ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015/12/27

白夜行

お久しぶりです。
なかなか筆が進みません。秋の話にしておけば、自分でも期限が守れるだろうと思っていたのですが、一度離れた習慣は…これは以前書いた言い訳ですね。遅々として進みませんが、止まっているわけではございませんので、もう少し気長にまっていただけたらと思います。しかし、私が初めて投稿した頃に比べると、東方手書き劇場もややさみしくなりましたね。。。


さて、白夜行を友人に勧められて読みました。初めての東野圭吾です。本作はドラマ化、映画化されておりますが、どちらも見ていません。また、どうしても物語の核心部分に触れたいので、まだお読みでない方は、以下の感想文はお読みにならないで頂きたいです。

よろしいでしょうか。


まず、私はこの作品をすごいと感じましたが、嫌いです。幼児性愛の被害者である雪穂が終盤、取り入った男やもめの前妻の娘(まだ中学生)をいわば「てなずける」ために、男に襲わせたこと(犯された)が、私の理解を超えたからです。雪穂はすでに触れられてはいけない過去に接近しそうになった女性を二人、高校時代と大学時代に擬似的に性犯罪の犠牲者に仕上げ(二人は犯されてはいない)、彼女達を貶めています。二人は裸にされただけですが、終盤に雪穂は義理の娘を自分と同じ目にあわせているわけです。しかも、犯された義理の娘は単に雪穂に対する漠然とした警戒心をもっているだけです。たしかに、義理の娘の魂を奪うには効果的な方法なのかもしれませんが。
 雪穂が人間を信用しない理由として幼児性愛の被害にあったこと、そして仕方ないとはいえ、殺しという最悪の方法でそこから救ってくれたであろう亮司に大きな恩を感じ、唯一の心を許せる存在であったであろうことは(二人は以前から仲がよかったこともあって)、想像に難くありません。また、その二人が結果的にいろんな罪を犯し続けなければならないことになったことはまぁ、理解しないでもない。雪穂と亮司にとって二人以外はみんな敵であるならば、いずれの犯罪も二人の中では当然のように許されるのかもしれません。が、障害になる可能性のある義理の娘を平然と強姦させる思考をもつ二人の内面を理解できない。二人は歪んだ性愛をもった父親と、娘を売る貧しい思考回路をもった母親の被害者であることはわかります。が、が、です。私は二人を擁護することはできないのです。

二人は白夜の世界を歩き、歩き続けてどこに行くつもりだったのでしょう。二人が吐露した普通の世界へのかすかな憧れは哀れではありますが、私にはこれを悲劇とは思えないのです。

悲劇の皮を被った醜悪ななにか。

ここで私が断定した二人の関係や事件の真相は作中で全て明らかにされたわけではありません。ただ、義理の娘はたしかに犯され、その仕掛けはほぼ、雪穂によるものだと思われる。どんな経歴のある人なら、この所業を肯定できるというのです。

私は薄情な人間なのかもしれません。二人の悲劇性を認めないのですから。認めないというよりも、認めた上で、それ以上に嫌悪感が強いと言ったほうが正確かもしれませんね。

友人にはどうやってこの読後感を伝えようか悩みます。

2015/10/30

オトナ

明日は紅楼夢ですね。
暇があればあの世界を共有する人とお会いしてみたいと思います。

さて、それとは別の話題。

教養と理性と愛情とちょっとしたニヒリズムをもった人になりたいと思うようになりました。そんなオトナになりたいと思います。しかしお酒が入ればすぐに 本性があらわになって、間抜けで、くだらないことに口を開けて笑っている自分がいます(場に合わせるという面も無いわけではないですが)。もし、お酒が入った自分がより本質的な部分であるならば、それはしかたないことなのでしょう。でもそのあられもない、あんまり好きでない自分に、好きな自分の皮をかぶせることは自分を偽ることなのでしょうか。

私がなりたい自分が本音で、お酒の入った自分を建前にしたいものです。

2015/10/18

ご無沙汰しておりました。

どうも、ご無沙汰しておりました、李花尺です。

10月です。
確認したら、今年の1月から更新をやめているのですね。新年の挨拶をして、抱負を述べて、そのままなんの連絡もなく失踪していたので、あまり褒められた態度ではありませんでした。

さてさて、私事ですが、本年度から大きく環境が変わりました。今年の1月、すなわち昨年度末から猛烈に忙しく、ついついほったらかしにして、今に至るわけですが、一度失った習慣を取り戻すのはなかなか大変なものです。

