彼岸花が咲き誇っているのを見て、衝動的に作りたくなった作品です。
以前、ツイッター上で白玉楼の二人をいつか題材にとりたいなぁとつぶやいたところ、秋という夏の生命感が衰えていく季節は「死」を操る幽々子と相性が良いのではないか、というアドバイスというか、コメントを頂いて、なるほど、秋と白玉楼も良いなぁと思っていたのです。そして先日、彼岸花が咲き誇っているのを見て、「彼岸」という名前から連想される寂しさ、死者との関連性から、ふと、「あぁ、これは白玉楼に似合うな」と思い、ほぼ衝動的に作った次第です。
あとは、そうですね・・・魂というのがどのような形をしているか、私には分かりませんが、およそ白く、そしてその大きさがおよそ生物の大きさというか、精神性の高さによると考えます。虫たちに宿る魂はそれ相応に小さいとすると、秋、ぐっと冷え込んだ朝、川面に立つ霧は、虫たちがその命を終えて消えていくのにふさわしいのではないかなぁと思ったので、それを少し幽々子様にしゃべって頂きました。
死者は静かである、これは私事ですが、私のじいちゃんをおくったとき、やはり死者は静かなのです、あるだけ。大江健三郎の死者の奢りでは「ものである」と表現されていたように思います。ともかく、死者は静かな印象が強いのです。だから冥界は静かなのではないかと勝手に思っています。もちろん、冥界には「死者」として「物」になったものが行くわけではなく、魂がいっているわけで、静かとは限らないかもしれませんね。
衝動的に作ったので、非常に短い作品になっています。次はこれまでとちょっと趣向を変えた作品を考えています。楽しみにして頂けたらこれ幸い。
お久しぶりなのでこちらにコメントをば!
返信削除というより、死のテーマを振ったのは確か自分だったのでコメントしようと思ったのです。そして「死者の奢り」が懐かしかったのでw。解剖用の死体を運ぶアルバイトの話でしたね、確か…。
死者は静かである、という意見はステキですね。そして虫たちの魂は霧のように漂っている、というイメージにもとても納得がいきました。
実は死の話を振ったのは理由があって、私事になりますがかつて病院で働いていたときに様々な人の死を体験し、他の人は”死”に対してどのような意識を持っているか、というのを聞いてみたかったのです。直接聞いてもいいのですが、李さんの場合、物語で見てみたかった。李さんなら物語という形で、死を表現してくれるだろう、と思ったのです。
先にも上げましたが、感想としては、”非常に穏やかで静かである”という印象を受けました。
物語に出てきた川は三途の川でしょうか?そうだとすれば、なんて落ち着いた場所なのだろう、と思いました。川に彼岸花は現世と幽世の境目にありがちなイメージですが、ここまで明るく穏やかなものは初めて見たかもしれません。普通は暗く、淀んでいますから。そしてそこに待っているゆゆ様は優しそうで、どこか安心感すらあります。
長く生きたあのかたも、若くして死んだあの子も、あの彼岸に立てたのなら、と思うと不思議に心が暖かくなります。死を肯定しているわけではありませんが、死も死者も穏やかであってほしいですね…。
自分ごとが長くてすみませんでしたw。そして今回も季節の移り変わりの描写でハッとさせていただきました!仕事などをしているとやはり忘れそうになるのです。
また長文になってしまったw。
それでは新作もお待ちしております!
コメントありがとうございます。
返信削除幽々子様の立っているところでは彼岸花が描かれていますが、妖夢の立っている側では彼岸花は描かれていません。これは幽々子様が立っている場所は秋と夏の境界でもあることを暗示させたかったためです。冥界にもいよいよ秋が訪れ、そして顕界の虫たちが霧となって冥界にやってくるところを迎えに来ているところを意識して描いてみました。
川の描写は明確に三途の川であるとは考えずに描いていました。ただ、上述のように「境界」として捉えてはいましたけど。三途の川のイメージは賽の河原の印象が強いので、私の中でも確かに暗いです。三途の川を描くならばもう少し違う印象の作品になると思います。
実は次の中編(長編?)を制作途中だったりしたのです(だから衝動的だったわけですが)。次は比較的早く投稿することが出来ると思います。
乞うご期待!