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2016/05/01

あとがき 霊夢さん家の縁側日記#2

お久しぶりです、李花尺です。
皆様如何お過ごしでしょうか?

さて、またまた久々ぶりの投稿になりました。実は、作画自体はほぼ4月半ばには終わっていたのですが、ばたばたしていたらGWになってしまいました。

さて、今回は九十九姉妹がやってきました。どうして九十九姉妹かと申しますと、「誰がきて欲しいですか」という私の問いかけに対して、動画コメントで一番早かったのが、九十九姉妹だったからです。もちろん、これまで描いていないですし、描いてみたかった姉妹です。

と、いうのも、二人はスカーレット姉妹や、古明地姉妹と違ってその間に確執と申しましょうか、わだかまりのようなものがまだないように感じるからです。例に挙げた紅魔館と地霊殿の姉妹は多少なりとも「いびつな」姉妹であることを感じさせますし、いびつさを超えて離れられない何かを感じます。が、九十九姉妹はただ寄り添うことで姉妹を感じることができますし、むしろそれでしか姉妹としてのつながりがないようにも思えます。ですから、無垢な姉妹愛と申しましょうか、そういった暖かな関係をもっているのではないかなぁと思います。なんの因果か、姉妹となった二人ですから、二人にとって、それはとっても得難いものではないでしょうか。

最後のシーン、琴と琵琶の共演の音源があればよかったのですが、探しきれませんでした。また、二人の曲である、幻想浄瑠璃を流すという案もすてがい魅力があったのですが、これもちょっと挫折しました。探すのが下手ですなぁ。

ところで、いいですよねぇ、晩秋の温かい陽だまりの縁側に九十九神がいて、ゆっくりとつまびきながら時を過ごすのって。・・・行ってみたい。むしろ、九十九姉妹を登場させようとしたら必然的にそんなシーンが目に浮かんだので、実のところ、コーヒーは単なる口実です。

さてさて、次はだれが縁側にやってくるのやら。

2016/02/07

あとがき 霊夢さん家の縁側日記

お久しぶりです、李花尺です。

本当に久々の投稿になりました。いやぁ、秋口には作成を開始して、遅くとも年内には投稿する予定だったのですが、どうもこうも、なかなか遅くなりました。


さて、今回はまったく着地点のない動画シリーズです。説明文にも書きましたが、だれか神社に来て欲しい人があれば、ここのコメント欄なり、Twitterなり、動画コメントなりでお伝えいただければ、そこから選ぶ・・・かもしれませんし、なにか思い浮かべばそちらを優先するかもしれません。そのあたり、ゆったりと考えていただければ。

さて、小道具としてコーヒーが出てきます。私のこれまでの作品でもちょこちょこと登場しておりますが、私はコーヒーより紅茶派だったりします。でも実家で挽きたての豆から入れるコーヒーはとっても美味しくて好きです。豆の種類によっても随分と違いますしね。ただ、我が家のマスターはいい加減で、よく水の分量を間違えるので、時折ものすごく濃いコーヒーが出てきたりします。それでも甘いものと一緒にいただけばイケるのですが。

話が脱線しましたが、霊夢さん家の縁側でだれかが来て、なにかしらの情報を得て、それが拡散して、また違うことが起きる。霊夢さんが特になにをするわけでもないけど、小さな幻想郷のなかでいろんなことに繋がっていく、そしてそれをなんとなしにみんなが望んでいる。そういった箱庭のような、小さくて可愛い、ゆったりとした世界を描けたらなぁと今は思っています。

短いですが、あとがきに返させていただきます。

李花尺

2014/12/06

後書き 【ピアノのある風景】

11月に投稿できるといったはずが、なぜか12月になってしまいました。スミマセン。


 さて、これにてピアノのある風景、お終いです。幻想郷での録音に協力してくださったunderdogさんにはこの場を借りてお礼申し上げます、ありがとうございました。


・・・さる情景。

 夕暮れ時の深い 光の濃淡のなかでふとピアノの音が聞こえ、その調にさそわれて路地をゆけば、茜色に染まった教室で誰かがピアノを弾いている。夕日に照らされてピアノの角が眩しく光る。少女の影に気づいた彼女がふと手を止めて・・・


 そんな情景が描きたかった、描きたかったのです。・・・描けたかどうかはわかりません。光を描くのはとてもむずかしいですね。夕暮れ時のあの柔らかく朱色に染まった世界も、日が山の端に隠れて残光が残る青い世界も、とても美しいと思います。低く射す様な光が明かり取りから漏れてある点を温めている様子は素敵ですね。

 後書きらしいことを書くとするならば、霊夢さんを登場させると、他の登場人物を喰ってしまいますね。別段、霊夢さんに思い入れがあるわけではないつもりなのですが、彼女の持つ独特の雰囲気が周りを呑んでしまいます。なんだろうこの感じ、謎ですね。・・・ミステリアスな女性は素敵です。
 ピアノはこうして、寺子屋でいろんな人に弾かれる運命をたどりました。このお話はここ終わりますが、この風景はきっと続いていき、いろんな物語を作っていくのでしょう。それはきっと素敵なことだと思います。夕日の差し込む学校とピアノの音色がもたらす出会い、というのにふと懐かしいあこがれを思い出した李花尺なのでした。

2014/07/26

ピアノのある風景 02 あとがき

さて、やっとこさ第二話を投稿できました。

 それにしても話が進んでいませんな。・・・ともかく、ピアノは学校(寺子屋)にいくことになったようです。1話の最後に慧音先生が登場しましたから、およそ皆さんの予想通りに進んだのではないかと思います。ふと思ったのですが、最近慧音先生の出番が多いですね。そのように感じます。

 慧音先生がピアノを早苗さんから教えてもらうわけですが、果たしてどれくらいの期間が経ったのでしょう。ちょっとわからなくて結局数字を入れるのをごまかしました。数日のような気もしますし、一年まるまる必要な気もします。簡単な童話のメロディーを弾くことを想像すると、それほど時間は経っていないと思いますよ。

