2016/05/01

あとがき 霊夢さん家の縁側日記#2

お久しぶりです、李花尺です。
皆様如何お過ごしでしょうか?

さて、またまた久々ぶりの投稿になりました。実は、作画自体はほぼ4月半ばには終わっていたのですが、ばたばたしていたらGWになってしまいました。

さて、今回は九十九姉妹がやってきました。どうして九十九姉妹かと申しますと、「誰がきて欲しいですか」という私の問いかけに対して、動画コメントで一番早かったのが、九十九姉妹だったからです。もちろん、これまで描いていないですし、描いてみたかった姉妹です。

と、いうのも、二人はスカーレット姉妹や、古明地姉妹と違ってその間に確執と申しましょうか、わだかまりのようなものがまだないように感じるからです。例に挙げた紅魔館と地霊殿の姉妹は多少なりとも「いびつな」姉妹であることを感じさせますし、いびつさを超えて離れられない何かを感じます。が、九十九姉妹はただ寄り添うことで姉妹を感じることができますし、むしろそれでしか姉妹としてのつながりがないようにも思えます。ですから、無垢な姉妹愛と申しましょうか、そういった暖かな関係をもっているのではないかなぁと思います。なんの因果か、姉妹となった二人ですから、二人にとって、それはとっても得難いものではないでしょうか。

最後のシーン、琴と琵琶の共演の音源があればよかったのですが、探しきれませんでした。また、二人の曲である、幻想浄瑠璃を流すという案もすてがい魅力があったのですが、これもちょっと挫折しました。探すのが下手ですなぁ。

ところで、いいですよねぇ、晩秋の温かい陽だまりの縁側に九十九神がいて、ゆっくりとつまびきながら時を過ごすのって。・・・行ってみたい。むしろ、九十九姉妹を登場させようとしたら必然的にそんなシーンが目に浮かんだので、実のところ、コーヒーは単なる口実です。

さてさて、次はだれが縁側にやってくるのやら。

2016/02/07

あとがき 霊夢さん家の縁側日記

お久しぶりです、李花尺です。

本当に久々の投稿になりました。いやぁ、秋口には作成を開始して、遅くとも年内には投稿する予定だったのですが、どうもこうも、なかなか遅くなりました。


さて、今回はまったく着地点のない動画シリーズです。説明文にも書きましたが、だれか神社に来て欲しい人があれば、ここのコメント欄なり、Twitterなり、動画コメントなりでお伝えいただければ、そこから選ぶ・・・かもしれませんし、なにか思い浮かべばそちらを優先するかもしれません。そのあたり、ゆったりと考えていただければ。

さて、小道具としてコーヒーが出てきます。私のこれまでの作品でもちょこちょこと登場しておりますが、私はコーヒーより紅茶派だったりします。でも実家で挽きたての豆から入れるコーヒーはとっても美味しくて好きです。豆の種類によっても随分と違いますしね。ただ、我が家のマスターはいい加減で、よく水の分量を間違えるので、時折ものすごく濃いコーヒーが出てきたりします。それでも甘いものと一緒にいただけばイケるのですが。

話が脱線しましたが、霊夢さん家の縁側でだれかが来て、なにかしらの情報を得て、それが拡散して、また違うことが起きる。霊夢さんが特になにをするわけでもないけど、小さな幻想郷のなかでいろんなことに繋がっていく、そしてそれをなんとなしにみんなが望んでいる。そういった箱庭のような、小さくて可愛い、ゆったりとした世界を描けたらなぁと今は思っています。

短いですが、あとがきに返させていただきます。

李花尺

2015/12/27

白夜行

お久しぶりです。
なかなか筆が進みません。秋の話にしておけば、自分でも期限が守れるだろうと思っていたのですが、一度離れた習慣は…これは以前書いた言い訳ですね。遅々として進みませんが、止まっているわけではございませんので、もう少し気長にまっていただけたらと思います。しかし、私が初めて投稿した頃に比べると、東方手書き劇場もややさみしくなりましたね。。。


