2014/05/03

禁色

世はGW、皆様如何お過ごしでしょうか、李花尺です。
ちなみに私はちょいと用事がありまして、GWはどこにも行けそうにありません。


 さて、先日東京に行くことがありまして、道中のともに三島由紀夫「禁色」を買いました。現在、行き帰りの新幹線で1/3ぐらいを読んだところです。いまのところ、美と男色と女への歪んだ復讐の話です。私はなぜ男色の話を抵抗無く、むしろ興味深く読んでいるのでしょう・・・我ながら不思議です。もちろん、「行為」そのものの描写など(いまのところ)無いですし、男色そのものというよりは男性の「美」を扱っているために、嫌悪感が出てこないのかもしれません。それとも本質的に自分がかの世界への興味をもっているのでしょうか?
 まだ本作がどうなるか私には分かりませんが(ぼんやりと“彼”の運命が思い浮かんだりしたりはします)、ちょっと気に入った一節があります。

あらゆる文体は形容詞の部分から古くなる

はっとさせられる文句だと思います。人間が語るべきことなんてそれほど多くなくて、古代ギリシャの哲学者から諸子百家・シェイクスピアや近松門左衛門によって語り尽くされていると思います。でも今日も新しい小説が生まれるのは、きっとこのためだったのでしょう。青春の甘酸っぱさなんて今も昔も本質的には変わらないと思いますが、環境というか、小道具というかそういった形容詞的な部分が変化していって、昔の曲の歌詞が古くさく感じるのと同じなのかもしれません。

そんなことにあらためて気づかされていたりします。

2 件のコメント:

  1.  あらゆる文体は形容詞の部分から古くなる…至言ですね。
     かつて渡辺淳一氏の講演に行った時、氏は「物語は進化しない」とおっしゃられていました。では何が変わっていくのか。その一つの答えがこの形容詞なのでしょう。それは言い換えれば、テーマを同じくして形容詞を新しくすれば別の新しい作品が生まれてくる、と言えるのかもしれません。小説家の冲方丁氏は「すべての物語の形式は聖書によって語り尽くされている」とも言っていました。
     ただこれは見方を変えれば「新しいものを作るには、古典に目を向けるという方法もある」と捉えることもできるはずです。富野由悠季氏が若者に対して「お前らの作るものはひとつも斬新ではない」と煽っていましたが、それはある意味でそのとおりだと思うのです。まぁ、斬新であることが全てであるとは思いませんがw。

     李花尺さんが嫌悪感を感じないのは、そこに明確な「作者の美意識」があるからだと思います。男色であろうがなんであろうが、それがテーマであり語りうるものであれば、そこに感動が生まれてきます。なので内容うんぬんではなく、三島氏の美意識にかけるテーマあるいは情熱が李さんにはしっくり来たのではないでしょうか。李さんの作品も風景や季節の移り変わり、あるいは心の動きに対して明確な美意識を感じるので。なので男色に対して心惹かれるのは早計ではないかとw。でも李さん、なんだかんだ三島由紀夫好きだよね…。

     話は変わりますが自分はGWは長野に行ってきました。四方を雪山に囲まれ、遠くに富士山が見える風景はもはや異様でした…。八ヶ岳や南アルプスはほとんど書割にしか見えません。あれが世界の果てではないかと信じそうになるほどでした。もし機会があれば諏訪湖からビーナスラインを走り、霧ヶ峰という山に登ってみてください。しかしあれは「親しみやすい田舎の風景」ではないよなぁ…。

     今回も長くなってしまいましたw。また機会があれば物語論なども聞かせてください。

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  2. クズマさん
    創作の巨人達にとって、自分たちの作るモノが真の意味で「新しい」ものではないことは自明なのかもしれませんね。温故知新というのは良い言葉です。押井守は、「エヴァンゲリオンはディティールがあって、本質はない」という意味の発言をしています(この話以前した気がしてきた・・・)。ニコニコに投稿される、パロディとオマージュに彩られた様々な作品にも共通することでしょうけど、好きな「形容詞」を語るための作品、という側面が強くなっているのかもしれませんね。もしかしたら、「ガンダムが好きだからガンダムを作る」スタンスの作品は生みの親である冨野由悠季氏にとって、斬新であるとは思えない、ということかもしれませんね。

    結局、作品全体・その世界は好きであるけれども、様々な登場人物のように完全な「彼」を愛したかといわれれば、そうではない。感情移入はそれほどしなかったと読み終えて思います。ドキドキするのは次の展開が気になるからであって、男色を愛したからではないと今は思います。三島由紀夫好きなのは認めざるを得ません。私の小さな本棚がどんどん鮮やかな朱の背表紙の本に浸食されています(新潮から出ている三島由紀夫の本は背表紙が朱色ですね、割と印象通りの色です)。以前は司馬遼太郎の黄色や緑の色が多かったのですが。

    長野、いいですねぇ。雄々しい峰々、白い残雪と青い空、そして写真では伝わらないあの迫力・・・。私も数度、アルプスの麓を訪れたことが有りますけど、圧倒されます。また行きたいですね。
     確かに「親しみやすい田舎」では無いかもしれません。私は緩やかに、だんだんと空に溶けていく幾重にも重なった山々、そして海。私の中の原風景はそういった所なので、長野の峰の麓はちょいと迫力が強すぎるかもしれません。・・・幻想郷だと海が描けないのよね。

    長文に釣られて私も長くなりましたw。物語論は・・・また考えますw。

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