どうも、すでに夏ばて気味の李花尺です。
さて、だんだん書くことが無くなってきました。どうしたものでしょうか。
ちなみに週末だけアクセス数がちょっと増えるので、このコーナーをちょっとした楽しみにしてくださっている方がいると思うと更新したいなぁと考えるわけです。ここのところ、日曜の午後に投稿することが多いですが、土曜日にアクセスしてくださった方には申し訳ない・・・。
“書くことがない”といいますが「雑感」なので、とりとめのないことを書けば良いんですけど、どうも肩肘を張りがちになります。もっと力を抜けば良い文章になるのでしょうか・・・?
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と、いうことで東方とはまったく関係の話題ですが。ドコモが富士山のメジャーな登山ルートすべてで通信インフラを整備したそうです。新聞広告にそう、アピールしていました(正確にはほぼすべてかもしれませんが・・・)。
登山の安全、という面から考えたら非常に有意義な事だと思います。やはり通信手段がある・ないではずいぶんと違うでしょう。ですが、どうやらLTEで高速・大容量通信基盤であるということ、アピールとしては「どこでもつながる」ということでした。
そりゃまぁ、登山の感動をだれかに伝えたいのもわからないでもないですが、登山ってそういうものなのだろうか?と私なんかは考えてしまうわけです。緊急時のためのほそい回線をつぶやきで埋める、というわけではないですから、どんな風に利用しようと目くじらたてる必要はないですし、「ご来光ナウ」というつぶやきがなんの意味もないというわけでもないし、それに怒るのは筋違いなことは承知です。
SNSの弊害_つながっていないことに恐怖を覚えるみたいな趣旨の主張_は私がわざわざここで開陳するまでもないことですが、ここまで来たかと感慨深かったので少し記録までに。ドコモも、需要があるから富士山でスマホが使えるようにしたわけでしょうし、使いたいという声もある程度はあったのでしょう、恐ろしい。
ちょっと話は違いますが、アウトドアのレジャー(キャンプとか)って、不便を楽しむもので、そこに小さな端末に日常を詰めて持って行かなくともいいのになぁ・・・と思っています。(ちなみに私はキャンプやBBQで着火剤を使うのは負けだと思う派です。別に着火剤が嫌いなわけではないですよ・・・。)
皆様は、富士山の頂上で携帯を取り出しますか?
不便は”する”ものであって、強制されるものじゃ
返信削除ないですからねぇ。
万が一の備えや、もっと面白いものが現地で見つかって、
それを楽しむためのリソースを確保するためにも
機会の確保はしておくべきだと思いますよ?
現地で面白い動植物を見つけたら、自分は炎をくべる
苦労よりも着火剤を使ってさっさと火を付け、それで浮いた
時間・労力をその動植物の観察や記録に使います。
代替の効くものと効かないものとの間で利害の
衝突が起きた場合には、代替が効かないものを
優先するべきですし、折角の非日常を楽しむのなら
そういう選択する機会も保持したほうが
色々と融通が効くでしょう。
富士山頂上に到達したことの高揚感、そして普段の生活では
絶対に味わえないその眺めとひんやりとした高層の空気。
それに感動してジーンとした後のちょっとした間、
感動に少し飽きが来て心に隙が出た時に自分は携帯電話を
取り出して家族に連絡をいれましたねー。
人間は社会性の強い動物ですから、感動や感想の共有は
それ自体が自信の感動を補強・増強します。
(勿論、人それぞれでしょうが)
せっかくの富士山山頂で携帯とにらめっこ”だけ”するのは
馬鹿げてますが、ひたすら空を眺め続ける”だけ”というのも
それはそれでどこか味気ないと思います。
(勿論、そういう方法でしか味わえない感覚というのもありますが・・・。)
因みに自分は、富士山頂上を眺めたり写真をとったり
歩きまわったり、気象観測所跡について色々話しあったり、
携帯で家族に感想を伝えたりとひと通り堪能した後、
どうにも手持ち無沙汰になったので友だちと一緒に
人のいない所でお互いに石を投げ合って遊んでから下山しました(月面上のアポロ飛行士みたいで中々楽しかったですw)
書くことが少なくなってきたとのことですが、
せっかくの夏ですし、子供時代の夏休みのように
読書感想文を書いてみてはいかがでしょうか?
(小学生並みの提案)
他の記事で李花尺さんが生き生きと読んだ本を紹介する
文章を読むと、読んでいるこっちまで楽しくなってきます。
やはりブログは好きなものを、楽しんで書いてナンボです。
李花尺さん程の読書家なら、好きな本や嫌いな本について
一言物申したいことや、伝えたいこともあるでしょう?(笑)
自分の思考や気持ちを整理する上でも、
中々いいと思いますよ?