・・・で、ちょっと余裕も出てまいりましたので、ちょこちょこリハビリをしていきたいと思い、まずはこのブログにて報告までを。


ブログのタイトルを更新しましたが、現在、大阪におります。ということで、李花尺亭、大阪店ということで、新装開店してまいりますので、お気づきになられた方は、ご贔屓ほど、よろしくお願いいたします。

では

2015/01/11

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。


思い出せば、1月4日は土曜日で普段ならこのブログを更新する曜日でしたが、新年の連休で曜日感覚がありませんでした、ごめんなさい。・・・さて、言い訳はおいておき、2015年になりましたね。今年もぼちぼちと動画を作っていきたいと思います。

今年は輝針城に登場した妖怪たちを描いてみたいですね。付喪神(のような妖怪)が増えましたから、彼らのなかの交流とかどうなっているのでしょう?草の根妖怪ネットワークなる素敵システムがあるので、これも広げていけるのではないでしょうか。

これからも彼女らについて、ふと感じたことや思ったことを描いていけたらと思います。今年も李花尺をよろしくお願いします。

2014/05/24

初夏の陽気

どうも、部屋の掃除をしてご機嫌な李花尺です

 よい天気なので掃除をしたわけですが、そうやって動き回ると結構暑いもので、今は半袖一枚で過ごしております。初夏の陽気が気持ちいいですね。ただ、風はひんやりとしておりますので、まだ汗ばむほどではありません。そういえば、今年は私の周りのツツジやサツキの花があまり豊かでなかったように思います。そういう年なのでしょう。来年はきれいに咲くといいですね。

 さて、「ピアノのある風景」ですが、いつもよりコメントが多くついていますね。普段はマイリストと同じぐらいのコメントしかつかないのですが。ま、コメントをあまり必要としない動画を作っている自覚は多少はありますけどね。冒頭の「うぽつ」と最後の「乙」のたぐいのコメントの比率が多いのを、動画をそのまま楽しんでもらえたと勝手に解釈しております。
 一方で今作では、幻想郷において、「誰がピアノを弾けるか」、「ピアノの値段はどれくらいが適当か」、という所は意見が分かれるところだと思っているのでコメントも沢山つくのではないかと多少は感じていました。ですので、ちょっと驚いてはいますが、そんなに意外ではないです。作品の構想を練っている段階でリリカ、プリズムリバー三姉妹のことを全く考えなかった訳ではありません。ただ、彼女らは自由な存在であって、「社会」との関連性があまり高くないような気がします。ですので、今回はあえて触れませんでした。霖乃助は「誰も弾けないだろう」という旨の発言をしていますが、あれは基本的には店にやってくる人間と妖怪を念頭においた発言だとすれば、そんなに間違っていないような気もしています。ピアノの値段は適当です。ちなみに単位をあえて書いていないので、正確には全く意味のない数字ですよ。もちろん現在の日本円でちょっと高めの中古ピアノの値段を調べて参考にはしましたけどね。

 私事ですが、制作環境が新しくなりました。ですので、これまでの制作環境の移植やら、ニコ動祭への参加の検討やら、ちょくちょく次作の制作がストップしそうです。その辺り、気長にお待ちくださいませ。

2012/11/27

報告やら予定やらなんやらかんやら

久しぶりに「李花尺について」のページを更新しました。・・・といっても内容がさほど増えたわけではないですが。

主な変更点は、大百科への記事へのリンクと、「巡るは季節」のマイリストへのリンクを足したところです。うん、普通ですね。

あと、ブログでのコメントで、拙作「色の名前」が再生できない不具合があるとの報告を頂きました。これは本格的にリメイク(というよりは再構築)をするエネルギーが溜まってきましたね。さて、どうしたものか。

今後の予定としては、東方百人一首劇というシリーズを始めるつもりだったのですが、どちらを先にするか(新シリーズか、「色」再構築シリーズか)、はかなり迷いどころです。あえて、並行的に進めてみるというのも手ですが。


ということで、ちょっと予定は定かではありませんが、12月からはシリーズ物を始めようと思います。

2012/10/10

2周年


 はやいもので、李花尺がニコニコ動画への初投稿から2年がすぎました。昨年の10月からの動画投稿数は15、時間にして2時間と20分ぐらい。最初の一年は投稿数が40、時間にしておよそ4時間半です。これに比べるとペースは落ちていますね。もっとも、背景の書き込みや描写の丁寧さなどは向上していますから、描く速度と質の交換があっただけかもしれません。

 振り返ってみると、この一年はおよそThe last incident シリーズから始まり、「ととも」を三つはさんで、「巡るは季節」を描いたことになります。また、プレミアム会員にもなりました。「巡るは季節」の第一話は東方カテゴリーランキングの1位にもなりましたね。「巡るは季節」は1時間ちょっとの長編ですから、この一年の半分は、このシリーズを作っていたことになります。気合いの入ったシリーズでしたし、無事完成してなによりです。

