2013/07/28

週末雑感

どうも、李花尺です。
ご近所のアサガオが咲き始めました。すっかり夏ですね。


さて、ちょっと宣伝。お気づきの方も多いかと思いますが、右のカラムに新たなページへのリンクがあります。

「ととも番外編 墓守」

というやつです。小説版「ととも」とでも呼ぶべきでしょうかね。これまでも動画版「ととも」シリーズの補完として文章を二度ほど書いていますが、今回は完全に独立した話です。ただ、雰囲気が動画シリーズとは違います、とだけ。後もしかしたら、ちょくちょく手直しを加えていくかもしれません。



小説についてすこし。私は小説を縦書き(要は文庫)で読むことになれているので、ウェブ上で横書きの日本語を読むのが苦手です。原因はよく分からないのですが、ともかくもあんまり得意ではありません。ですから、このブログや今回書いた小説も本当は縦書きが良いなぁと思っていたりします。そんなことをツイッターでつぶやいたら、フォロワーの方から東方二次小説なら、「東方創想話」というサイトが縦書き(縦読み?)に対応してますよ、と教えてくださいました。ということで、サイトに行きますと、創想話の投稿規定に、「創想話への投稿が初出であること」というものがありましたので、今回は先に当ブログに投稿しましたから、この規定にひっかかるだろうと考えて、創想話への投稿は行っていません(創想話から自サイトへの転載はいいらしい)。今後、創想話に小説を投稿するかもしれませんので、そのときはまた読んでやってください。


「小説はマヨネーズを作るよりも簡単、厳密なものではない」という趣旨の発言を司馬遼太郎が述べていた気がします。なぜマヨネーズが例としてだされたのか私には分かりませんが、小説というのは決まった規格があるものではない、ということでしょう。曽野綾子も似たようなことを述べていましたね。「小説家になるために学校をでなければいけないとしたら、私は小説家になっていなかっただろう」というような発言だったと記憶しています。
 何が言いたいのかというと小説を書くのに(手書き動画でもそうですが)肩肘を張る必要はないということです。ですから、どんな体裁をとっても良いはずですが、まぁ、世の中には流れというものがありまして、そんなに多様な文体があるわけでもないと思います。
 私からはき出される文章は、口語をまったく使わないわけではありませんが、文語の割合は高いと思いますし、擬音語・改行もそれほど多用しない体裁です(特に今回の「墓守」はそうですね)。創想話に投稿されている作品をいくつか見ましたが、あんまり似た文体の作品はなかったように思います。ですので、創想話に投稿したらどんな評価が得られたのかな?とちょっと気になったりもします。どうなのでしょうね?無視されるか、低評価か、はたまた、「うける」のか・・・。すぎたことは悔やんでも仕方がないので、創想話というサイトがあるということを知ったことで今回は満足です。




「墓守」のページはコメント欄がありますから、何かしらコメントを書いて頂けると李花尺は喜びます。

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