 さて、この物語において早苗さんの内面はこの話の「きも」の部分なので、どこまで描くかはかなり悩みました。小説と違って、手書き動画は内面を描きにくいです。もちろん、雲みたいなフキダシで心情の描写をやってもいいのでしょうけど、なんだか格好が悪いような気がして私は避けています。置かれている状況を丁寧に描写して、あとは表情から読み取ってもらうのがいいかなぁと思っています。

 そうそう、本作では早苗さん、ずっと蛇のアクセサリーをしていません。これに深い理由はありません。内緒の話ですが、一番最初に描き忘れて、直すのが面倒くさかったこと、後からなんの説明もなく蛇を復活させるとこれまでつけていなかったことに理由が必要なので、それ以降、意固地になっているだけです。なんとまぁ偏屈者なんでしょうね。

 ひとまずピアノが落ち着いたところで、次はどうなることやら。描きたい情景があるのですが、表現できるかが不安です。では、また。(あとがきを描いたので、週末雑感はおやすみです)

2014/05/24

初夏の陽気

どうも、部屋の掃除をしてご機嫌な李花尺です

 よい天気なので掃除をしたわけですが、そうやって動き回ると結構暑いもので、今は半袖一枚で過ごしております。初夏の陽気が気持ちいいですね。ただ、風はひんやりとしておりますので、まだ汗ばむほどではありません。そういえば、今年は私の周りのツツジやサツキの花があまり豊かでなかったように思います。そういう年なのでしょう。来年はきれいに咲くといいですね。

 さて、「ピアノのある風景」ですが、いつもよりコメントが多くついていますね。普段はマイリストと同じぐらいのコメントしかつかないのですが。ま、コメントをあまり必要としない動画を作っている自覚は多少はありますけどね。冒頭の「うぽつ」と最後の「乙」のたぐいのコメントの比率が多いのを、動画をそのまま楽しんでもらえたと勝手に解釈しております。
 一方で今作では、幻想郷において、「誰がピアノを弾けるか」、「ピアノの値段はどれくらいが適当か」、という所は意見が分かれるところだと思っているのでコメントも沢山つくのではないかと多少は感じていました。ですので、ちょっと驚いてはいますが、そんなに意外ではないです。作品の構想を練っている段階でリリカ、プリズムリバー三姉妹のことを全く考えなかった訳ではありません。ただ、彼女らは自由な存在であって、「社会」との関連性があまり高くないような気がします。ですので、今回はあえて触れませんでした。霖乃助は「誰も弾けないだろう」という旨の発言をしていますが、あれは基本的には店にやってくる人間と妖怪を念頭においた発言だとすれば、そんなに間違っていないような気もしています。ピアノの値段は適当です。ちなみに単位をあえて書いていないので、正確には全く意味のない数字ですよ。もちろん現在の日本円でちょっと高めの中古ピアノの値段を調べて参考にはしましたけどね。

 私事ですが、制作環境が新しくなりました。ですので、これまでの制作環境の移植やら、ニコ動祭への参加の検討やら、ちょくちょく次作の制作がストップしそうです。その辺り、気長にお待ちくださいませ。

2014/05/18

後書き ピアノのある風景

さて、新作を無事投稿できました。今回は3部作の予定です。

 私はピアノにかぎらず楽器全般を弾けないのですが、この歳になって弾けたらなぁと思うようになりました。ちょっと気持ちを落ち着かせるために、暇を紛らわすために、そして楽しむために。私の周りには存外楽器を使える人が多くて、それがちょっとうらやましいだけなのかもしれませんが。そういった私の個人的な思い入れが起点になっている作品です。早苗さんがピアノを弾く場面がありますが、これはtwitterで幻想郷での録音作業を募集したところ、underdog氏が快諾してくれましたので、氏が音源をとってきてくださいました、ありがとうございます。

すこし、制作について。
 香霖堂の店内を描くのは疲れました。雑貨屋あるいは骨董店の店内のごちゃごちゃした雰囲気を出したいのですが、膨大な書き込みに気後れし、そして私の脳内に上手くそのイメージが湧かないものですから、かなりこざっぱりした店内となりました。一応、コーヒーや紅茶など、これまでに描いてきた幻想郷で香霖堂で扱っている商品は置いてあります。そして今作、朱鷺子をはじめて描きました。わりと幼い印象ですね。霖之助さんはわりとドライな感じがします。ピアノに関しては弾いても減らないからなんとも思ってないのでしょう。そこにあるだけで価値のある性質の物ではないので、むしろ弾かれるべきだと思っているのではないでしょうか。
 早苗さんは最初の数コマはちょっとパーマをかけてますが、瞬く間にストレートに戻っています。私が鶏頭なのと、ちょっとやぼったい印象になるので、やめました。どうしてでしょうね。切れ長の目の方が好きだからですかね。早苗さんはどちらかというとかまぼこみたいな目の形をしているのですが、どうもこう・・・可愛いのですが、少し・・・。

ま、個人的な好みの話はさておき、ピアノを巡る日常を3部作でお送りします。慧音先生の登場で次はどうなることでしょうか。それではまた次回まで。

2013/07/29

後書き 雨の日の午後

とともシリーズ第30弾、「雨の日の午後」をお送りしました。

「ととも」もかれこれ30作目なんですねぇ。なんとも感慨深いものがあります。シリーズは長編をやっているときは中断してますから、あまり節目というものを意識していませんでしたが、ずいぶんと続いていますね。


さて、雨の日の午後ですが、紅魔館の日常です。美鈴が門にたっていないのは雨だからです。まぁ、のんびりとした幻想郷ですから、わざわざ雨の日に訪れる客もほとんどないということで立たなくていいだろうと考えています。もっとも、美鈴は外の気配を気にしているのは間違いないと思いますけどね。図書館でそのような発言をしたのは、口実でもありますし、実際もそういう風に感じたのだと思います。