 さて、これまでの動画すべてで、誰が一番登場しているのでしょうか?ふと気になったので、数えてみると、こんな感じでした。1本の動画に一度でもセリフがあれば1回とカウントしています(セリフがないとカウントされません)。

01位:霊夢  21(5)回
02位:文   19(7)回
03位:魔理沙 17回
04位:紫   14回
05位:幽香 12回
06位:チルノ&レティ&永琳 10回
09位:萃香  9回
10位:椛&大妖精 8回

 といった感じです。あとはアリス・ニトリ・パチェが7回でレミリアが6回と続きます。霊夢と文の括弧つきの中の数字はそれぞれ、霊夢に関しては「巡るは季節」で出てきた霊夢の生まれ変わりの、文に関しては「ゾンビ禍」のシルエット状態での登場回数を示しています。やはり長編に出てくる登場人物達は回数が多いですね。文は4つの長編と1つの中編のうち、「巡るは季節」をのぞいてすべて絡んでますし、夢も「霧の大河」以外では出番がありますから、なるほど納得です。しかし、霊夢は「ととも」シリーズにはあまり出てこないので、それほど描いている感覚は無かったりします。
 幽香も数は多いですが、2年目はそれほど描いた記憶がありません。と、いうより、2年目は長編・中編を基本に描いたため描いた人物に偏りがあります。
 アリス・ニトリに関してはもっと登場回数が多いような気がするのですが、そうでもなかったですね。逆に、チルノ・レティ・永琳はそんなに描いたかなぁ・・・という感じです。椛と大妖精は、文とチルノの相方として描かれることが多いので、納得ですね。

 未だに描いたことがない(=しゃべっていない)キャラクターは旧作をのぞいて
プリズムリバー三姉妹・慧音・メディ・四季映姫・衣玖・天子・キスメ・お燐・お空・響子・芳香・豊&依姫・三月精の妖精達・華扇・阿求・蓮子・ハーン
でしょうか。総勢で22名もいます。もちろん、これまでに登場した人物も少ししか話していないキャラクターも多いですから、おいおい、なにか思いつけば、それぞれに対して物語を描いていきたいですね。

 1年目の終わりには「月1のペースで投稿したい」と言った記憶があります。今年の9月は投稿できませんでしたが、おおむねこの目標は達成できたと思います。そこで次の一年は、このペースを維持しつつ、いろんなキャラクターを登場させたいですね。

これからも李花尺をよろしくお願いします。

2012/06/17

杉の木

近畿地方も梅雨入りを済ませたそうで、雨の日がこれから続くようですが、ご機嫌いかがでしょうか。蒸し暑く、雨で洗濯物も乾かないようでは恨めしい限りですが、最近、ちょっとした発見があったので、すこし。

杉といえば、春には花粉を飛ばし、多くの人の目鼻を苦しめる元凶として逆恨みされている存在ですね(山一面に植えたのは人間で、杉からすれば、材木となり人間の役に立つはずがそれもかなわず、恨まれるとは心外も甚だしいことかもしれません)。その季節の杉林はなんともいえぬ錆色で、お世辞にも綺麗だとは言えない風貌です。ですから、杉に罪は無いのですが、あまり好きではありませんでした。ですけど、先日、煙るような雨の日に、杉の木の高麗納戸のその穂先に新しい鶸色の新芽が伸びて、濃淡の対比が美しいことに気付きました。

雨雲を通じて弱い光が当り、古い葉の影はいよいよ濃く、新たな芽はより鮮やかに。ちょうど、広葉樹に風が当たり、淡い色の裏地が見えるような、そんな美しい色の対比をもつ季節が杉にもあるのだなぁと、思い知った訳です。

雨の日にもちょっとした発見があると、暫くは楽しく過ごせそうです。

2012/05/16

再生数について。


「巡るは季節」の第一話は4万再生まで延びました。これについては驚きがつよく、うれしさはあまり無かった様に記憶しています。第2話は1万再生、それ以降、およそ5千から1万再生の間をうろうろしています。私としては最終的にどの話も1万再生前後までいけばなぁ・・・と思っています。

で、何が言いたいのかと言いますと、私は5千から1万再生の手書き作者なんだろうな、ということです。頂上が見えた感じですね。これに悲観している訳ではなくて、「ま、そんなものか」という感じです。