さて、白夜行を友人に勧められて読みました。初めての東野圭吾です。本作はドラマ化、映画化されておりますが、どちらも見ていません。また、どうしても物語の核心部分に触れたいので、まだお読みでない方は、以下の感想文はお読みにならないで頂きたいです。

よろしいでしょうか。


まず、私はこの作品をすごいと感じましたが、嫌いです。幼児性愛の被害者である雪穂が終盤、取り入った男やもめの前妻の娘(まだ中学生)をいわば「てなずける」ために、男に襲わせたこと(犯された)が、私の理解を超えたからです。雪穂はすでに触れられてはいけない過去に接近しそうになった女性を二人、高校時代と大学時代に擬似的に性犯罪の犠牲者に仕上げ(二人は犯されてはいない)、彼女達を貶めています。二人は裸にされただけですが、終盤に雪穂は義理の娘を自分と同じ目にあわせているわけです。しかも、犯された義理の娘は単に雪穂に対する漠然とした警戒心をもっているだけです。たしかに、義理の娘の魂を奪うには効果的な方法なのかもしれませんが。
 雪穂が人間を信用しない理由として幼児性愛の被害にあったこと、そして仕方ないとはいえ、殺しという最悪の方法でそこから救ってくれたであろう亮司に大きな恩を感じ、唯一の心を許せる存在であったであろうことは(二人は以前から仲がよかったこともあって)、想像に難くありません。また、その二人が結果的にいろんな罪を犯し続けなければならないことになったことはまぁ、理解しないでもない。雪穂と亮司にとって二人以外はみんな敵であるならば、いずれの犯罪も二人の中では当然のように許されるのかもしれません。が、障害になる可能性のある義理の娘を平然と強姦させる思考をもつ二人の内面を理解できない。二人は歪んだ性愛をもった父親と、娘を売る貧しい思考回路をもった母親の被害者であることはわかります。が、が、です。私は二人を擁護することはできないのです。

二人は白夜の世界を歩き、歩き続けてどこに行くつもりだったのでしょう。二人が吐露した普通の世界へのかすかな憧れは哀れではありますが、私にはこれを悲劇とは思えないのです。

悲劇の皮を被った醜悪ななにか。

ここで私が断定した二人の関係や事件の真相は作中で全て明らかにされたわけではありません。ただ、義理の娘はたしかに犯され、その仕掛けはほぼ、雪穂によるものだと思われる。どんな経歴のある人なら、この所業を肯定できるというのです。

私は薄情な人間なのかもしれません。二人の悲劇性を認めないのですから。認めないというよりも、認めた上で、それ以上に嫌悪感が強いと言ったほうが正確かもしれませんね。

友人にはどうやってこの読後感を伝えようか悩みます。

2015/11/01

紅楼夢初参加の感想

どうも、李花尺です。

本日は紅楼夢へお邪魔してきました。
本当は雰囲気だけを感じ取ってそっと帰るつもりだったのですが、ぶらぶらしていると鮮明に覚えているポスターが・・・。
そう、「鳥取さばく帝国」さんです。

買いました。

厚かましいことに名乗り出て、サインまでしてもらいました。なにぶん初めてのことで、ワタクシうまく名乗ることができませんでした。でもにひまるさん、私の名前を覚えていてくださって、本当に丁寧に対応していただきました。多謝!!





さてさて、マヨヒガネコ、つゆときえにし(以上、にひまる 氏)、そしてLOCUS OF CONTROL(海兎 氏)を読みまして、早速感想をば。

マヨヒガネコ。

お話に余白というか、いろんな余地があって、気持ちがいいですね。感覚的でうまく言葉にできませんが、ぼかされている部分が気になるけど、「そういうものだ」という納得と、「こうなんだろうなぁ」という自分の推量がうまくバランスをとることができる余地の量なのです。たとえば、もっと「謎」の要素がつよければ、謎を考えるのが面倒になりますし、もっと明快なら、いや、それはおかしいとか、ロジカルに反発したりします。ようはジャストフィットなのです。というか、こいしちゃんがかわいいんじゃ。
あと、「最期の話」。ポラロイド、良かったですね。向こうにはもしかしたら帰れないのかもしれないですが、撮りたかったもの(見たかったもの)はこっちで見ることができたようで。いや、それを拾ってくれる彼女がいて良かったのかもしれませんね。