で、おそらくもっとも謎な物体は「パチュリー謹製・除湿乾燥機」という存在でしょう。なんの説明もなく登場させましたので軽く説明すると、「火の精霊を閉じこめた、乾いた風を送る装置」みたいなものです。というよりも、それ以上の設定を考えていません。だれにでも扱える魔法の機械というところですね。中の精霊の調子がおかしくなったので、乾燥機としての調子もおかしい、そういった事件でした。外見をもっとおどろおどろしい魔法の壺のようにしても良かったかもしれませんね。

この話は私の雨好きからスタートしています。私は細い糸がたれるような、静かな雨が好きです。薄日がさしたりすると気分がやわらぎます。最近は豪雨か猛暑か、そんな両極端な天気が多いですし、空梅雨かと思ったら、土砂災害が起こったりしますね。もしかすると、やわらかな梅雨空というのはもはや・・・。ま、冗談はさておき、そんな雨を描きたかったのでした。美鈴がそのような旨を述べてますね、あれは私です。淡い緑の若葉に霧のような低い雲がかかるのが好きでして、ちょっとそんな風景も描いてみました。

ちなみに最後、咲夜さんが口ずさんでいるのは、柴田淳の「なんかいいことないかな」です、良い歌ですよ。


季節は夏になりましたが、梅雨のお話をお届けしました。
また次回。

2013/06/29

後書き 天子、神社へ行く


どうも、李花尺です。
先週はすいませんでした。作品作りに夢中だったものでして・・・
そのおかげで(?)ニコ童祭に間に合いましたね。といってもいつもの通りの作品ですが。


さて、後書き。
今回はこれと言ってテーマはありません。強いて言うならば、「普通の日常の中に幸せがあるのかもしれない」ということでしょうか。後は一度比那名居天子を描いてみたかったので、彼女に登場して頂きました。

天子は描いていてずいぶんと可愛らしいなぁと思いました。私は「達観した」美人や、「純粋で無垢な」妖精を描くことが多いですから、天子はずいぶんと「人間くさい」面が強く出ていると思います(それでもまだまだえぐみはないですけど)。彼女ぐらいの性格が親しみやすいかもしれませんね。みんな、淡泊すぎるのかもしれません・・・。描いている人が淡泊な感じなので、仕方がありませんが。

描いていて感じたことは、「また性懲りもなく日常を描いてるな、こいつ」ということです。まったく、縁側とそれにつながる六畳ぐらいの部屋と土間がある家がどれだけ好きなんでしょうね。自分でも笑っちゃいます。でも、こんな普通の会話が描いていて楽しいんですよね。先にも述べましたが、こういうなんでもない日常の中に幸せがある、と私はぼんやり思います。

なんとなく寂しい雰囲気で終わりましたが、でも賑やかな人が去った後っていうのは、あんなものでしょう。別にそれほど深刻な事ではないと思います。「やれやれ」と思う反面、ちょっと寂しい、そんな小さな感傷が霊夢にあったのだと思います。


さて、次は雨を題材にした物語でも作ろうかな・・・と考えています。「東方百人一首劇」というシリーズもそろそろ始めたいなとも思っているところです。ですが、そろそろ現実世界が忙しくなってきたので、もう少し作成頻度が下がると思われますので、そのあたり、気長に待って頂けたらなぁと思います。

2013/06/02

色の名前 4 【後書き】

まずはちょっとした連絡。
現在、コメント欄の解放の仕方について試行錯誤が続いております。これまで特にコメントを残す事に制限はありませんでしたが、すこしスパムらしきコメントが増えたので、少し前から、文字認識と管理者による承認をコメント表示のために必要なステップとしました。が、管理者による承認は結構面倒くさい(主に私が、ですが)ので、現在、管理者による承認は必要なくなっています(文字認識は必要です)。どこに落ち着くかわかりませんが、また様子を見ます。右カラムの「コメントを残される方へ」というところに最新の状況を記しておりますので、コメントを残される際に確認してくださると助かります。


さてさて、色の名前が着陸しました。
リメイク+拡張版でお送りしました本シリーズですが、まぁ、連想ゲームみたいなものです。「色」という言葉からいろんな物語を紡いでみた、そういったものです。

 「色」という言葉は本当にいろんなところで使われていますね。今回は触れませんでしたが、素粒子学の世界でも色をつかって表現する事があったように思いますが、さすがにそれは私の理解を超えるので扱っていません。四話でも「十人十色」という表現を使いましたが、人のもつ性質の違い、これも色という言葉で表す事がありますね。
 遠い記憶に、エスキモーは雪に関する言葉が豊富なんだというものがあります。これは彼らに限った事ではないですが、必要であれば、人間の外界を認識する力というのは結構鋭敏になるみたいですね。数マイクロメートル(記憶が怪しい)の凹凸を見分ける事ができる町工場のおじさんとかもいらっしゃるとか。それはもちろん色に関してもそうだと思います。そんな事を妹紅には述べてもらいました。実際のところ、どうなのでしょうね。今の季節、竹林にとっての秋を迎え、彼らはずいぶんと老いた色合いをしています。そのうち、さめるような若々しい緑の竹をみる事ができるでしょう。梅雨の時期が楽しみですね。私はそれ以上の竹の色合いを認識できませんが、きっとそこで暮らしてゆけば、なにかしら見えてくる事もあるのだろうなぁと思います。ミスチーは音で対抗していますが、果たしてどうでしょう?乾いているか、しけているか、のほうが竹の状態より大きな要素になりそうですけどね。
 藍はちょっと調子に乗ってしまいまして、いたく妖艶な感じとなりました。まぁ、そんな夜もあるでしょうよ・・・ということで、許しておうせ。いや、傾城の九尾なんで・・・、はい。
 まぁ、冗談はさておき、割と藍と紫の抽象的な会話は好きだったりします。紫が最後、一日とて同じ日はない、と言っていますが、それはそれで大変な事だと思います。「巡るは季節」の紫、あるいは「朱と蒼」の永琳などはそうですが、長い長い一続きの歴史を生きるというのは大変な事なのだと思います。藍はそういう紫を尊敬していますが、それがすばらしい事とは限らない事を紫は霊夢(とそのうまれかわり)と、永琳は輝夜と接する事で感じていると思います。だから紫と永琳はかなり似ていると思います。お茶会したら盛り上がるかもしれませんね。