これ以上の再生数を手っ取り早く(?)稼ぐためには「動き」が必要でしょう。具体的は「動画」としての動き、またはストーリーの抑揚ですね。かれこれ東方手書き界隈に入り浸る様になって2年あまりが経ちますが、新たに再生数を大きく稼ぐのは、手書きでありながら「動き」のある作品か、ストーリーの抑揚が上手い、展開がよめず、先が気になるような「熱い」作品のどちらかに分類する事が可能でしょう。あ、エロでもいいですけどね。ということで、動画の中に動きを取り入れれば、これからさらに多くの再生を稼ぐことができるでしょう。

ですが、そんな動画を制作する気が基本的におきないので、しません。ですから、5千から1万再生ぐらいの手書き作者なんだろうな、と思う訳です。再生数を増やす事を目標に動画を投稿している人は大変だろうなぁと、思ったりした今日この頃でした。


こんなことを書くと、やる気を失っている様にも見えますが、そんな事はなくて、「静かな雰囲気」の可能性を信じて、いろんなことを試していく所存であります。それに気付いたコメントがあれば、なおうれしいですね。例えば、第4話では「今回の巫女は親子の愛情の面が強いね」という趣旨のコメントがありました。明治巫女のサブテーマは「親子愛」なので、初代の「恋愛」とは異なる形で巫女と紫の関係が構築されています。それに気付いてもらえたので、かなりうれしいです。そんなコメント、お待ちしております。また、基本的に私は動画となって世に出たら、どのような解釈も間違っていないと考えています。私の意図とは違う解釈も大歓迎ですから、お気軽に、コメントをよろしくお願いします。

2012/04/05

4月3日、4日と日本列島を春の嵐が通過していきました。台風を思わせる雨と風で桜が散った所もあるでしょう。こちらはまだ桜にもはやく、散ってしまった春の草木は少なかった様に思えます。コブシの花は散りやすいと思い、心配していたのですが、まだ固かったのか、ほとんど残っていました。春が遅かったのが幸いしたのでしょうね。

さて、今日は先日の嵐とは対照的な、静かな雨が降っています。霧雨でしょうか、遠くがかすんでいます。

司馬遼太郎の随想に「三月の雨は六朝の涙に似たり」という言葉が出てきたのを覚えています。確か、漢詩の一節だったかな・・・

このくだりがどのような流れだったか、記憶は定かではありません。しかし、ふと、今日の優しい雨を見て思い出しました。

長江のゆるやかで駘蕩とした、それでいて巨大な流れを引いた水路に架かる石の橋と柳、遠くにかすむ高楼、廟、朱で彩られた複雑な装飾の丸い窓。

中国を夢見る時、そういった風景が思い起こされるのですが、実際はどうなのでしょうね。日本では、多くの神社の境内で凛とした空気を感じる事ができます。中国の大きな私有(あ、私有はありえないのかな?)の庭園にもきっと、駘蕩とした世界が残っている事を期待しているのですが・・・淡い夢なのでしょうか。

雨を涙に例えるのはよくあることですが、時代の涙に例えるのもなかなか風情がありますね。今日は濡れれば冷たく、春を遠ざける雨が、強くふる訳でもなく、かといってやむことなく、降り続いています。なにか、泣いているのかもしれませんね。

2012/03/11

東京は違うなぁ

どうも、私用で東京に出てまいりました、李花尺です。

東京はずいぶんと春めいていましたので、驚きました。私の住んでる田舎はまだまだなのですが・・・。本日は福祉チャリティーマラソンというのが皇居の周りで行われていたようで、皇居の周りはランナーが多くみられました。そしてお堀の柳の先端にはかわいらしい新芽が出ていました。歩道にはタンポポも咲いてるのも見かけました。

本日、3月11日は東日本大震災から 一年の節目に当たります。地震の起きた時刻にあわせて、黙祷をしました。私が顔を上げてもまだ黙祷をされている方もいました。それでも、車は走っていますし、お堀のランナーの方は走っていました(黙祷をされた方もいらっしゃるでしょうけれど)。私は東京という街が一瞬、止まるのではないかと思っていたのですが、そうではなかった。でも、それでいいのかもしれません。止まる人、止まらない人、止まれない人・・・そういう雑多さこそが、都会というものかもしれません。・・・それにしてもいろんな人がいます。田舎では考えられない多様さですね。見ているだけで楽しいです。都会の楽しみはこれに尽きるかもしれません。

そんなことを考えながら、はじめて秋葉原というところにいってみたのですが、歩行者天国になっている部分は規制があってメイドさん、いないんですね。一本なかにはいってみたら、たくさんいました(一度も声をかけてもらえませんでしたけどね)。Mac製品をとりあつかっているお店を探したのですが、思った以上にありませんでした。秋葉原はほんとにサブカルチャーの香りが強いところになったのですね(もちろん、私が探すのが下手すぎる可能性は否定できませんし、もとから少なかったのかもしれませんが・・・)。


