2011/01/24

後書き 【東方ゾンビ禍:第8話(最終回)】 (追記あり)


全9話という長い話におつきあいくださいましてありがとうございました。この物語を完結させることができたのも、皆様のコメントやマイリスト、もったいないような宣伝があればこそでした。本当にありがとうございます。

さて、物語を終えて、なんともいえない虚脱感があります。あのエンディングを作ったこともかなり影響していますが。しかし、音楽の力は偉大ですね。名曲の無駄使いとか言われないことを祈っています。

以下、この物語についてどういう設定をしていたのかを述べたいと思います。これを読まねば物語が理解できない訳でも、これが正解な訳でもないですし、なにより支離滅裂です。さらには長いですから特に読まなくても結構です。ですので、読まれない方はサイドバーにあります、投票(次回作の長さに関する質問)にご協力願います。


<アリスの設定>
アリスの人間に対する考え方について、自分の関わっている村(集落)についてはものすごく大事に思うという特徴があります。うp主がこのように考える理由は、ものを食べる習慣の上で人との交流が必然的にあったことにあります。彼女が人間だった(可能性がある)ことも大きな理由です。この物語では上海人形をかなり自律型の人形として解釈しており、自律性を高めていく上で、「人」を観察することが必要で、かつ好きだったのだと思うのも理由に挙げることができます。0話でアリスが走り回っている描写がありますが、あれは飛べないのではなくて、一軒一軒見て回るためで、飛べない訳ではありません。で、霊夢&魔理沙との会話の後のアリスですが、彼女は村で村人の亡がらを集め(その様子を隣村の村人に見られていて、村人は最初不気味に思いましたが、彼女の行動に遠巻きながら感謝する様になります)、墓を建てた後、独自に調査を行こうとしたという設定です。霊夢&魔理沙に加わらなかったのは、霊夢が自分を疑ってかかったことがまず原因にあります。独自調査ですが、村の慰霊にけっこう時間がかかりましたから、文に声をかけられた時点で、これから調査に乗り出すところだったと考えています。で、紅魔館では文&パチェから説明を受けて、魔法の準備を行ったというところです。ちなみに紅魔館で霊夢に渡した瘴気は魔理沙から抽出されたものです。

ちなみにアリスによる最後のシーンはかなり前から決まっていました。正確に言うと、2つまでしぼられていました。
一つは今回採用した、おじいさんに誘われて行った新しい村でまず、子供が上海の人形劇を見たいとせがまれて、そこから村の人と仲良くなるパターン(人形劇の場面で終わってますが)。
もう一つは、おじいさんに誘われて行った新しい村でカボチャを買って、スープを作って、それを前にしてアリスの涙で終わるというパターン。
没案はちょっと、鬱すぎるかな、と思いやめたのですが、かなり迷いました。ちなみに0話のサムネにしたアリスの人形劇はゾンビ禍に最初に教われた村、「仏谷村」での人形劇のつもりで描いてました(コメントで指摘がありましたね)。ですから、採用した案も0話での悲劇をベースにしているので、よく考えると鬱臭いですね。でも、採用した案の方が前向きかな、と思いませんか?少なくとも私はそう思います。

<霊夢&魔理沙>
すでに後書きでそのコンセプトは述べていた気がするので、重複があれば許してください。要は二人は10代の子供だと言うことです。ですから、魔理沙は不用意な発言をしますし、霊夢は妖怪の仕業だと結構信じているし、その後も疑心暗鬼になって理性的な判断を失っていたりします。コメントでは脳筋とまで言われていましたが、それほど合理的な判断を出来ていない以上、適切なご指摘だと思いますし、そういう一面はあると思います。また、瘴気に侵された魔理沙を紅魔館に運ぶ選択を「勘」の一言で片付けています。皆様コメントにていろいろ理由を考えてくださいましたが、私としては、本当に「勘」だったのだと思います。物語を作っていく上でも、紅魔館の方が展開が面白いな、とか、そういうことは全くと言ってよいほど考えませんでした。ですので、紅魔館の選択についてのコメントは、「なるほど・・・」と感心してしまいました。で、彼女達は物語に振り回されただけのようになってしまいました。それは霊夢がそもそもの原因にあるということでお仕置きの意味を紫が持たせたためであり(後述)、仕方がなかったと言えます(協力してもいいわけですから)。以前の後書きでは、妖怪の情報網について述べましたが、あの設定は嘘ではないのですが、今回は紫の意向が強く影響していますので、萃香ですら情報を隠していたのは特殊な事情があったと思ってください。ま、二人はまだ子供なんですよ。でもそれはきっと妖怪達に取っては新鮮なのです。