つゆときえにし。

つゆってそっちね。・・・蕎麦食べたい。紫さま、怖いですなぁ。あんまりそういう面を私は描きませんが、本来はそういう面があってしかるべきだと思うのですよねぇ。あと、紫さまの下まつげ、ものすごく魅力的です。妖怪らしさというものを見た気分です。しかし、彼の登場で地下の台所事情が改善されると思うとなかなかシュールですな。きっとそのうち、精製されたものも出してくれそうですね、妖怪ですから。そういえば、彼は彼女が見えているようですが、自我がそれほどないからだろう・・と、なんとなくわかります(このあたりのバランスが良い塩梅なのです)。

LOCUS OF CONTROL。

happy end. 素直に信じますが、信じきれないのもまた偽らざる感想です。最後のつよくにぎった手を信じたいですね。序盤、唐突に上からこいしがこいしを投げてきますが、少女が目を覚まさない彼に投げた石と繋がっているのかと思うと、なかなか面白いですね。しかし石を投げるってなかなか無茶しますなぁ。少女も必死だったのでしょう。locus of controlという熟語は恥ずかしながら知りませんでしたが、教育心理学の用語のようですね。日本語では「統制の所在」と訳されるようです。白状すると、これを調べたのは読了後でして、そうして改めて読み返すと、彼は「意識」と「無意識(というよりも潜在的な欲望というか、さだめというか)」がこれから問われていくのでしょう。だからこそ、happy endであって欲しいですね。


さて、本日はここまで。会場で感じたこと、その感想についてはまた来週のネタに。
紅楼夢に参加された皆様、お疲れさまでした。

2015/10/30

オトナ

明日は紅楼夢ですね。
暇があればあの世界を共有する人とお会いしてみたいと思います。

さて、それとは別の話題。

教養と理性と愛情とちょっとしたニヒリズムをもった人になりたいと思うようになりました。そんなオトナになりたいと思います。しかしお酒が入ればすぐに 本性があらわになって、間抜けで、くだらないことに口を開けて笑っている自分がいます(場に合わせるという面も無いわけではないですが)。もし、お酒が入った自分がより本質的な部分であるならば、それはしかたないことなのでしょう。でもそのあられもない、あんまり好きでない自分に、好きな自分の皮をかぶせることは自分を偽ることなのでしょうか。

私がなりたい自分が本音で、お酒の入った自分を建前にしたいものです。

2015/10/24

予定は未定

秋めいてきました。
日中はまだ暑い日もありますね。


さて、活動再開と言っても解凍段階です。
ですが、次の話を作る作業は進めておりまして、すでに台本は出来上がっております。これまでの作品は、動画は何パートかに分割されるような場合でも、通しの台本がほぼ完成してから作画するのが常でしたが、今回はどれだけ続けるのか、どこに着地点があるのかすらわからないけれど、ともかくも次を作ることは決めた形で第1話の台本だけ出来上がっています。

はてさて、吉と出るか凶と出るか。
タイトルは、「縁側日記」です。

2015/10/18

ご無沙汰しておりました。

どうも、ご無沙汰しておりました、李花尺です。

10月です。
確認したら、今年の1月から更新をやめているのですね。新年の挨拶をして、抱負を述べて、そのままなんの連絡もなく失踪していたので、あまり褒められた態度ではありませんでした。

さてさて、私事ですが、本年度から大きく環境が変わりました。今年の1月、すなわち昨年度末から猛烈に忙しく、ついついほったらかしにして、今に至るわけですが、一度失った習慣を取り戻すのはなかなか大変なものです。

・・・で、ちょっと余裕も出てまいりましたので、ちょこちょこリハビリをしていきたいと思い、まずはこのブログにて報告までを。


ブログのタイトルを更新しましたが、現在、大阪におります。ということで、李花尺亭、大阪店ということで、新装開店してまいりますので、お気づきになられた方は、ご贔屓ほど、よろしくお願いいたします。