つらつら思うに、普段得ることのできない非日常を十二分に体験できたと思います(ところで東京って本当に坂が多いですね。知ってはいましたけど、今日、実感することができました。・・・足が痛いです)。しかし、この街に住むのはちょっとやだな、とも思いました。どうしてかと言いますと、やはり人間どうしても環境に「なれて」しまいますから、この雑多な人間模様を興味深く見て、なにかを発見するためには、外にいたほうがいいと思うからです。都会に行けば行くほど、いろんな人がいますけど、そこで暮らせば、興味深い人はより他人になり、そして他人であるからこそ無視し、興味を失っていくかもしれません。

そんなことを考えました。でもやっぱり本当に刺激的で、面白い街ですね。

2012/03/03

春めいてきましたね

3月になり、寒さも和らいで、ちょっと外に出ようという気も起きるというものです。

と、いうことで、ちょっと散策してきました。
行ってきたのは琵琶湖です。

 遠くの山はまだ雪をかぶっています。先日雨だったので、もうすこし透き通った青空を期待したのですが、残念ながらぼんやりと霞んでいました。対岸の山々は淡い錆浅黄を基調にして頂には白い雪を残し、そして空と混じって全体としてはぼんやりとした色遣いなのですが、琵琶湖は紺の水をたたえてはっきりと主張していました。

 で、ぶらぶらと湖畔を歩いていると、琵琶湖に流れ込む小川のほとりの小枝にふわふわと白いものが。なにかと思えばネコヤナギでした。ネコヤナギもよくみれば白い毛の付け根は臙脂(エンジってこんな漢字だったんですね知らなかった)というか、紅樺と呼ぶべきか(もっと紫が混じっているようにも思えますが)、春の新芽にふさわしい色をしていました。

 湖畔は松林がおおくてあんまり面白くなかったので、そのうち見えてきた内湖の散策路に路線変更しました。・・・が、まだ早かったらしく、水面に近い部分は白茶色の枯れた芦(芳?ススキも混じってましたね)ばかり。朽ちかけた小道の上にはザリガニの死骸があってあやうく踏みそうになりました。東屋・・・というか中休みのためのロータリーのような場所に近づくと、なにやら大きな鳴き声が。ザリガニを踏みそうになって以降、下を向いて歩いていたのでちょっと驚いたのですが、顔を上げるとガチョウ(?)が数羽、陣取っていました。近づいても逃げないところを見ると、この内湖で餌付けでもされているのでしょうかね。とくにふれあう相手でもないので、そのまま横をお邪魔させて貰いました。で、またしばらく行くとガマの穂が残っているのを見つけました。穂はからからに乾いて、綿がすこし出ています。なんとなく羽毛らしいですね。因幡の白ウサギは毛皮をはがされた後、ガマの穂で癒す話があります。ガマといえば白ウサギだなと思いながら、ふと、これなら毛皮のかわりになりそうだと考えたり(本来の因幡の白ウサギの話とはちがいますけどね)。

 内湖も一周するのにそれほど時間がかかりませんでした。内湖を後にしてしばらく湖畔を歩きましたけど、それほど変わった様子はなし。あ、庭に植わっている梅が咲いてましたね。ちょっとうれしかったですけど、人の家なのでしげしげと眺めるわけにも行かず、退散(梅が見たいなら、長浜に行けば盆梅展をやっているそうですが・・・)。

 琵琶湖の周りにはちょっと春本番を感じるには早かったようです。もちろん、土手からは緑や紅色の新しい芽が顔を出していますし、風は冷たかったですけど、お日様のおかげでそれほど寒くはなかったです。もうあと少しですね。本当は写真の一つでもあればよかったのですが、私はあろうことかカメラを持たないので(写真を題材にした話を投稿しているにもかかわらず!)、文章だけでちょっとした散歩の報告を致しました。皆さんも春を感じてますでしょうか。

追伸;次作は長編で、第一話は3月の中旬を目指しています。今しばらくお待ち頂けたら幸いです。

2012/02/22

結局、なんでこんなこと(東方二次創作)とかやっているのか?という話。

ニコニコ動画に動画を投稿する人間の心理というのは千差万別だと思います。面白いネタを考えついたから、有名になりたいから、こんな動画見たいけど誰も作らないから・・・で、私自身はどうして東方二次創作なんてやっているのだろうか?と今一度考えてみたのですが、こんな結論に達しました。

