2011/01/19

コメント その2

先日、批判的なコメントもほしいな、というブログでの発言をした後で、思ったことをつらつら書きたいと思います。

「(初回)コメント非表示推奨」というタグ(類似するタグを含め)を動画が荒れた状態を表す指標として私はとらえています(勿論、動画としての質がすばらしく単に「コメント」が邪魔になる動画もあります。大百科にも定義されてますね)。で、低質なコメント(罵り合い)がたくさんある状態は、確かにあまりうれしくない状態だと思います。
が、別にけんか腰になってもいいですが、何か議論してもらえたら、その動画としては意図していたにせよ、そうでなかったにせよ、意味があるのだと思います。私の投稿した作品も多少なり、議論の余地があるはずです。例えば、私は輝夜を「自然を愛する姫」として定義して、美しく書きますけど、それに対して、批判してもらって結構なのです、「彼女も人間だろう」と。二次創作といえど、その設定自体に含まれる盲点や矛盾は指摘されて当然であるし、それに対しての反論もあるべきなのです。一次設定や他の作者様の二次設定と比較してもらってもかまいません。むしろ、どのような人物こそがそのキャラクターにふさわしいかを考えることは楽しいですし、面白いと思うので、推奨したいくらいです。ただ、それをよそ様の動画でやられるとまずいですが。もちろん、動画を楽しみたい場合にはそういったやり取りは醜いものかもしれません。が、動画を楽しむことと、動画を議論することは分けて考えることができた方が、なにやらよい気がするのですが、どうでしょうか。コメントあってのニコニコですから、たのしむときはコメント非表示で、動画内容を食べるときはコメント表示で、という使い分けは無理かもしれませんね。


ちなみに、私にとって弾幕や職人と呼ばれる人のすばらしく面白いコメントは、動画という完成された料理に後から醤油やソースをかける行為であり、それによって美味しくなる一方で、本来の味を隠すものだと思います。wwwのコメントや動画のぼけに対する突っ込みは動画を楽しむという目的にかなっていると思うのですが、弾幕や秀逸な職人芸は(それを期待しての動画は別として)ちょっと作者目線では避けてほしいコメントです。


以上、コメントに関することでした。


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