2014/11/08

宝塚

どうも、李花尺です。


2014年も残すところ2ヶ月ばかりですが、今になって宝塚歌劇団が100周年を迎えたことを知りました。宝塚歌劇といえば、twitterで「不美人の25箇条」のような教訓を目にしたことがあります。それよりも驚いたのは「清く正しく美しく」という標語が宝塚のモットーであることでした。これは100周年を知ったときに一緒に知ったのですが、いやはや宝塚の言葉だったとは。ちょっと宝塚のファンになりそうです。

「清く正しく美しく」。美しさというのは私が描いていきたい大切な題材ですが、そこに、「清く」と「正しく」を加えると、ずいぶんと若々しいですね。海千山千な大人が「正しく」を使うと胡散臭さがでるように思いますが、清さと美しさに挟まれると本来の「正しさ」の意味を取り戻すような気がします。この標語からは高潔で、無垢で、まっすぐに未来を見据える透明な目を持つ、美しい女性を見ることが出来ますな。本当に素晴らしい標語だと思います。宝塚おそるべし。

女性はかくあってしかるべきかな、とは思いますが、それだけでは世の中つまらないのかもしれません。それに、いざ清く正しく美しい女性の前にたったら、私は逃げ出してしうかもしれません。

3 件のコメント:

  1.  正しさとは高潔である、というのは一つの答えかもしれませんね。
     すべての人がかくあれば、「自分が正しい」あるいは「正義である」などという言葉は容易に使えるものではなくなるでしょう。清く美しくあれ、というのは難しいですね。

     自分も高潔すぎる女性はさすがに苦手かもしれません。自分とつりあいませんしね。ですが清く美しくある人を見れば尊敬すると思います。自分の知り合いにも美しくあろうとしている人はいますが、苦悩も深いですし大変だなぁと思いますねw。

     しかし宝塚は歴史が深いですね…。

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  2. 理想が理想として理想足りうるのは、実在し得ないからなのでしょうね、等と思ってしまいます。そういうお方は心底苦手なので…。

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  3. 清く正しく美しくというのは、別に汚れや穢れを知らないというわけではなくて、いろんなことを経験してもその上でなお、「かくあるべし」という心を持つことなのかもしれませんね。白無垢であることと、清く正しく美しくあれというのはまた別なような気がしています。

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