2014/07/05

嵐が丘

どうも、李花尺です。
動画作成をがんばるとかいいながら、本を読んでました。

「嵐が丘」

この「嵐が丘」という言葉に対する、明確に思い出せる最初の接点は鬼束ちひろの同名の曲なのですが、でもこの曲名を聞いた時にはこの曲名が「小説」からきていることを知っていた気がするのです。それ以前にどこでこの小説と接していたのか、本当の意味での最初の接点は思い出せない。ただ、「嵐が丘」というタイトルだけを覚えているという妙な小説でした。そして漠然と、怖い印象をもっていました。

さて、実際に手に取ってみると、まぁ不気味な小説でしたよ。なんという狂気!だいたい序盤の夢の描写が怖すぎるんですよ・・・。彼女(キャシー)自身が嵐が丘の自然のような二面性(のどかで優しくておだやかな面と風の鳴る吹雪のような猛々しい面)をもっていましたし、序盤の夢の強烈な印象をずっと引きづりながら物語を読み進めていかないと行けない訳ですから、それはもう、美しいシーンだってその裏側に激しい嵐が見え隠れして私の心はもう、ぐったりです。
彼女は端から見たら我儘で、横柄で、かわいいだけが取り柄の勘違い屋さんで、最後はその自分の我儘がために気をふれてしまった女なのかもしれませんが、どうしても嫌いになれないのです。およそ私には理解しかねる考え方であって相容れないのですが、どうしても嫌いになれない。なぜなのか、今ももやもやしています。彼女が我儘だけれども真剣に生きて、だれかを騙そうとしたわけではない、二面性はあるのだけどそれは決して表と裏というわけではなくて、どちらも表のようなものだからかもしれません。
ヒースクリフもおよそ自分にまじないをかけてしまってはいるものの、彼女がいうように彼女と同じなのかもしれません(何言ってるんだこいつ?という方はまぁ、小説を手に取ってください)。彼の幼い頃にうけた仕打ちを考えればこそ、彼もまた嫌いになることはできない。でも彼がやったことはおよそ受け入れがたいですし、巧妙な手を使うことに関してはやはり悪魔だと罵られても仕方のないことでしょう。そもそも復讐になんの意味があるというのです?・・・彼が最後に自分の良き思い出をはからずとも目の前にみてしまったことで、彼ははたして救われたのでしょうか。彼が悪霊に取り憑かれたのか、幸せな幻覚をみたのか、私にはちょっとわかりかねます。ただ、最後は彼の望みは叶ったように思えます。彼の最後は彼の行った所行に対する罰であるとは、すこし思えないのです。

さて、彼・彼女の魂の行方に関して、私はこの物語の一部始終を聞いたロックウッド氏のもった感想に素直に賛成します。そんな気がするのです、私も。


兎も角、非常に面白い小説でした。私は彼・彼女のように「激しく」生きることができるほどのエネルギーをもはや持ち合わせていないので、少し羨ましくあります。そんなところに惹かれますね。人は人の持っているものがほしいのかもしれません。

2 件のコメント:

  1.  嵐が丘…名前は聞いたことありますが、読んだことはないですね。
     母が「ジェーン・エア」という小説のファンであり、その作者の妹の作品であるということぐらいしかしりません。でも、どうやら恋愛ものなどという生易しい作品ではないようです…。
     歪んでいてもぶれずに激しく生きる人には惹かれますね。

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  2. ちなみに引きこもりでどうしようもない奴も出てきます。彼の描写は痛々しく、読み手に刺さります。単純な恋愛モノではないですね〜。

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