「思っていることを共有したい」

もちろん「有名な手書き作者になりたい」とかけらも思っていないわけではなくて、作るからには多少は有名になりたいという欲は今でもあります。ですけど、それだけが原動力になっているわけでもないと思います。

 美味しそうなリンゴと満面の笑みを描いて、「美味しそうなリンゴだね」と私が描いた世界に共感してくれるとうれしいのです。「あぁ、リンゴが好きな人が自分以外にも居るんだ」このことが知りたくて私は動画を作っているのだと思います。
 私はたいてい動画を作るときは伝えたいテーマを設定したり、私なりの幻想郷・キャラクターの解釈を加えたりしています。そして、「なるほどなぁ」とか「わかるわ」とかコメントしてもらえるのが一番うれしいですから、たぶん間違いないと思います。
 同じ理屈で「漂う雰囲気に定評のある〜」というタグや、雰囲気がなんだか分からないけど好きだというコメントも私なりの世界が共感してもらえたからだと勝手に解釈しているわけです。多分、こういったコメントやタグがなかったら早々にやめていたかもしれません。雰囲気が好きだとコメントしてくださる=私の感覚や思ったことを共有してくださる人に支えられているんだなぁとつくづく思いました。


 ということで、これからも皆さんに共感してもらえるような、共有しがいのあるような物語や発見を提供できたらなぁ・・・と思います。

2012/02/10

ごめんなさい

・・・うん。

パトレイバーも見終わったことですし、この土日は動画を作ります。多分、日曜には投稿できる・・・かな。もうしばらくお待ち下さい。

パトレイバーを見たよ。

劇場版パトレイバー the movie 1と2を見ました。

 どうして押井守の80年代の映画を見たかと申しますと・・・「後てゐ隊長」と申せば、分かる方には分かると思います。
(ニコニコ動画で活躍中のNiceTeaさんの動画の中で東方Projectの登場人物である「てゐ」がパトレイバーに出てくる後藤隊長そっくり、というか後藤隊長のパロディであり、その後藤隊長がきになった訳ですね)

 実は押井守とは大学一年の時に出会っていました。それは大学の講義で人間学だったかなんだったか、一般教養の一コマで、「眼鏡をかけた人間は広義のサイボーグである」みたいな話の流れのなかで攻殻機動隊 ghost in the shellを見ました。へぇ・・・と思いながら見たのを覚えています。で、押井守、パトレイバーには前述のように東方二次創作という思わぬ場所でまた出会ったわけです。

 感想ですが、やたらと鳥の描写が多くて気になりました。鳥と映画といえば、ヒッチコックが頭をよぎるのですが(見たこと無いですけど)、いまいち映画との関連性が見つけられなくて気持ちが悪いのが実感ですね。執拗に繰り返されていただけに、気になって仕方がない。後、聖書の引用って押井守好きなんですかね、攻殻でも出てきたような・・・気がします。

 1ですが、零式、かっこいいですね!まるで小学生の感想ですが。他のレイバーを貫く動作が良いです。人差し指と中指をたてて、相手を貫いた後、指全体が開けるのがグロテスクなのですが、妙なリアリティがあって良いです。太田のレイバーが壊したレイバーの腕を振り回す様子なんかはかなりコミカルなのですが、それとの対比が面白いです。零式がかなりロボットらしい動作なのは、HOSを切ってマニュアルで動作していたからなのか、すでにHOSに乗っ取られてOSを再構築中で不十分だからなのか・・・ま、理由はどちらか分かりませんが、かなり印象的な場面でした。
 あとは帆場という男の経歴を追う場面で、ずいぶんとバラックというか裏町の描写がありました。さすがに今では残っていないのでしょうが、80年代にはまだ作中で描かれた様な水場に接した掘っ立て小屋の群れというのがあったのでしょう。再開発に伴う破壊、そしておびただしいゴミ。帆場にとって東京(都市)の発展は人類の狂宴だったのだろうし、またそれに対する帆場の鉄槌もまた狂気だと思います。「たちの悪い夢」、というセリフが心に響きますね。作中に出てこない人物が主人公達を引っかき回すというのもなかなか面白い物です。しかも、どうころんでも帆場の勝ちですし。あ、そういえば、鳥は無人の第二制御室に巣くっていましたけど、結局、鳥がなんどもでてくるのは人間の狂宴の後には自然がそれを飲み込むということなのかなぁ・・・
 後藤隊長ですが、やっぱり面白い人物ですね。人の使い方とか。ひょうひょうとした感じとか。でも「2」のほうが印象が強いですね。ま、作品の性格上、当たり前かもしれませんが・・・