では

2015/01/17

あらさー

今日はセンター入試ですね。今年は天気も比較的穏やかなようでよかったです。例年、大雪で遅れたりしますから。ずいぶんと昔のことですが、私が受けた時も結構な雪だった記憶があります。


さて、最近は投稿間隔が広くなっていまして、本当は月一ぐらいは投稿できたらなぁと思うのですが、そうでもありません。それでも、投稿がない日が続いても新しいコメントが以前の動画についたり、私のアカウントを新たにお気に入り登録してくださる人がぽつぽつといらっしゃいます。おかげさまで、お気に入りの被登録数2000まであと僅かになりました。ともかくも気にしてくれる人が2000人近くいるかもしれないと思うと、大変なことですね。さしあたって、被登録数2000人を達成したいです。

ここまでの道のりを振り返ると、初投稿が2010年ですから、かれこれ5年目に突入するわけで、当時すでに成人してましたから、四捨五入すると確実に30歳に近いことになります(まだ30ではないのですが・・・)。一時、「アラサー」という言葉が流行りましたが(今でも使うのでしょうか)、少なくとも、自分もそれにふさわしい年齢になりました oh...。
30というと「大人」な響きがあるのですが、私は自分が思っていた大人になったのかなぁと思うと、少し違うような気もしますが、おおよそあっているような気もします。でも、大人だ子供だなんて、相対的なものなのかもしれません。年配の方々の輪に私が行けば、私は子供扱いされるでしょうし、ちびっ子といれば私は大人として振る舞うことになるでしょう。近頃、私の親は子供のようになったと感じることもありますが、人生を折り返して子供に戻っていっているのか、それとも私が相対的に大人に近づいたのか、まだわかりかねます。


幻想郷の面々はみな「少女」なのですが、私が年をとるにつれて描かれる彼女たちは、ますます精神的な年齢が高くなっているような気もします。一度、うんと若くて向こう見ずな彼女たちを描いてみたいものです。大人(古い妖怪)へのあこがれを持つ少女(霊夢や魔理沙)というのも、ひとつありかもしれませんね。

2015/01/11

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。


思い出せば、1月4日は土曜日で普段ならこのブログを更新する曜日でしたが、新年の連休で曜日感覚がありませんでした、ごめんなさい。・・・さて、言い訳はおいておき、2015年になりましたね。今年もぼちぼちと動画を作っていきたいと思います。

今年は輝針城に登場した妖怪たちを描いてみたいですね。付喪神(のような妖怪)が増えましたから、彼らのなかの交流とかどうなっているのでしょう?草の根妖怪ネットワークなる素敵システムがあるので、これも広げていけるのではないでしょうか。

これからも彼女らについて、ふと感じたことや思ったことを描いていけたらと思います。今年も李花尺をよろしくお願いします。

2014/12/27

大掃除

どうも、李花尺です。

年末です。今、大掃除をしています。掃除を始めるとなにやら「スイッチ」が入って妙にこだわってしまうことがままあります。そして、突然スイッチが切れてどうでもよくなることも少なからず起きます。そうすると家は綺麗になったところとそれほどのところのモザイク状になって新年を迎えることになるわけですな。うむ、もっと計画的にやらなければいけない気がします。

そんないい加減な大掃除が終われば新年です。皆様、良いお年を。

2014/12/20

ワンドロ

どうも、先日の寒波は大変でした。風がすごかったですね。


さて、「ワンドロ」というのがあります。お題をもとに1時間で絵を描くというやつですな。twitterではその絵が流れてきたりします。・・・で、こういうのにも何度か挑戦したりするのですが、私にはものすごく難しいものでした(で途中で諦めてやめている)。どうも制限時間があることよりも、一枚の絵でいろんなことを説明するのが難しいと感じます。手書き動画をつくっている身からすると、絵というのは物語の一部であって、物語そのものではないわけです。その前と次の絵があるわけですな。ですから、一枚だけ「絵」を描くというのがものすごくむず痒い感覚に陥るのです。こればっかりはどうしようもないですね。大胆で観念的な構図とか、ポスター向きというか、一枚絵で迫力のある絵を描ける人に憧れますね。そういうことが出来ないので。