私たちは同じ様な日を繰り返し、そして感性を鈍らせ、「一年が早くなった」とぼやきます。でもそんな事はなくて、その日の天気、そして自分のおかれている状況、気分によって空の色(例えば夕日が顕著だと思います)は、毎日違って見えるのではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています。


さて、これにてリメイク版を終わります。いかがだったでしょうか?つぎはニコ童祭に間に合えば良いなぁ・・・と考えていますが、こればっかりはどうでしょうね。

2013/05/03

色の名前 03 【後書き】

第3話が投稿できました。4月中には完成しませんでしたが、おおむね一ヶ月ちょっとで投稿できましたね。作中の前半部分はいろんな登場人物が出てきて結構作画に手間取ったので仕方がない・・・と言う事にしておきましょう。


さて、本シリーズはリメイクですが、本作から単なるリメイクではなくて、前回はほとんど描いていない部分を描いています。前作ではおまけでちょっとだけ触れた部分ですね。本シリーズはもうあと一話続きますので、よろしくお願いします。本作は説教臭くならないように注意しましたが、どうしてもその香りを防ぐ事はできないものです。ですが、学校という事で臭いのは当然という状況をつくったことでごまかせたかな、と思っています。


で、今回初めて慧音先生と寺子屋を描きました。作中にありますように他の妖精たちも寺子屋に来ています。私の中で寺子屋は「里」の外れにあって平日は人間の子供を教えて、休日は妖怪や妖精を教えている、そんな施設です。妖怪・妖精向けの講義は一年間を通じたカリキュラムが設定されている訳ではなくて、その日やってきた者達にあわせて講義をする、といった方法をとっていると思っています。これは妖精や妖怪は気まぐれですから、毎回くるとは限らないと考えるからです。ちなみに今回の講義内容は源氏物語 須磨の章ですが、和歌は板書しやすいな、と思ったからで特に意味はありません。
 慧音先生は基本的に冷静で温和な印象を受けますね。ちょっとたれ目というか、眠そうな顔をしています。特技はほめ殺しかも。久々に髪の長い人物を描いたかも。そういえば藍様もしっかりしゃべったのは初めてですね。藍様はお狐さまということで糸目でもう少し面長な印象をなのですが、ちょいと妥協。わりあい首は長い感じですね。しっぽはふかふかに描けたかも。

空色がいつの空の色なのか?これは台本を書いているときにふと思いついた疑問です。後になってよく考えてみるといろんな色の名前はある「もの」の名前を冠している事が多いですよね。でも桜はみんな同じ「桜色」の花を咲かせているかと言われると違います。まして「空色」というのはなんなんだ、というのはこれまで気にした事はなかったですが、あらためて本作を作っている最中に気づかされました。で、その答えが絵の具なのですが、これもどうして空色をあの抜けるような青にしたのかなぁと考えながら台本を書いている中で、ふと思い浮かんだ解です。これが正しいかどうかは私は知りませんが、すぐに思い浮かんだ割にはあながち悪い答えでもないかなぁ・・・と思います。ヒトが青い顔料を手に入れて、それを自然界に当てはめ直したときに「あぁ、抜けるような青い空の色。これは空色だ」となり、そしてそこからもう一度、「この絵の具のような青こそが空の色である」と再定義されたとしてもありではなかろうか・・・と思うのです。多分、同じような事はだれかがすでに述べているでしょうけどね。



 
   ともかくも、空は今日も青いです。



ということで(?)、後書きにかえたいと思います。後もう少し、このシリーズにおつきあいくださいませ。

2013/03/10

【後書き】色の名前 の続き

さて、リメイク版の 色の名前(続編)をお送りしました。


 今回、もっとも悩んだのは、「BGMをどうするか」でした。過去のエントリーをご覧になった方は覚えていらっしゃるかもしれませんが、本当はパブリックドメインやニコニコモンズの作品をミスティアに歌ってもらう予定でした。ですが、どうしても適当なものが見つかりません。もちろん、私が探した範囲というのはごく限られたものでしかないので、パブリックドメインやコモンズが充実していないということではありません。ですが、リメイクということで特定の「雰囲気;色」を感じさせる歌声というの求めると、どうしても難しい。あらかじめ音源を準備しておいて、それにあわせてお話を再構築する、という手もあったのでしょうが、そこまでは当初、頭が回らなかったのです(ま、なんとか見つかるだろう、とたかをくくっていました)。そして、実際にリメイク版の作画を終えて、動画を編集するにあたり、ともかく、ミスチーの歌うパート以外の BGMを先に設定したところ、ずいぶんとはまりました。流れとして、むりやりミスチーに歌わせるよりも、このままミスチーの歌声を想像してもらうのも悪くないな・・・と思い、前回とは異なり、今回はミスティアの多様な歌声はほぼ省略されています。

 と、まぁ、作成過程はこんな感じでした。リメイクとしては一応これで「色の話」は完成を見た訳ですが、せっかくですから、もうしばらく色の話は続きます。飛んでいったチルノが里で起こしたこと、ミスティアが今回二人に出会ったこと、この二つが絡み合って色、というものの性質や、それを感じることの幸せや優しさ、というものを描いていく予定です(・・・が、その台本が以前に藻くずと化したので、これからまた再構築です)。少しばかり気長にお待ちください。


 蛇足。色の名前をリメイクするにあたって、前回・今回と大和言葉での色の名前をいくつかあげました。私自身、そういった素養がある訳ではなくて、参考資料があります。「百羽鶴」という百枚の折り紙が閉じられた本で、その折り紙百枚がそれぞれ違う色・違う柄で構成されているものです。ぱらぱらとめくるだけで、ずいぶんと楽しめましています。そしてぱらぱらとめくっていって、適当な色、そして「音」がいい色を台詞として採用しました。せっかく買ったのですが鶴を折るのがもったいなくて、未だに色見本の本として利用しています。あんまり折り紙が得意ではないので・・・。

