2014/09/27

わたくしごと

暑さも寒さも彼岸まで。すすきの穂が開き始めましたね、李花尺です。

ここでほぼ毎週、「散文」を書いてそれなりに経ちます。この週末雑感では、感覚的な内容を扱うことが多いですから、あまり論理的な文章ではないです。それに話題と次の話題の間にそれほどしっかりした関係性がないことも多々ありますな。また、同じようなことを言い換えて書くことも多いです。多角的なものの表現といえば聞こえがいいかもしれませんが、ものを伝えるという点においては冗長なことですね。

ここで散文を書き続けたためなのか、論理的なしっかりとした文書を書く能力が落ちてしまったように感じるのです。もっとも、今は以前より高度な文章を書く必要が出てきているので、昔のほうが論理的な文章を書く能力が高かったというよりも、成長していないだけかもしれませんけどね。


・・・こういう結局なにが原因なのかはっきりしない文章がいけないのです。でも、そんなのわかりませんよ。

という、愚痴で本日は終わり。

2 件のコメント:

  1.  論理的な文章の書き方本といえば、木下是雄先生の「理科系の作文技術」という名著がありますね。論理的かつ高度な文章とは、すなわち無駄がなく筋が通っていることだと思います。小説に例えれば「これは伏線だな」とすぐに分かるとか、ちゃんと結論が(できれば一番最初に)書かれているとかになります。なんか小説だと面白くなさそうですがw。
     自分も会社などで「報告書では長い文章を書くな」とよく言われますね。おそらく冗長なのでしょう。しかも癖になっているっぽい…。基本的に冗長かつ雰囲気のある文章は好きなので、直しづらいですね…。

     ここまでは社会的な文章能力の話ですが、趣味になると話はやはり違ってきますね。もちろん李さんはこれから仕事などで自身の文章をブラッシュアップしていくでしょう。でもできれば今の語り口も忘れないで欲しいのです。このサイトで箇条書きやわかりやすいテーマなどが出てきたら、多分読者は頭を捻ると思うのでw。どんなイメージを持っているんだ、という話ですがw。

     仕事での文章は「万人」に伝えるものですが、このサイトの文章は李さんの「内面」であってほしいですね。文章の型などではなく、伝える相手が違うだけ、それだけだと思います。

     やはり冗長になってしまいましたw。正直「李さんの文章が好きだ!」で終わることなのですが、なんとなくさびしいのでw。では。

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  2. クズマさん
    中の人は、世界を「記述」する必要があって、李花尺は自分の内面を「表現」することを目指している、この違いでしょうね。最近、それが混線しているので面倒なのです。 私としては内面をさらけ出すほうが楽でいいんですけどね。

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