そうそう、次は久々にとともシリーズで、地底の忘年会をお送りする予定です。

ではでは。

2014/12/13

動物

どうも、雪が降る季節となりましたね。李花尺です。

最近はニコニコ動画では動物の映像を見ていることが多いです。癒やされますね。金魚を飼っていたことはありますが、それ以上に大きい動物は経験がありません。犬と猫なら猫のほうが好きかも・・・。いや、やっぱり甲乙つけがたいですね。

ただ、私は生き物に触れる経験がほとんどないので、実際になにか大きな動物(犬や猫)を飼った時はものすごく緊張すると思います。そしてそれはきっと相手にも伝わるでしょうから、あんまり二人の関係はいいものにならないような気がします。。。犬さん猫さんにとっても、警戒されながら触られるのは嫌でしょうしね。近頃は、猫カフェなるものもあるようですし、そういったところで鍛えるのもひとつの手かもしれません。


猫とか犬とか暖かいんだろうなぁ・・・

2014/12/06

後書き 【ピアノのある風景】

11月に投稿できるといったはずが、なぜか12月になってしまいました。スミマセン。


 さて、これにてピアノのある風景、お終いです。幻想郷での録音に協力してくださったunderdogさんにはこの場を借りてお礼申し上げます、ありがとうございました。


・・・さる情景。

 夕暮れ時の深い 光の濃淡のなかでふとピアノの音が聞こえ、その調にさそわれて路地をゆけば、茜色に染まった教室で誰かがピアノを弾いている。夕日に照らされてピアノの角が眩しく光る。少女の影に気づいた彼女がふと手を止めて・・・


 そんな情景が描きたかった、描きたかったのです。・・・描けたかどうかはわかりません。光を描くのはとてもむずかしいですね。夕暮れ時のあの柔らかく朱色に染まった世界も、日が山の端に隠れて残光が残る青い世界も、とても美しいと思います。低く射す様な光が明かり取りから漏れてある点を温めている様子は素敵ですね。

 後書きらしいことを書くとするならば、霊夢さんを登場させると、他の登場人物を喰ってしまいますね。別段、霊夢さんに思い入れがあるわけではないつもりなのですが、彼女の持つ独特の雰囲気が周りを呑んでしまいます。なんだろうこの感じ、謎ですね。・・・ミステリアスな女性は素敵です。
 ピアノはこうして、寺子屋でいろんな人に弾かれる運命をたどりました。このお話はここ終わりますが、この風景はきっと続いていき、いろんな物語を作っていくのでしょう。それはきっと素敵なことだと思います。夕日の差し込む学校とピアノの音色がもたらす出会い、というのにふと懐かしいあこがれを思い出した李花尺なのでした。

あらら

先週はお休みしてしまってました。・・・というのも、下書きのまま、投稿したつもりになっていました。いかんですね、きっちりと確認しないと。さてさて、先週はこんなことを書いていました。


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愛読というほどでもないのですが、newsweek誌を 読んでいました。開いてすぐの世界の風刺画と一番後ろのTokyo E yeという外国人コラムが 好きだったんです。が、最近・・・といっても半年ほど前になってしまいますが、Tokyo Eyeが終わってしまいました。このコラムは東京に住む外国人のリレーコラムで、10人弱の外国 の方がそれぞれ感じたことを好き勝手に書いている感じでした。政治のこともあれば何気ない風景に関することまで、なんだかんだで日本が好きな外国人の視点というのがとても面白かったのです。なんでおわっちゃったかなぁ・・・ちなみにバックナンバーはこちらから読むことができます(Tokyo Eye)。コラムニスト李小牧さんの痛快な文章も、ブロンコさんの季節を感じさせる文章も、もう読めないのは残念です。思い返せば、コラムニストの方々は私よりよっぽど日本語が旨いですね、いやはや。