 ちょっと投稿後、たてこんでおりまして、いつもなら、twitterでもなるべくリプライを返すようにしているのですが、今回は無視という形になりましたし、後書きも遅れて申し訳ありませんでした、許してね。今週は投稿して後書きも書いたということで、ちょっと前から続けている週一更新の「私の好きな東方手書き」シリーズはお休みということで。では、また来週。

2013/01/19

【後書き】色の名前

あけましておめでとうございます。李花尺です。


さて、「色の名前」のリメイク版をお送りしました。リメイクなんてしていると、ネタがつきたように思われそうで、ちょっとだけ癪なのですが、まぁ、これからもやりたいことをやるだけですので、特に気にしません。で、せっかくリメイクするので少し話を増して全3−4話でお送りする予定です。気長にお待ちください。

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リメイクするにあたって、風景をより冬らしく描くことを心がけました。また、動画が進むにつれて雪が少なくなっていくことに気づいた方もいらっしゃるでしょう。これはレティが人里離れた山奥に普段はいて、散歩がてら山を川沿いに降りていったためです。

そんな劇的にかわるのか?

けっこう変わりますよ。雪の量は小高い山の中にはまだたくさんあるけれど平地にくるとほとんどない、なんてことはよくある話です。私はこれでもちょっとした雪国育ちですので、雪の量が劇的に変化するのは実体験に基づいていたりします・・・たぶん。

後、以前の作品とリメイク版ではニトリとのやり取りが少し違います。以前はニトリが水の中からにゅっと顔を出すのですが、リメイク版では釣りをしているところに二人がやってくる場面に変わっています。これは、ニトリといえばなにげなしに釣りをするという印象が強くなってきたためです。ですから、ニトリはよりニトリらしくなったと思っています。ついでにいえば、翡翠の話題をしているところにニトリが水の中から出てくるのも都合が良すぎると感じたので、より自然な時間の流れを模索した結果、こうなりました。

小傘はかなり大人びた印象がより強くなりました。これで「うらめしや」とかやるのだろうか?それはそれで可愛らしいですね。・・・小傘との会話はそれほどいじっていません。青色というのは、人を落ち着かせる作用があるとかないとか、青い街灯にすると犯罪が減るとかなんとか、噂を聞いたことがあります。そういった「青色」に対するごく普通の印象を小傘には代表してもらいました。

レティに関してですが、前作からの違いはネックレスをしている所でしょう。このネックレスは、「霧の大河」でチルノがくれたガラス玉です。作中、ネックレスに加工されているのに気づいていらっしゃる方がいてうれしかったので、せっかくなので、つけてもらいました。レティは母性性あふれる存在ですが、どこか冷たい感じがする、そんな風に描けたらいいなぁと思っています。

ずいぶんとおしゃれになったのが、幽香ですね。以前、妖怪は着た切り雀のものとカジュアルなものに二分できるという話をしましたが、幽香はどちらかといえば、後者に属する印象が強いです。すでに「文の取材」でも作業着を着てますし、シャツの種類も豊富ですしね。前作ではごく普通の格好をしていたのですが、リメイク版ではしっかりと冬仕様になっております。

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さて、背景を丁寧に描いていくとどうしても時間がかかります。投稿間隔はなかなかこれまでと同じという訳にはいきませんが、今年も李花尺をよろしくお願いいたします。

2012/11/25

姫海棠はたての気になる写真【後書き】


さて、中途半端な物語となりました。この物語を造るきっかけになったのは、文の取材の第6話が権利者削除をくらいまして、それがはたて登場回だったためです。で、せっかくだからはたてを中心にした物語を作りました。

文の取材がだいたい初夏から夏にかけての話で、その番外編としてその秋の話があります。今回の話はその次の年ぐらいの夏の話だと思って貰えば結構かな・・・と思います。動画の最後にも一文書きましたように、何故か天狗の話はどんどん繋がって、発散して、いっこうにまとまる気配がありません。困ったものです・・・。

動画の最後、はたては何を思いついたのか。ちょっとだけ触れておこうと思います。

はたては最近になって念写で引っかかってくる綺麗な花の写真のほとんどは文によるものだと考えた。・・・その一部は文の新聞にコラムとして掲載されているが、そのほとんどは眠っているようだ(・・・実はアルバムを作って幽香に渡して居ますし、それは幽香がレティに見せに行っていますね;拙作「冬に咲く夏の思い出」参照)。ということは、文はどういうつもりか知らないが、花には興味を持っているくせに、いまいち素直になれていないようだ。つまり、文がすでに使った写真をのぞいて、それを中心に幻想郷の四季とでも題して新聞を作っても、文は面と向かって私に文句を言ってこないだろう。文はなんとも微妙に恥ずかしい気分になるに違いない。これは面白い。・・・それにせっかくの写真を眠らせておくのももったいない。

というようなことです。素直じゃない悪い子ですね。
もちろん、これには当然、花を紹介した幽香もかんでくるでしょうし、あるいは念写に文の写真じゃないものが混じってきて、じゃ、これはなんだ・・・みたいな話に持って行くのも面白いでしょうし・・・と、物語がどんどん繋がっていってしまったのが現状です。・・・が、動画にするのも面倒なのです。

文の取材もそうですが、延々と続いていく日常が湧いてくるのは、おそらく、天狗が人間くさいためではないかなぁ、と思っています。私は多くの妖怪や神様を「美しいモノ」「完全性の高いモノ」として捉えています。それそのもので完結しているので、必ずしも他者との関わりを必要とせず、感情の起伏も少ない(だからこそ、小さな事が大切なのかもしれませんし、関わりそのものが大きな物語になるのかもしれません)。そういった存在とは違って、社会性のある天狗は他者との関わりをもつが故に、人間くさく、次から次へと関係性を構築していくのがごく自然なこととして起こるのだと思います。

椛とニトリの立ち位置ですが、なんというか、この2人もずるいですよね。文とはたての関係をにやにやしながら2人で見ているという。でも一番面白いかもしれない。ニトリは機械いじりが好きですし、椛は千里眼をつかって山を守る(あんまり作品として描いたこと無いですが)という自己がありますから、2人に対して嫉妬をする必要もないので、きっと思う存分にやにや出来るのだと思います、悪友ですね。