 2ですが、うん・・・ちょっとは1回では分からないところあり。場面が飛ぶ間にどうもいろんなことが起こっているようなのですが、補完しようとするところに次々情報が重なってきますから、ちょいと私の脳みそでは一度流しただけでは了解できないところがあります。ま、大筋は分かりますが、こまかい部分がどうしても。例えば、最後の埋め立て地のヘリの残骸ってなに?松井さんの持って帰ったディスクで飛行船によるジャミングを解消できたのか?それとも柘植?
 後藤隊長がかっこいいわけなのですが、最後の柘植の戦争が偽り、非現実なんだ、というくだり。柘植の起こした戦争は確かにほとんど血が流れていないということでリアリティに欠けるのかもしれません。が、物的な破壊が行われた以上、やはりそれはリアルな戦争だったのだと思うのです。荒川さんの言葉を借りるなら、ふっとんだベイブリッジは紛れもない真実なわけです。(←ん、ちょっとセリフ違うかも)もちろん、東京に住む人々は結局の所、目を覚まさないと思いますから、後藤隊長のいうように、リアルな戦争ではなかったのかもしれません。作中の戦争はある者(主に当事者、柘植、特車二課)にとってリアルだったのでしょうし、上層部や市民にとってはリアルではなかったのでしょう。しかし、これというのは現実社会に置いて第二次世界大戦以降、先進国にとって常に当てはまっていることであると思います。
 ちなみに、後藤隊長がしのぶさんに呼ばれて「はいぃ?」と素っ頓狂な声で返事をしているシーンが好きです。シリアス一辺倒でないところが後藤さんの魅力なのでしょうね。
 あと、東京を襲った攻撃ヘリのコールサイン(?)が「gong」だったのが、印象深いですね。東南アジア某国でのコールサインと同じだった。おそらく士気を高めるためにそうしたのでしょうけど、あんまり縁起がよくないような・・・

 ながながとレビューを書きました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。おもしろい作品だと思うので、時間があれば、手にとってみてはいかがでしょうか。

2012/01/28

豊饒の海

豊饒の海、本多の一生に接したのは先日25歳になったばかりの大学院生なわけだけれども、「暁の寺」、「天人五衰」はつらかった。

ちなみに「春の雪」は2011年の半ば、「奔馬」は年の瀬に読んだ。

 春の雪の美しさは尋常ではなかった、と思う。春の雪の記憶はすでに曖昧で、清顕・聡子という象徴的な言葉で私の中で保存されているためだろう。劇的でありながら、凡庸な最後が印象的だった。あのとき、この物語は私の中で「物語」から「真実」へと変化したように思う。そして観察者たる本多は私自身と重なり得た。

 奔馬は春の雪を読後、しばらく間をおいてから読んだわけであるが、ちょうど春の雪の記憶が曖昧になり、物語の上で本多の記憶が曖昧になるのと呼応して、ますます本多が私自身の振る舞いのように感じられた。勲の激情は25歳になる私には持ち得ないものなのか、本多に自分を映しすぎているためなのか、十分には伝わることがなかった。

 奔馬を読後に考えたことは、春の雪を読んだ後の熟成が奔馬を十二分に楽しむことが出来た要因の一つだということだった。転生は20年ごとに繰り返されるのであるから、次の物語もまた奔馬の記憶が熟成(単に忘却と変成であるけれど)されてからであることが望ましいと思って、およそ1ヶ月後に暁の寺を読んだ。
 が、暁の寺はつらい物だった。本多の老いと変質。年の瀬に読んだ奔馬との差はなんなのか。繰り返される仏教(輪廻)の要素、そしてインド。もはや本多は私の現在ではなくて、未来を予想する奇っ怪で醜悪な存在に思えた。最も、私は資産を持たないので、本多たり得ないけれど。そして転生はどんどんと本多から離れていくように感じられたのは、私が本多ではなくなった事と関係があると思う。本多はそれに気づいていないようだったが。

 そして、天人五衰。本多の老いが感じられて私は天人五衰を暁の寺読後、すぐに読んだ。待てなかったのは、怖かったからかもしれないし、それは事実、そうだったように感じる。
 そこには老人の姿があった。本多は転生が自分のまわりになくてはならないということをなぜ信じていたのだろう?暁の寺の最後で感じた「うわごとの欠如」から私と本多の乖離は大きくなるばかりであった。ただ、本多と本多の身の周りに起きることを見届けなければならない、義務感の様のものを感じて読んだ。が、つらい。天人五衰には必要に、執拗に、老いというものが描かれていた。本多は確実に年をとっていた。あれだけ本多に自己を重ねていた分だけ、それは恐怖だった。
 読後、あまりの衝撃に今はどうしようもなくうちひしがれているのだが、透は本多の転生ではないかと思えた。生きている人間が転生するというのも滑稽な想像かもしれないけれど。最後は救済であるように思える(思いたい)。ただ、無慈悲な救済だと思うけれど。また、どこか純粋さが欠けていった本多への罰のようにも感じる。そしてやはり本多の人生は真実ではなく、物語だったのではないか。