以上、ふと思い出したことでした。

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と、まぁ、こんな雑多な文章でした。

2014/11/22

紅葉

私の住むところでは紅葉が今、見頃を迎えています。この投稿を書いている11/22は快晴、絶好の行楽日和となっています。淡い青空と紅葉した山々が映えますね。

さて、水上勉作「櫻守」に曰く、桜は緑を背にしたほうが映えるのだそうです。紅葉もそんな気がします。黄色や紅色にそまった山々も、松や杉の濃い緑の対比がところどころにあることで締まって見えるように感じます。なんにせよ、モザイク状に鮮やかな色が配置されている姿はきれいなものですね。

紅葉狩りに行くと、まぁ滅多に居ませんが、紅葉した木々の枝を折ってしまう人が居ます。あるいは紅葉した葉っぱを採ってしまう人はもうちょっと多いかもしませんね。葉っぱを取るぐらいだったら、木のほうからしたら、どうせ落ちるものですからなんとも思ってないかもしれませんが、まだ付いているものですし、自然に落ちるに任せたいものです。以前、友人たちと紅葉狩りに行った時にきれいな落ち葉ばを拾っていたら、笑われてしまいました。 友人曰く、落ちてしまったら色がくすむんだから取ればいいじゃないか、と。友人は落ち葉を拾うことよりも景色(紅葉狩りに来ていること自体 )を楽しんでいるようで、私がちょっと下を向きがちだったのがおかしかったようです。「いや、葉を摘むのルール違反だ」と私が言うと、わけが分からないとまた笑っていましたけどね。

紅葉狩りもいろんな楽しみ方が出来ていいものです。

2014/11/15

晩秋の空

どうも、秋の深まりにお布団からでるのが億劫な李花尺です。

ずいぶんと寒くなりました。日中はまだそこまで寒くないですけどね。でも先日、遠くの山は なんだか白く薄化粧をしていました。それも日中には消えてしまいましたが。・・・雪で思い出しましたが、「色の名前」を造っているときに、ふと東方とは別に違うお話が頭に浮かびまして、それが今でも頭のなかに残っています。私はいわゆるネタ帳みたいなものを持たない、話の芽を書き留める習慣をつけていないので、ふとした思いつきはそのまま消えていくことが多いです。ただ、未だに頭のなかにいるということは、きっと私の中で形にしたい欲求があるのかもしれませんね。

そんなことより、はやくピアノの話を完成させたいのですが、どうも時間が取れず、とれてもなかなか筆が進まないので思った以上に苦戦しています。もう暫くお待ち下さい。本当は11月の頭には投稿できるとふんだのですが、 予定を大幅に過ぎてしまっています。これはいかんですね・・・頑張ります。


2014/11/08

宝塚

どうも、李花尺です。


2014年も残すところ2ヶ月ばかりですが、今になって宝塚歌劇団が100周年を迎えたことを知りました。宝塚歌劇といえば、twitterで「不美人の25箇条」のような教訓を目にしたことがあります。それよりも驚いたのは「清く正しく美しく」という標語が宝塚のモットーであることでした。これは100周年を知ったときに一緒に知ったのですが、いやはや宝塚の言葉だったとは。ちょっと宝塚のファンになりそうです。

「清く正しく美しく」。美しさというのは私が描いていきたい大切な題材ですが、そこに、「清く」と「正しく」を加えると、ずいぶんと若々しいですね。海千山千な大人が「正しく」を使うと胡散臭さがでるように思いますが、清さと美しさに挟まれると本来の「正しさ」の意味を取り戻すような気がします。この標語からは高潔で、無垢で、まっすぐに未来を見据える透明な目を持つ、美しい女性を見ることが出来ますな。本当に素晴らしい標語だと思います。宝塚おそるべし。

女性はかくあってしかるべきかな、とは思いますが、それだけでは世の中つまらないのかもしれません。それに、いざ清く正しく美しい女性の前にたったら、私は逃げ出してしうかもしれません。