2012/09/08

【後書き】ととも 文の散歩

久々の投稿となりました。
ご視聴&拙ブログにお越し頂きありがとうございます。

さて、今回は「ととも」シリーズという事ですが、「文の取材」番外編・冬でもあります。どちらのシリーズに組み込むか悩んだのですが、番外編・秋がシリーズで起きた事をしっかりと踏襲しているのに対し、こちらは単に季節が冬になっただけで、シリーズとの明瞭なつながりがなかったので、「ととも」シリーズに組み込む事にしました。

ヤマメさんは台詞入りで登場したのは今回が初めてだと思います。地底に入ったらまずヤマメさんに会うことになるだろうな、と思ったのは理由があります。彼女は地底と地上をつなぐ主要な通路に細い蜘蛛の糸を張っており、誰かが通るのを監視しているだろうと思っているからです。ちなみに射命丸もそのトラップに自分が引っかかったことに気付いていたので、彼女が急におりてきてもそれほど驚いていません。が、こいしは無意識を操っているので、彼女が文に声をかけた時、射命丸は完全にふいを突かれた形になっていますので、かなり驚いています。

古明地こいしは一度描いていますが、今回は前回「ととも」で描いたこいしと関連づけた描写はしていません。今回はあくまで、無意識を操る妖怪として、つかみ所の無い様を描いたつもりです。こいしは最後、射命丸の視界から消えてしまい、せっかくなので、地上を散策することにしたようです。

最後、青空を描きました。白く雪のつもった山を手前においた青空は濃いように感じます。私は冬の青空はどちらかといえば、淡い、抜けるような青のイメージが強いのですが、この場合は別です。冬の山は天気が変わりやすいですから、なかなか綺麗な青空と白い山の組み合わせは拝むことができませんが、いいものですね。ちょっと、そんな事に共感して頂けたらと思います。


10月になれば、二周年です(はやいものです)。
が、次はなにも考えていません。

2012/07/01

【後書き】巡るは季節 第6話



さて、6話になり、舞台は現代に移りました。わかりにくいことに、拙作、とともシリーズ「霊夢、夢の後」の後が舞台になっています。霊夢の置かれている状況は「夢の後」とthe last incident シリーズをご覧になって頂けるとうれしいです。脚本を作る段階で、余計な前知識が必要なこのストーリーは許されるのか?と思ったりもしたのですが、まぁ、自分の好きなようにすればいいやと開き直っております。ごめんなさい。・・・ということで、霊夢は霊夢ですが、博麗の巫女ではありません。ややこしや。


霊夢は霊力をうしなって、静かに、人里離れた山の中で暮らしています。たまに、魔理沙や、紫(生活に必要なものを運んでくる)が遊びに来ます。そして、霊力を失った今、妖怪の気配、そんざいそのものに対して抵抗するすべを基本的に持ちません、普通の人間ですからね。ですので、「疲れた」と発言しています。ちなみにそのシーンで霊夢が持っていたのは山菜のあく抜きをしている鍋です。

なぜ、霊夢はほくろを増やしたのか?それは、ただ、ほくろという特徴に縛られているそのばかばかしさを伝えたかったのだとおもいます。確かに霊夢は初代巫女・明治巫女に似ています。が、違う人間であることは間違いのないことです。親戚のおばあちゃんに「だれそれと似てるね」と言われてなんとなくむっとした経験を、皆様お持ちだと思いますが、それに近いのだと思います。

途中、初代巫女と明治巫女の顔が2つずつ出てきますが、あれは喜怒哀楽をそれぞれ表していまして(左上から時計回りに、哀喜怒楽)、ようするところ、自分の感情に素直であった、自由だったことを表したかったのです。ちなみに、右上の「喜」の表情はわりかし巧く描けたと思っています。

ちなみに3人の巫女に共通する紫に対する言葉に「可愛い」があります。初代巫女は紫の印象を語る言葉として、明治巫女はちょっとしたからかいの言葉として、霊夢は発見の言葉としてそれぞれ「可愛い」を使っています。あとは「妖怪ってそんなものよ」という発言は拙作「文の取材」の最終話で霊夢が口にしています。人はそれぞれ違うのですが、繰り返しが知らず知らず発生している。そして霊夢の中でも時は一方向にしか流れていないのですが、ふと、繰り返しが起こっています。


さて、霊夢は紫をどうおもっているのか?それはまた、次回ということで。そして、次回で「巡るは季節」は最終回です。もうしばらくお待ちくださいませ。

2012/05/13

【後書き】巡るは季節−4 【補足】

4話の動画の中で、紫、幽々子が初代巫女(巫女の呼称については前の投稿を参照してください)が居た時代を500年前と表現していますが、400年前の間違いです。

どういう事かと言いますと、

初代巫女(1−3話);戦国時代;1500年ごろ
明治巫女(4話);明治時代;1900年ごろ
霊夢(まだ登場してない);現代:2000年以降

となりまして、ざっくりと、現代から見て、初代は500年前、明治は100年前です。そして明治から見て初代は400年前、となります。

要する所、引き算間違えました。ごめんなさい。

2012/05/12

【後書き】巡るは季節-4

さて、4話が投稿されました。


時代は3話から下りまして、明治です。作中では明言していませんが、明治維新かなぁと印象づけるような言葉や、場面を挿入したつもりです。たとえば、作中では長野・開智学校や、大阪紡績会社の機械制紡績工場をモデルにしたシーンが出てきます。
作中で計画されている結界とは「博麗大結界」のことです。まだ、完成はしていないようですね。はてさて、どうなることでしょう。それは次回のお楽しみという事で。


3話までに登場した巫女は、博麗神社にとって最初(=初代)の巫女ではない設定なのですが(1話の村人の会話からそのことは分かります)、「幻想郷」という結界によっていわば隔離された世界になってからは初めての巫女なので、面倒ですから以降、初代巫女と呼びます。ついでに、4話から登場する巫女を「明治巫女」と名付けておきましょう。ややこしや。


