくれたものだと思います。
 どうしてこうなることが予見できなかったのでしょうか?もしかしたら道路を管理する人は桜を街路樹にしたら後々大変なことは分かっていたが、記念植樹という形で地元の人が植えるのを止められなかったのかもしれません。枝を切った人もつらかったのかもしれません。そんな風に考えるともやもやして憂鬱になるのでした。

 古くからそこにある立派な桜が大切にされる一方で、路肩に植えられたソメイヨシノがぞんざいに扱われる様を見ると、やるせない春ですね。