2013/08/18

週末雑感


どうも、先週はさぼった李花尺です。

 さてさて、先々週は毒のある話をしました。普段の作品ではあまりそのような風は出ていないでしょうし、拙ブログでもあまり毒のある文章は書いていないつもりでした(初期は別ですが)。なので、意外に思われた方もいらしたかもしれません。ですが、私も普通の人間なので、いらっとすることはありますし、それを表に出してしまうこともあります。本当は孔子のように「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」の境地にいけるとよいのですが、孔子様ですら七十歳までその境地に至らなかった訳ですから、私がその領域に達するわけもありません・・・というのは理由になりませんが。
 自分が考える理想と実際に感じることの齟齬というのはまだまだ私の中にあります。言葉としてでてくる表面はなるべく体裁を整えることはできても、やはり、腹の中では違うことを考えていることはまだまだあります。先日はたまたま(?)それが非常にわかりやすい形で表にでた訳ですね。

 私自身、人間的にはまだまだ感情的になる部分も多いし、修行が足りない部分がたくさん残っていると思っています。ですが、そういった「ゆがみ」こそが作品を作るレンズになっているとも思います。
 透明な、完成された人間は世界をそのまま写し取って、その内側には世界がそのまま投影されてなにか像を結ぶことはないような気がするのです。逆に「歪んだ」レンズを通すことで、その人間には強烈な焦点をもって世界の「一部」を投影するものだと。もっとも、外界に対する怨嗟でレンズが曇ってしまえばその像はさして美しいものにはならなかもしれませんね。
 私がどのようなレンズの性能を持っていて、どう世界を切り取っているかの評価は私の中と世に出てからは違いますし、その間の齟齬は論じても詮無いことです。だからこそ、自分のレンズは曇らないようにしたいし、より磨いて行きたいものですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