<紫>
描かれていない割には動きの多い妖怪でした。「幻想郷」を愛する妖怪として、異変自体には早くから気づいている(アリスの火事直後)。経験から来る直感も鋭いと思います(do not mean BBA!)。ですから、アリスの一件の直後には原因が瘴気であること、それが何らかの原因でものすごく濃いことを悟った。で、さすがにそれだけでは分からないので文を召還して調査を頼んだ。同時に村をのみこんだり、瘴気の動きをのぞいたりした。で、霊夢が原因だろうと悟ったのは、「ゾンビ」の噂が広がっているとまず文から第一報が入った時点を考えていました。それ以後、霊夢を反省させることを企てて、文に情報収集と同時に妖怪に対して箝口令をだすように文に頼んだ。で、霊夢達がすったもんだやった後、結局魔法で解決させた。霊夢に対する命令の「人を集めてなんか言いなさい」、というのは、霊夢の言葉で解決できるかどうかを見ることで、霊夢の求心力というか、人心掌握力を測る目的もあったり、だめだったとしても、魔法使い達が一括して処理してくれるだろうという読みから出たのだと思います(最悪、スキマに引きずり込むこともできたでしょうし)。紫は別に紅魔館と連携を密にとっていた訳ではありません(紅魔館としても文の後ろに紫がいることは感じていたでしょうが)。

<文>
かなり暗躍しています(する予定でした)。が、あっさりそのシルエットでばれてしまった、今回残念なキャラクターになってしまいました。彼女の思考としては特に変わった設定を持ち込んではいません。新聞屋としてアリスの起こした火事を見て飛んできた。で、本来はことの顛末を調べて記事に出来るぐらいにしか思ってなかった。が、アリスと分かれた直後に紫に捕まり(スキマにて召還された)、紫の見立てを聞かされ、紫の手足となって働くことを承諾した(きっと、なにか取引があったでしょう)。精力的に情報を共有させたのは紫の意図です。基本的に作中で「焦げ文」は一言程度しかしゃべりませんが、別にあれだけしか会話がなかった訳ではありません(それが分かる様に会話の途中をきりとったつもりです)。基本的にはゾンビの発生状況と霊夢と魔理沙の足取りと、彼女らに情報をもらさないでほしいと頼んでいたと思います(幽香のように取りつく島もない妖怪もいますが)。彼女は幻想郷が崩れるのは困ると発言していますが、これは彼女(を含め大半の妖怪)は人間がゾンビになることよりも、ゾンビになることで人口が激減することを心配していることを意味していると思います。その辺、アリスをのぞいてドライですね。

<紅魔館>
ぱちぇりーとやってしまった。ま、パチュリーは魔法使いとしての興味しか持ち合わせていないので、別に人がどうなろうと興味はない。でも、魔理沙の治療と、濃い瘴気を魔法使い複数で浄化するというプロジェクトは、魔法使いとして興味があるので協力したというところでしょう。魔理沙の体も調べ回ったに違いありません。だって、人間なのに十分な魔法使いですから。自身が魔法使いという種族になっている以上、違うタイプの魔法使いに興味を持つのは当然です。ですから、若干悪い顔をしているのはそういう意味です。後のキャラクターはそれほど特徴づけていません。が、美鈴が瀟洒であったりするのは私のデフォルトですし(眠くて寝るなんてありえない、寝るなら意味があるはず)、咲夜が一言もしゃべらないのはメイドであり、あの場での発言権はないと考えられるからです(ただし咲夜の立ち位置がレミリアの後ろなのはおかしいですよね、後見人じゃないんだから)。

<永遠亭>
今回、永遠亭はほとんど物語に絡ませませんでした(というか、絡めようにも私の力量を超えます)。永琳はあくまでも人(死なないがあくまでも「人」、正確には月の人か)なので、妖怪やその他の「よくわからないなにか」については弱いだろうという設定を持ち込みました。ですから、瘴気が体をおかしている状態を脳波のみだれで確認することは出来ても、その原因を取り除くことは出来ないし、鈴仙が波長をつかって瘴気という妖怪のようななにかを「焼き殺した」結果を理解することも出来ませんでした。そういう設定ですから、ある意味霊夢の勘は正しかったのかもしれません。ちなみに永遠亭に運ばれた二人に千代ちゃんを含ませたかった(コメントで気づいている人も居られたのですが、恐縮です)ので、運ばれた村人が映っているシーンは千代ちゃんを想定しています。これは萃香の発言と矛盾する可能性が大なのですが、うp主の精神衛生上、必要だったので許してください。で、もう運ばれた1人はゾンビの喰い合いの最後の1人を予定していました。実は助けられた二人が永遠底から出て行くシーンを挟む予定だったのですが、カットしました。ま、それほど永琳や永遠亭のメンバーについて描写した訳ではないので、設定はこの程度ですかね。

<萃香>
特に設定はありません。ゾンビになった村をとりあえず封鎖して霊夢を呼びにいったのは、萃香と霊夢は仲がいいだろうしなぁと思ったからです。



<幽香> 1月25日追記

基本的に人間に興味のない優しい(?)妖怪です。魔理沙とのやり取りは結構序盤の盛り上がりのポイントだったりするのですが。ゾンビに「警告」を発したのはゾンビであることの確認であると思います。その辺優しいですよね。ただ、ゾンビが谷から出てきた時点でその村がゾンビにすべて侵されていると判断したのはちょっと、ざっくりしているような気もしますが、でもゾンビにおびえる恐怖とか、結局助からない可能性があの時点では高かったことを考えれば、妥当な判断なのかもしれませんが・・・。