2014/11/01

秋桜

薄紅の秋桜が秋の日の・・・どうも、昭和な李花尺です。

 休耕田をコスモス畑にしているところがいくつかありますが、案外背が高いですね。大人でもかくれんぼができるぐらいです。それに、それぞれ微妙に色合いや模様が違って個性がありますね。きれいな花です。なにより、秋桜は道端に一輪だけ咲いていることもあって、その生命力の強さや健気さが魅力です。

 コスモスについてちょっと調べてみると、キク科の植物で学名もCosmos cosmos。言われてみると葉っぱとかは菊っぽいですね。 和名は「アキザクラ」だと思います。桜はバラ科ですけど、まぁ、色合いとか似てますからよしとしましょうか。明治に観賞用として輸入されて、秋の季語として「秋桜」がその当時から用いられている様子。どうも「秋桜」と書いてアキザクラと和名として読む人より、当て字としてコスモスと読む人が多いような気がします。「コスモス」という響きは日本語に馴染みやすいようにも感じますね。シロツメクサ(和名)とクローバーだと若干クローバーを使う人が多いでしょうか。でも、ハルジオンのことをフィラデルフィア・デイジーや「Skevish」という人は殆どいないでしょう。そもそもハルジオンなんて、漢字で春紫苑と書くことができるなんて知らない人も多そうですね。私も昔は向こうの言葉を単にカタカナ表記したものだと思っていました。


 ま、うんちくはおいておきまして、コスモスが秋の風に吹かれて揺れているとなんとなく冒頭の歌を思い出してしんみりする李花尺なのでした。

2014/10/25

新幹線

どうも、秋晴れのもと、部屋にこもっている李花尺です。


とはいうものの、今週はちょいと新幹線に乗る機会がありました。大阪や東京はのぞみもひかりも全部留まりますし、人も多いですから、壮観ですね。一方、地方の駅は真ん中に通過用の線路があって、ひかりやこだまをのぞみがどんどん追い抜いていきます。そんな地方の駅のホームにいたのですが、向かい側のホームにこだまが停まっていて、それをものすごいスピードでのぞみが追い越して、そのあとゆっくりとこだまが発車して、そんなこんなしているうちに自分の立っているホームにひかりが入ってくる・・・。時速300km/hの乗り物がホームに立っている10分そこそこの間に3本も 4本もいったり来たりすると、なんだか私の中の「男の子」が、がぜん元気になります。運転手さんや車掌さんがものすごく格好良く見えてくるわけです(実際カッコイイのですし)。新幹線が入ってくるときの警告音や、停まっていたこだまが再び動き出す際のなんだろう、モーターかインバーターの起動音(?)とか、停車時のエアの抜ける音とか、抑揚を抑えた構内の放送とか、そういったものが私を刺激します。ここまで私の好きな新幹線の要素を挙げてみると、ずいぶんと音に偏ってますね。

ホームではしゃぐにはみっともない歳ですから、平静を装っていますが、やっぱりむりだったので、一枚だけ。

2014/10/18

秋空

朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。寒暖の差が大きいのでティッシュの消費量が増えている李花尺です。


近頃は明け方には一桁に近い気温まで下がっているようですが、この間まで半袖でもいいような気候でしたから、タンスの中身の交換がまだ進んでおらず、 服選びに支障がでています。朝のひんやりとした空気は気持ちが良いのですが、まだまだ体は夏が忘れられないのか、気温差にびっくりしているようです。まだ朝霧が雲海のようになるには早いですが、そのうち霧の河が流れる季節が来るでしょう。先日は露がしっとりと降りてススキを濡らし、低い太陽の光を浴びてきらめいていました。河はゆっくりと流れ、山は霞んで遠く、水墨画のような淡い世界が広がっていました。秋の深まりを感じますね。

山々は紅葉が見頃を迎えているのだとか。北のほうはすでに冬支度になっているところもあるようです。この週末はいい天気ですから、どこか紅葉を見に行くのも面白いかもしれませんね。

さて、動画作成の進捗状況ですが、およそ2/3ほど終わりました。10月中か11月の頭には投稿できると思います。今しばらくお待ちください。