2014/08/23

無題

盆もすぎると夏も盛りをすぎた様子。
ところで虫達の夜のオーケストラはもう少し統制をとる役割が必要ではなかろうか。


さて、ピアノのある風景の2作目のコメントに

なんか、この世のすべてから野暮さを引いた作品みたいだね・・・。

というものがありました。この感覚の重要度はだんだんと大きくなっているように思います。以前は、何かしらの「発見」を主眼に作品を作ってきました。もちろん今でもそうなのですが、それにくわえて、野暮さと申しましょうか、無用なリアリズムを除くことが多くなった気がします。単に美しいと思う情景を綴っていきたいと思っているだけですが。
純白で穢れのないお姫様だけを描いたら味気ないと感じるのは仕方のないことでしょうけど、そこに美しさがあるのならいいではないか、という開き直りの境地にいつの間にか行き着いてしまったのかもしれませんね。

2 件のコメント:

  1.  そのコメントは自分も気になりました。いや、気になったというよりは「まさしくそれである」と思ったのです。美しく知的に生きようとする人間の、美しくあるさまを李さんは描こうとしているのではないかと。これはまたこの人の話か、と言われそうですが、小津監督の「東京物語」にも通ずると思います。そういう意味では3作めがどうなるか、とても気になります。東京物語も「ラストのためだけにこの映画はある」と言って過言ではないので。さすがにあまりプレッシャーはかけたくないのですがw。待ってます!

     ここからはやや愚痴に近いですが、少し思うことが。
     最近の映画などは特に「最初から最後まで視聴者を飽きさせない」「ストーリーに緩急をつけて山場とブレイクタイムをバランスよく交互に配置する」ということにあまりにも腐心しすぎているのではないか、と思うことがあります。もちろんそういう作品は面白いです。圧倒的エンターテイメントです。でもそれ以外のものはほとんど評価されない、というのはなんか寂しいなぁ、とw。もっとストーリーの型にはバリエーションがほしいなぁ、と。
     しかしそれは「昔はもっとバリエーションがあった」と言いたいのではありません。例えば今ハリウッドで最も稼いでいるマイケル・ベイ監督の映画は全編山場しかありませんw。料理で例えるなら大盛りの丼ものを頼んでもう食えないという状態の時に、店主が「いやまだ食えるだろうが!」とデザートを無理やり口に流し込んでくるような映画というか…w。こういう映画は昔はなくて、新しいなぁと思いますね。自分は大好きですw。
     でも大盛り丼ものだけでは疲れるので、たまにはバランスの良いものも食べたい、李さんの作品のような精進料理あるいは高級な抹茶のような料理も楽しみたい、と思うわけです。バリエーションはこれから先いくらでも増やせるはずだと思います。そしてそれは物語を無駄なく洗練させていくことと矛盾しないと自分は考えます。なぜなら「無駄」と思うものは個人差がありますので。選択肢は減らず、増えていくものだと思うのです。

     また長くなってしまいましたw。まぁ要約すると「李さんには李さんが美しいと思うものを作って欲しい」になりますね。この意見もう何度も書いてきた気がするなぁw。マイケル・ベイにも最後までマイケル・ベイを貫いてほしいですねw。

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  2. クズマさん
    映画愛を頂きました。映画事情に疎いのでマイケル・ベイ監督と言われてもピンとこなかったのですが、作品の名前を見ると、なるほど納得です。確かに、怒涛の攻めの作品を作っている方ですね。
     私は、それに比べたら食が細いですなw。精進料理ほど洗練されたものかはわかりませんが、私の思い描いている「風景」というのは奇をてらったものではなくて、そこにある自然な美しさのようなものです。
     ここのところ、現実が忙しくてほとんど作業が進んでいないので、投稿はまだ先の予定ですが、私の中で最終的はかなり良いイメージが出来上がっているので、ぜひ、楽しみにしていてください。

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