私の中での本多の存在の真実性は最後に崩壊の危機に立たされたが、やはり、本多は存在したと思う。夢であっても。




三島由紀夫の作品は好きであるとともに危険な香りがする。時が経てば絶対に赤面する文章を書かせる魅力とはなんなのだろうか。

ぜひ皆様も三島由紀夫作品を手に取ってみてください。
まったく、こんなことしてたので、次の作品の作成が遅れています。ごめんなさい。

2012/01/01

あけまして、おめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます

2011年は本当にたくさんのことがあった年でした。たくさんのことが起き、たくさんのことを学んだり、思い出したり、考えたりした年だったと思いますが、また、いろいろな事象にとらわれて、なにか、忘れていた物があったのようにも思います。

2012年は平穏な年になって欲しい、そう願っています。そしてニコニコ動画でいろいろな動画が楽しめる一年になるよう、私も東方手書き作者の一人として「李花尺」らしい作品を投稿したいと思います。


皆様にとってもよい一年になりますように。
そして、李花尺をよろしくお願いします。

あけまして、おめでとう!

2011/11/28

次の話 【ネタバレ?注意】

さて、The last incidentも終わりましたので、次の話をどうしようか迷っています。以下、確定的なことは書いていませんが、何が来るかを楽しみにしておきたい人は閲覧注意です。


2011/11/11

連絡

どうも、李花尺です。


お知らせがあります。
11月13日ぐらいにThe last incident #3を投稿できるかなぁと予想していたのですが、思いのほか作業が進みませんでしたので、投稿は延びます。どうか、今暫くお待ちくださいませ。モニターが代わってからどうも調子が悪いんですよね・・・

以前はiiyamaのブラウン管を使っていたのですが、壊れたので液晶モニターに換えました。そしたらどうも色味がおかしいのです。おそらくブラウン管の設定が通常とは離れていたのだと思うのですが。液晶モニターだと以前使っていた肌色は見えないし、茶色はずいぶんと黄色っぽく表示されるのです。緑もおかしい。
シリーズを通して色味を統一したいので、今は四苦八苦やっていますが、次のシリーズから今使っている液晶モニターでよく映える色を使っていく予定なので、色使いが代わると思います。それにはモニターが代わった事が影響している事をどうかご理解くださいませ。・・・といってもまだ先の話ですね。


この土日は多分、動画制作に回せる時間も多いので、もしかしたらこのお知らせを裏切ることになるかもしれません。よくある事です。それはご容赦くださいませ。

2011/10/17

ふと思った様な、以前から思っていた様な事


東方Projectに限らず、多様な同人活動が活発な状況について思ったことがあります。

これは和歌や俳句の精神ではなかろうか?

和歌や俳句はそれぞれにルールがあります。五・七・五(・七・七)のリズムの縛り、そして季語を入れなければ行けないという縛りなど。和歌には本歌取りとよばれるシステムもありますし、枕詞のように継ぐ言葉を指定する「お約束」もあります。連歌のように歌を重ね合わせていく遊びもありますよね。

このようないろいろな縛りやお約束の中で遊ぶというのは、同人活動にも当てはまっているのではないでしょうか?同人というのはまさに「本歌」があっての活動ですし(さらに同人を本歌扱いにしたものもありますよね、多様な二次設定とか・・・)、原作の人物は季語の様に必ず入っていますし、各キャラクターにはお約束のネタがあったり(ニコニコでは「いつも通りと形容される」精神ですよね)、和歌や俳句にある精神というのは同人活動にも適用できるのではないでしょうか。ただ、字数縛りはないですから、あんまり和歌や俳句と同一視しないのかもしれません。掛詞も字数制限の無い同人にはあまり利用されないルールと言うか技巧ですか。

日本人は、いくつかの縛りの中でいろんなアイディアを出しながらみんな(といってもその遊びを知っている人だけですが)で楽しめる遊びが好きなのかもしれません。あるいは本歌取りとか枕詞のような、分かる人にしか分からない深化する遊びが好きなのかもしれません。



ただいまThe last incident 第2話を作成中です。もう暫くお待ちください。