紫が明治巫女の事をどう思っているのか?なかなか難しい問題です。今の所、紫は明治巫女に対して、「貴女は初代巫女のうまれかわりかもしれない」という話はしていません。話した所で、「あ、そ」で済まされる事が怖いのかもしれません。巫女の輪廻(巡り合わせ)に囚われているのは、紫であって、巫女そのものではないからです。明治巫女は初代巫女の記憶を引き継いではいません(おそらく)。紫としても、恋する人の向こうにだれかの影を重ねたくはないと思っています(保守的な観念かもしれませんが)。でも、明治巫女に対する恋のきっかけとなったのは、間違いなく初代巫女の面影(ほくろ、性格、能力)であって、その共通点の多さから、重ねたくなくとも、重なってしまうので、紫としてもつらいでしょう。その気持ちは一部、幽々子に吐露しています。・・・もしかしたら、そういう葛藤を含めて、400年ぶり(現代から見て、初代巫女が500年前の人、明治巫女が100年前の人なので)のことですから、実は、葛藤や恋心そのものを楽しんでいる自分が紫の中にいるのかもしれません。

初代巫女と明治巫女の違いですが、実は髪の毛の色が若干違います。初代は青みがかった色、明治は赤みがかった色をしています。本当は顔立ちで描き分ける事も出来たら良いのですが、そこまでの技術は今の所無いので・・・。


さて、明治まで時代が下り、紫は再び、ほくろをもつ巫女に出会いました。紫は今の所、表面上は平静を保っていますが、どうなることでしょうね。そのあたり、また次作で描けたらと思います。


以下、3話のコメントについて

02:18 >つるっぱげしかいないw
すいません。遠くのモブを描くときは面倒なので、髪の毛を省略したのです。彼らも近くで見るとはげてないです。ちなみに、3話の大工さん達は全員つるっぱげです。問題のシーンも画面右側は大工さん達なので、つるっぱげでいいのですが、左側は村人達なのではげてないです。

03:53 >司馬遼太郎ktkr など
「坂の上の雲」という言葉がたくさんの反応を呼びまして、びっくりしました。NHK効果でしょうか。司馬遼太郎の坂の上の雲は私が高校のときに読んだ本でしたが、同級生とかの知名度は低かったのですが・・・。面白いので、一読をお勧めしますが、なにせ文庫で8巻ですから、分量が多いですね。ちなみに、「坂の上の雲」という単語は次の物語が「明治」を舞台としていることを暗示させたくて使いました。

08:17 >紫の冬眠って、これから始まったんじゃね?雪を見たくないから。
初代の幕引きを考えるにあたって、冬を選んだのは、本当の所、なんとなくなので、そこまで考えて、冬を選んだ訳ではありません。ですが、紫が部屋に閉じこもっているシーンを描いている時、同じようなことを考えていたりしました。ちなみに、私は紫の「冬眠」というのは単に冬は寝る時間が長い、程度に考えているので、本格的な冬眠は想定していません。


では、さっそく第5話の制作に取りかかります。それではまた、次回。5月中に投稿できたら良いですね。

2012/04/14

巡るは季節-3 【後書き】

さてさて、第3話まできました。これにて「巡るは季節」は一つの区切りを迎えることになります。

 3話ではあえて、どれだけの時間が経ったのかをあやふやにしました。最初の紫との会話は第2話からの続きです。そして、紫とスイカとの会話は、「女」と紫が別れて数日後の話です。その後、老人が女を紹介しているような絵と、何かを建てている絵と「女」が驚いている絵、そして博麗神社と小さな家が写った絵が連続してなんの説明もなく続きます。これはどういうことかといいますと、「女」が里の人間に「〜この地は各地の妖怪が集まる結界が神社に仕掛けられており、それを壊すとどうなるか分からない。しばらくは妖怪がたくさんやってくることは避けられないが、私のような妖怪を退治することが出来る人間もこの地に引き寄せられるから、心配はいらない。博麗神社は結界の依り代になっているから、あそこに巫女を復活させることで安定するだろう。ここに来たのもなにかの縁だから、私が神社に住むことを許してくれないか〜」ぐらいに説明して、妖怪に困っている幻想郷の人間は「女」が非常に物腰も柔らかだし、腕も確かなので、歓迎した。そして博麗神社は簡単な社が残っているのみだったので、新しく巫女のための家を建てた。思った以上に立派だったので、驚いた。そしてそこには「女」と、それに会いに来る紫がいる・・・という感じです。「女」が幻想郷に流れてきたのは6月ぐらいで、第3話の作中で、博麗神社の社務所ができたのが7月ぐらい。そして、秋になって、冬が訪れて・・・という流れでした。いわば、1−3話はおよそ半年の間の出来事です。

 さて、今回は大胆な裸体の描写を行ったわけですが、それなりに意味があったので描きました(おいおい分かってくると思います)。もちろん、愛するためにお互いが直に接するというのは、別段不思議なことではないと思うので(それがヘテロでもホモでも)、物語の流れ上、ああいった描写があってもいいんじゃないでしょうか。ただ正直なところ、描くのは疲れました・・・。

 ちなみに、「女」は一度も紫に感謝の言葉を口にしてませんし、愛の言葉もささやいていません(紫を許してはいますが)。彼女は紫に依存してはいないのです。それを注意して描いたつもりです。どこか超然とした印象を与える存在として描きました。

 彼女はその冬、神社から里に行く途中に雪崩に巻き込まれました。冬になって、紫も雪崩を心配したでしょうが、彼女がスキマを使うのは、紫との「約束事」を果たすときだけで、人間としての生活においては彼女はスキマの利用を拒否していた、という見えない設定がありまして、このため、彼女は不運にも雪崩によって命を落とすことになります。
 紫を心配して萃香が紫の家を訪れていますが、紫はどのような状態にあったのか、私は描くことが出来ませんでした。きっと、自分を責めていたのだと思います。妖怪ですから、物理的な責め苦はそれほど意味がないでしょうが、自身も氷付けになっていたのではないでしょうか。紫は、感情を取り戻したのだと思います。そして、それはきっと大切な意味を持っているのです。その辺りも、今後、描いていくつもりです。