ちなみに、最後のひまわりは、きっと幽香がくれたに違いありません。辺境の村に大した花は咲いてなくて、里に行けば売っているかもしれませんが、基本的に辺境ほど貧しいものですから買えない(里から遠いのも原因の一つ)。きっとこういった事情を説明したら幽花も1本ぐらいくれますよ、きっと、優しく微笑みながら。そういう幻想郷であってほしい、という妄想に準拠しています。




<最後に>
何度も同じことを言って見苦しいですが、
見て頂いた方、コメントを残してくださった方、マイリストに加えてくださった方、宣伝をしてくださった方、最後までおつきあいしてくださいましてありがとうございます。おかげさまで、始めて2525再生、100マイリストを突破いたしました。これらが励ましになって物語を完成させることができました。本当にありがとうございます。それでもまだまだ不出来なところもあると思います。これからも精進していきますので、どうぞ次回作もご視聴くださいませ。

4 件のコメント:

  1. お疲れ様です
    ととも・ゾンビ禍の両方とも見終ったあとなんともいえない気持ちになるとこが大好きです

    次回作も楽しみにしてまっています

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  2. コメントありがとうございます。
    見終わった後のなんとも言えない気持ち・・・私自身がそういうのが好きなのです。そんな気持ちにさせる「何か」を共有できていたとは・・・!

    次回作、お待ちください。

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  3. ゾンビ禍お疲れさまでした!
    それでは拙文ながら感想を書かせていただきます!

     全体の印象として非常に品を感じる作品でした。それはとともでも言えることですが、そういう空気を描けるというのはやっぱり素敵ですね~。個人的には大好きな空気です。

     最初にゾンビの話を作ると聞いたときは、「とともの人がゾンビだと…!」と驚きましたが、スプラッタなどではなく「人と妖怪の違いを描く」というテーマを聞いて安心したのを覚えています。それでもこのテーマでゾンビを持ってくる発想はかなり斬新だとは思いますがw。
     そしてテーマについてですが、とても自然に描いておりすばらしいと思いました。このブログでも詳細は説明されていますが、ここを読まなくてもそれぞれのキャラの立ち位置と考え方はなんとなく分かるし、世界背景は世界背景で、動画は動画としてきちんと成り立っているところにOkmさんのテクニカルな部分を感じました。昔のクォリティの高い邦画を見ているような、そんな気分に近いですね。人に近い妖怪とそうではない妖怪、あるいは人そのものの視点で描かれた物語。やはりこの作品はもっと評価されるべき!そう思います。

     そして霊夢はやっぱりかわいそうかな、と感じてしまいましたw。八雲紫にとってはこの物語は一種のおしおきで、例えば自分から見たら「これほどまでの大惨事なのに、八雲紫の態度は軽すぎるのでは…」と思ってしまうのですが、ここも言わば人間と妖怪の違いなのですよね…。もし自分が霊夢だったら、反省すると同時に不信感も感じてしまうかもしれない…。でもこの違和感こそがこの作品のテーマなのですよね。故にラストのアリスに感情移入してしまう…そういう細やかな心の動き、カタルシスがこの作品の醍醐味だと思います。

     余談ですが、知り合いに見せたところ「少し地味かも」という意見が返ってきました…。確かに物語の流れはゆっくりだとは思いますが、自分は割と今の空気が好きなので、このままでいてほしいな、とは思います。批判的意見とはちょっと違うとは思いますが、なんとなく気になったので。

     以上、まとまりのない文章ですが感想とさせていただきたいと思います。自分もなるだけフィードバックを返していきたいと思うので、よろしくお願いします!それでは次回も期待!

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  4. たくさん書いて頂き恐縮です。ありがとうございます!

    霊夢はまだ子供ですから、魔理沙の登場によって、霊夢の頭は魔理沙のことで一時的にいっぱいになるわけです。「馬鹿ね・・・」というのは、慰められても後でまた辛くなることを分かっているからですが、それでも魔理沙が無事なことが分かってうれしいわけで、魔理沙の事でいっぱいになる。それを見た妖怪達は「何かに夢中になる」子供らしさや自分との違いを感じて、それ以上言えなくなるし、言いたくもないでしょう。だから、あの場面は妖怪達が解散することで終わってしまう。

    ですから、ご指摘の通り、霊夢はかなり精神的に追いつめられることになります。もちろん、動画が終わって以降ですが。ですから、原因を(知らないうちに)作ったことに対する罰というのは十分すぎるほどです。しかし、それで霊夢が人間不信(妖怪不信?)になる可能性は私は想像していませんでした。クズマさんの視点に感謝です、なるほど。

    空気感についてですが、このスタイルは続けていくつもりです。たくさん見てもらえる動画にある程度共通するいくつかのスタイルから外れているとは思います。以前のブログの書き込みで動画が伸び悩むのを見ての私の雑感が念頭にあるのかと察しますが、スタイルは変えませんので、気になさらないでください。多分、私の限界は「雛とてゐ」の雛です。あれぐらいののんびりとしたジョークを繰り出してきてやんやりと受けるというやりとりを超える漫才と言うか掛け合いは疲れて描けないでしょう。見るのは嫌いではないのですが。

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