凄い雲海の先から日が現れたらデジタルカメラくらいは出すかも知れません。
返信削除そして、私はいまだにスマホを持っていません。
スマホをいいな~と思う事は多々ありますが、余りにも便利すぎるだけに依存度も高いでしょうし、それが機能しなくなった時のダメージも大きいと思います。 職場の後輩を見ているとスマートフォンはもはや人体の一部になってしまったかのような錯覚を覚えます、外部記憶装置?的な感じでしょうか。
スマホは何でも出来る代わりに何にも出来ない人間になってしまう気がしてなりません。
着火剤については、ライター等もその類なのかアウトドアに疎い私ではピンときませんが、職場の上司がその身一つで生きる覚悟の無いものに本当の魅力は宿らないとかなんとか力説をしていた事を思い出しました。
要はシステムだとか道具に依存せず自身の技術の向上に努めなさいとの事だと思います。
そういう意味では確かに、いざという時の為にサバイバル技術的な知識と経験は身に付けて置いて損ではないし備えあれば憂いなしと言う事になるのかなーと思います。
震災直後に会社命令で宮城の仙台港や岩手の北上に1ヵ月程、水以外の食料や必要物資を持参して復旧業務に行ってきたんですが、インフラが機能していないといかに人の行動が制限されるか思い知らせれた事がありました。
>匿名さん
返信削除コメントありがとうございます。なるほど、機会の確保ですか。その視点はちょっと欠落していましたね。確かに、外での「発見」を楽しむためには、それ以外の部分をより効率的に行うことが必要でしょうし。ただ、私の念頭には「そとでゆっくりする」「不便を楽しむ」というのがあったので、上述のような文章になっていました。着火剤のくだりは、べつに無くても普通につけられるので、いらないよという程度のことです。
富士山に登った経験がおありなんですね、うらやましいです。私はまだないですな。せっかくの非日常なのだから、非日常を満喫したら良いんじゃないかなぁ・・・とぼんやり思うわけです。
読書感想文ですか・・・最近は本も読めてないですが、昔読んだ本について、少し丁寧に紹介するのもありですね。
>ka waさん
カメラのこと、私もなにかしら形にしたいと思いますから、とりだすかもしれません。でも、なんか違うんですよねぇ・・・カメラを通すと。
私はすでにスマホですが、確かに地図や出先でもちょっとしたことを調べることが出来るので便利です。仰るように、スマホによって何にも出来ない人間になりつつあるのかもしれません。
私もライターは使いますよ。さすがに火打ち石まで先祖返りするのは大変です。着火剤のくだりは別に大した意味はなくて(上述)、アウトドアに限らず、旅行全般に言えることかもしれませんが、「非日常」を「非日常」として不便なところは不便なまま、なるべく楽しみましょうよ、ということです。程度にもよりますが、道に迷うのも別にいいじゃないか、と思っています。もちろん、火をおこす技術、ロープワークなどはいざというときに役立つかもしれませんが、それを目的にするのもなんだか違う気がしますね。
おおコメントが白熱している…!
返信削除なんだか熱くなってきたので自分もコメントをば!
ここでいう不便さとは非日常的なニュアンスなのかなぁ、と思ってしまいました。宮崎駿は映画製作後ほぼ通信手段を絶って山の中に篭るそうです。これがおそらく彼の非日常と孤独との付き合い方なのでしょう。自分もほぼスマートフォンと一体化しつつありますが、それでも「浮世から離れてみたいなぁ」と思うときがあります。宮崎監督も自分も「浮き足立った非日常的な孤独」が懐かしくなる時があるのでしょう。今までの李さんのブログの文章なんかを読むと、李さんもそういうタイプじゃないかな、と思うのです。ムーミンファンはそういう人多いですしw。
自分はそういう時お気に入りの田舎の宿に泊まりに行きます。まわりはほんとに何もなくて、夜はすることもなく、かなり不便です。でも、そこでぼーっとするだけでも柔らかい孤独の感覚がやってきて、すごく浮世離れした気分になります。最初は「富嶽百景」の太宰治に憧れて泊まってみただけなんですが、意外と楽しかったですw。
「富嶽百景」の太宰は「富士山なんてつまらない」みたいなことを言っています。富士山が本当につまらないかどうかはともかく、ちょっと視点を広げてみると自分の好きなものが見えてくるように思います。なので楽しみ方次第かなぁ、と。富士山の上で携帯とひたすらにらめっこしてもいいし(高山の上で携帯をいじるとかまず非日常ですし)、文明の利器を山頂から投げ捨てるのもいいかもしれません。それに非日常は富士山だけでは無いですしね。
やや文章が乱雑になってしまいましたが、思ったことを書いてみました。もしまた新しい「好きなこと」が見つかったら、是非動画にしてほしいものです。
クズマさん
返信削除宮崎駿のエピソードは知りませんでした。私は孤独を求めてるなら、1人で都会に行くのも好きですけどね。他者と自分。雑然と大量の人と物が流れる上に意味もなく居ると、ふわふわとした感覚になって、案外楽しいです。もちろん、田舎の不便さもいいのですが、人との人との距離が近いので、案外孤独にはなりにくいような気もします。ただ、田舎の宿でぼーっとするのはやってみたいですね。ちょいと時間がありませんが・・・。
私としては「スマホ」というのは日常なので、それをな持ち込む意義をちょいと見いだせない、という話です。仰るように、高山で携帯をさわること自体は「非日常」ですが、その画面のなかは日常と通じているわけで、私としては非日常を楽しめていないような気がする・・・という話です。ま、好きにしてくれたら良いんですけどね。モットーは「蓼食う虫も好き好き」ですから。その辺りは皆さん、十分に分かっていらっしゃるので、改めて言う必要もないと思います。
コメント欄がにぎわうとなんだか嬉しいですね。どうやら疑問を投げかけると反応があることが分かったので、今回に味を占めてまた何か聞くかもしれませんが、そのときはまた反応してやってください。