さて、「巡るは季節」の第一部は甘く美しい幻想郷の始まりの終焉を以て幕を閉じます。第二部をお待ち下さい。

2012/03/25

巡るは季節 その2 【後書き】

さてさて、第二話が投稿されました。
第一話がおかげさまでカテゴリーランキング(東方)の一位を記録しました。現在、4万再生、1.5kマイリストと、これまでになくたくさんの人に見て貰うことが出来ました。この場を借りて感謝申し上げます。できれば、これからもよろしくお願いします。

しかし、まだまだ物語は序盤なので、後書きに書くことが少ないです。とりあえずは、私なりの「幻と実体の境界」という結界についての解釈について。

今からおよそ500年前に、八雲紫によって、幻と実体の境界」という結界が博麗神社を境界として作成された。これによって、人々が忘れたもの、信じなくなったものが、結界の内側に引き寄せられるようになった。一話で、彼女(流れてきた巫女風の女)が「閉じている」と感じたのはこの結界の存在のためですね。
 で、八雲紫の予想通り、この地へ数多の妖怪を集めることに成功はしたものの、第一話で谷が荒らされたように、増加した妖怪に対して、人間は以前に比べたら弱くなっていたため、力の均衡が崩れました。この地(幻想郷)は里(=市、一つ、人が多い)・谷(複数、人が少ない)から構成されており、一話で襲われていたのは辺境の谷です。一話で里がおされている、という発言がありましたが、これは八雲紫によって、妖怪側も安易に襲わないように圧力をかけているためですが、「人が喰いてぇ!」といった具合に、単純な(たいていは弱い)妖怪がどうしても押し寄せているのを、里にいる妖怪退治の心得をもった人間(谷よりは力もあるし、多い)がなんとか防いでいるということを表しています。
 八雲紫の予想では、人間側にも、彼女がそうであるように、妖怪退治の力を持った(実体の世界では信じられない力を持った)人間が集まるはずでした。しかし、思惑がはずれていた、ということです。紫が「ためす」というのは均衡を元に戻す力があるかどうかを試すということで、そして彼女はその力を(十分すぎるほどに)もっていたのでした。妖怪退治の心得を多少は持っている里の人間からはすでに大きな信頼を得ていることは、彼らが彼女のことを心配している描写で描いたつもりです。


わかりにくいところがあれば、ブログのコメント欄でも、動画のコメントででも書いて頂ければ、説明していくつもりなので、お気軽にどうぞ。


さて、書くことがつきたので、動画1話のコメントにでも返信をば。

多かったのが、これは何時の話だ?というコメント。

これは現代からおよそ500年前(西暦1500年前後)のお話です。
いずれも、私の解釈が入ってますので、原作とは違う部分があります。ご了承下さい。
動画内で石碑が出てきますが、あれには「封 天暦元年」と書かれています。あれでなにが言いたかったかというと、そのころ(西暦943年)にはすでに幻想郷のある土地に人間が妖怪退治を行っていたということです。平安末期には今の長野の山奥に人が来て、妖怪退治を行っていた。そして第一話で里の長が話したように、妖怪退治を生業としてきたが、それが徐々に廃れて500年が経ち、戦国の世になったのがこの物語の時代です。八雲紫とか古株の妖怪達は平安やそれ以前から、その地に居る妖怪と解釈しました。

この女は何者なんだ?というコメント

少なくとも博麗神社の初代の巫女でも霊夢からみて先代の巫女でもありません。作中での「以前は巫女をたてていた」という発言があるように、博麗神社はこの物語ではすたれているものの、すでに存在し、巫女も居ました。ので、初代ではありません。また、今からおよそ500年前の「幻と実体の境界」が完成して数年後の話なので、霊夢の先代でもありません。

「あまり昔だと月代剃る風習なかったはずだが」etc...

しりませんでした。時代としては戦国なので、織田信長を筆頭に日本史の肖像画をなんとなく思い出すと、綺麗に剃っていたと記憶していたので、剃らせました。皆さん、お詳しいですね。次から急に髪の毛が生えても気味が悪いので、今回は統一します。許してください。

背景に関するコメント

お褒め頂き、ありがとうございます。ただ、いくつか指摘がありましたけど、丁寧に描いているわけではないです。木とか山とかかなりいい加減ですよ。東方手書き界隈ではあまり背景を描く作者さんがすくないのか、背景を描くことで、ずいぶんと得をさせてもらっています(?)。




物語はまだまだ序盤です。これから面白くなっていく予定ですので、もうしばらくおつきあい頂けたらと思います。

2012/02/23

【後書き】アリスと上海人形

さて、今回は上海人形の出自についてちょっと考えてみました。

アリスは自律人形の作成に興味があり、アリス自身はまだ完全な自律人形を作ることができないけれど、上海だけは特別な存在である、というような設定を前から私は採用していたのですが、では上海とはいったい何者だろうか?と考えたときに、だれかから貰ったんじゃないかと思った訳です。そしてそれは母である神綺様であろうと考えました。
 アリスの出自そのものも詳細に描いていけば面白いと思うのですが、今回は割愛。神綺のそばにいるためにうける特別扱いに対する不満と、特別扱いされることから自然とプライドが高くなり、やっぱり自分から友達を見つけるのではなく、自分で作ろうとする傲慢さ(これは神である神綺のそばにいる影響もあるでしょう)、これらのことは本作でもふれたのですが、ちょっと消化不良かな・・・。
 
 人形と魂の話が出てきますが、魂って結局、魂を持った者がそれを分け与えることで魂をもたない「なにか」に移るんじゃないかなぁと思うのです。それは神綺様の言葉で言い表せば「愛」ということなのでしょう。神様である神綺は無限に大きな魂を持つために世界を作る事が出来たのだと思います。ということで神綺様はいたく母性が強い存在として描きました。




ちょっと今回はいろいろ広げられそうで広げにくいアイディアを詰め込んだ感が強いですが、楽しんで頂けたら幸いです。